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『B MY HERO!』
9月7日(現地時間9月6日)、米マサチューセッツ州スプリングフィールドで行われたバスケットボール殿堂入りセレモニーに、女子アメリカ代表のレジェンドでありWNBAで約20年にわたって活躍したスー・バード(元シアトル・ストーム)が登壇した。シアトル・ストーム一筋で4度のWNBA制覇を果たし、オールスター出場13回、五輪金メダル5回を誇るバードは、女子バスケットボール界を象徴する存在としてスピーチを行った。
バードはまず、コネチカット大学時代から共に歩んだ仲間スウィン・キャッシュ(元WNBA/現ニューオーリンズ・ペリカンズスタッフ)や、当時から指導を受けた恩師ジェノ・オーリエマ ヘッドコーチへの感謝を述べた。そして「バスケットボールは“how-to(やり方)”ではなく、“when-to(いつやるか)”のゲームだ」という言葉を紹介し、「プレーの技術よりも、適切なタイミングで判断することの大切さを学んだ」と振り返った。
この一年は彼女にとって特別なものとなった。 シアトル市はバードの名前を冠した通りを制定し、WNBA選手として初めて自らの銅像が本拠地クライメット・プレッジ・アリーナ前に設置された。バードは「私が最初であっても、決して最後ではない。この先の世代にも続いてほしい」と語り、女子バスケットボールの発展に思いを馳せた。
ロングアイランド出身のバードは、WNBA創設前に競技を始め、道を切り拓いてきた世代の一人である。小学時代の文集には「医師か弁護士、あるいはプロのサッカー選手」と書いたが、その後はバスケットボールに進み、コネチカット大学で全米制覇を経験。2002年WNBAドラフトで全体1位指名を受け、シアトル・ストームに入団した。以降は司令塔として長くチームを牽引し、同じくシアトル・ストームのレジェンドであるローレン・ジャクソンとともに2000年代の黄金期を築き、後半にはブリアナ・スチュワート(ニューヨーク・リバティ)と連覇を達成した。
スピーチの中でバードは、度重なるケガや手術を乗り越えた経験にも触れた。「膝や股関節の手術を重ね、鼻も何度も骨折した。それでも仲間や指導者に支えられ、バスケットボールの中に自分の立場を見つけることができた」と語り、所属先であるコネチカット大やシアトル・ストーム、USAバスケットボール、WNBAの歴代関係者、そして家族やパートナーへの感謝を口にした。
最後にバードは「女性アスリートにとって、自分の存在を認めてもらえる場を得ることは簡単ではなかった」と述べ、「私の歩みは決して一人の力ではなく、仲間やコミュニティに支えられて成し遂げられた。今度は自分が次の世代にその場をつくりたい」と力強く語った。そして「この殿堂入りは個人の栄誉にとどまらず、私が多くの人と共に歩んできた証でもある」と締めくくり、会場は大きな拍手に包まれた。