2025.08.12

レバノンとの前回対戦は2011年…川村卓也や竹内兄弟ら“黄金世代”が挑んだ14年前の戦いを振り返る

2011年当時の川村卓也[写真]=日本バスケットボール協会
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 サウジアラビアのジッダで開催されている『FIBA男子アジアカップ2025』。トム・ホーバスヘッドコーチが率いるバスケットボール男子日本代表(FIBAランキング21位)はグループフェーズを2位で突破し、準々決勝進出決定戦でレバノン代表(同29位)と対戦する。日本とレバノンがFIBA公式戦で対戦するのは、2011年の「FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会」(現・FIBA男子アジアカップ)以来約14年ぶりのことだ。

 2011年当時の「FIBAアジア男子バスケットボール選手権大会」は翌年に控えたロンドンオリンピックのアジア地区予選も兼ねており、日本代表は36年ぶりのオリンピック出場を目指して大会に臨んだ。ヘッドコーチを務めたのはトーマス・ウィスマン氏で、ロスターに名を連ねたのは竹内兄弟を筆頭とする1984~1985年生まれの“黄金世代”を中心としたメンバー。田臥勇太を負傷で欠いていたものの、経験豊富な網野友雄がキャプテンを務め、司令塔は柏木真介、エースに川村卓也を据え、インサイドを竹内公輔と譲次が支える強力な布陣だった。

■当時の日本代表メンバー
ヘッドコーチ:トーマス・ウィスマン
#4 松井啓十郎(トヨタ自動車アルバルク)
#5 竹田謙(リンク栃木ブレックス)
#6 桜井良太レバンガ北海道
#7 石崎巧(財団法人日本バスケットボール協会)
#8 柏木真介(アイシンシーホース)
#9 川村卓也(リンク栃木ブレックス)
#10 竹内公輔(トヨタ自動車アルバルク)
#11 網野友雄(リンク栃木ブレックス)
#12 広瀬健太(パナソニックトライアンズ)
#13 正中岳城(トヨタ自動車アルバルク)
#14 太田敦也(浜松・東三河フェニックス)
#15 竹内譲次(日立サンロッカーズ)

 しかし、大会途中に司令塔の柏木とインサイドの要である竹内譲次が負傷離脱するというアクシデントに見舞われると、レバノン戦の前に行われた準々決勝・韓国戦で大敗。この時点で36年ぶりのオリンピック出場の夢は絶たれることに。まさに心身ともに満身創痍の状況で臨んだのが、14年前のレバノン戦だった。

 それでも日本は一つでも上の順位で大会を終えるべく、試合開始から猛攻を展開。川村が第1クォーターから9得点を挙げる活躍を見せ、最初の10分間を23-15とリードして終える。しかし、第2クォーターにはレバノンの3ポイント攻勢によって一気に点差を詰められ、42-41と1点リードで後半へ。

インサイドで奮闘した竹内公輔[写真]=日本バスケットボール協会


 第3クォーターも一進一退の攻防が続く中、日本は網野と竹内公輔を中心に得点を重ねていく。迎えた第4クォーターは、柏木に代わって先発ポイントガードを任された正中岳城に加え、川村や松井啓十郎が次々と3ポイントを沈めてリードを拡大。試合時間残り5分24秒時点で点差を11点まで広げて見せた。

 しかし、そこからレバノンの猛反撃に遭い、試合時間残り1分15秒でついに逆転を許してしまう。2点ビハインドで迎えた試合終了間際、残り0.6秒で松井が2本のフリースローを獲得するも1投目は失敗。2本目はセカンドチャンスを狙ってわざと外すが、相手にリバウンドを奪われ万事休す。日本は川村が20得点、網野が17得点、竹内公輔が15得点13リバウンドと活躍するも、最終スコア78-80で逆転負けを喫することとなった。

 あまりにも悔しい敗戦となった前回対戦。あれから14年の歳月が過ぎ、その間に日本バスケ界は大きな成長を遂げた。あの日の悔しさを知る者は今の代表にはいないかもしれないが、アジアの頂点、そしてその先の”世界”を見据えるチームにとって、この一戦は乗り越えなければならない大きな壁だ。14年の時を経て、日本は進化の証を示すことができるか。注目のレバノン戦は日本時間12日25時(13日午前1時)ティップオフ予定だ。

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