2019.05.09
バスケットボールの楽しみ方はファンの数だけある。この企画では、選手の育ったルーツを探りながら、選手の素顔や魅力を紹介していく。Bリーグ選手名鑑『ルーツは仙台にあり』は、仙台高校と明成高校で、7度のウインターカップ制覇に導いた佐藤久夫コーチのもとで育ち、近年Bリーグで存在感を示している選手を紹介する。第2弾に登場するのは京都ハンナリーズの片岡大晴だ。
■「ソルジャーと呼んでほしい」とみずから発信した戦う男
片岡大晴、愛称は『ソルジャー』。
アグレッシブにゴールに向かい、常に声を出してチームを鼓舞する姿はまさしく戦う男。決してスマートなスタイルとは言えないが、しぶとく、果敢にゴールをねじ込む。今でこそ、その異名は片岡大晴を象徴するものとなっているが、この愛称はプレースタイルからついたものではない。今から10年前の2008年、栃木ブレックスに入団する際の記者会見で、「ソルジャーと呼んでください」とみずから発信したことにより、その歴史は始まったのだ。
高校、大学時代、それほど知られていた存在ではなかった片岡が、みずからに勇敢な名前を課したのには訳がある。ソルジャーの由来は、片岡が所属した白鷗大バスケットボール部のニックネームからきているのだ。
「僕がプロ選手になった頃は白鷗大からプロ入りした選手は少なかったので、僕がそう呼ばれることで、白鷗大出身の選手が頑張っていることを知ってほしかったし、大学の先輩や後輩の心に響けばいいなと思っていました」
今では『ソルジャー』以外の名前が思い浮かばないほど定着した感があるが、片岡のプレーを通して伝わるのは、熱く、激しく戦う姿ばかりでなく、こうと決めたら一途なまでに貫き通す、真っ直ぐで前向きな姿勢そのものではないだろうか。
ソルジャーと呼んでほしい――との願いも、白鷗大を代表する選手になると誓い、白鷗大バスケ部を発展させたい思いがあったからこそ。その前向きな姿勢のルーツは、故郷である宮城県の仙台高時代に培われたものである。
■「仙台高でやってきたことは自分のベースになっていることしかない」
片岡が高校3年間を過ごした仙台高は、90年代から2000年にかけて黄金時代を築いた強豪校。言わずと知れた、現在、明成高で5度のウインターカップ制覇に導いた佐藤久夫コーチの前任校である。
明成高では、全国から教えを求める選手が集う私学を指導している佐藤コーチだが、仙台高では県内の選手だけで構成された公立校を16年間指導していた。ゆえに佐藤コーチは仙台高の選手たちを『普通の子』と呼んでいたが、普通の子であればこそ、「一生懸命さだけは日本一」を掲げ、環境や体格に恵まれないからこそ、「誰もができるファンダメンタルを重視」(佐藤コーチ)して指導。ウインターカップでは指導した16年間で、ベスト4以上の成績を8回収め、1999年と2000年には志村雄彦(仙台89ERS)を擁してウインターカップ連覇を遂げている。
仙台高の活躍に憧れを抱いた中学生の片岡少年は、公立高ゆえに、一般の受験生と同じように入試を受けて仙台高に入学している。3歳違いの志村とは入れ違いでの入部だ。
「志村さんたちの優勝を見ていたので、仙台高校は憧れの存在でした。僕は中学時代、のびのびとバスケをするチームにいて、バスケの楽しさを教わりました。だから高校では、日本一厳しいと言われるチームに入り、技術をしっかり学んでうまくなりたかったんです」
日本一厳しい練習をする高校、とは歴代の先輩たちから聞いていた。だが、片岡少年を待ち受けていたのは、厳しさのレベルが「衝撃的」と言う日々だった。
「練習の雰囲気はピリピリした緊迫感があって気が抜けない中で、基本を徹底してやるし、何事も全力でスピードが求められるし、頭を使って考える練習が多いから、練習中の集中力はハンパなかったです。仙台高校にはスーパースターがいないので、『絶対に負けないぞ』という気持ちの強さを厳しい練習で作っていたんですよね。だから久夫先生の教え子というのは小さくても我慢強いというか、ひたむきにやる選手が多くて、それは練習で身についたものだと思います」
憧れの仙台高で懸命に練習した片岡少年。だが、基礎を叩きこんでくれた佐藤コーチは、片岡が2年生になると同時にコーチを退くことになる。2002年、佐藤コーチは高校の教職を退職し、日本協会の強化本部付けとして、3年間にわたり、育成と強化担当の仕事に就くことになったのだ。当然、高校生には佐藤コーチが退いた理由などわかるはずもなく、ただただ、現状を受け入れるしかなかった。
佐藤コーチが退職したその後は、アシスタントコーチだった佐藤剛(現利府高校)がコーチとなり、仙台高の伝統は引き継がれていく。ゆえに、片岡には高校時代の恩師が2人いる。佐藤剛コーチのもとで片岡はエースとなり、高3時にはウインターカップでベスト16まで勝ち進む意地を見せた。
「高校の恩師が2人もいることは、僕にとって、とてもうれしいことなんです」と片岡は言う。
「今の自分があるのは間違いなく仙台高校のおかげです。剛先生も久夫先生の教え子なので、基本を大切にして一生懸命にやることは同じですから、高校で僕のバスケが培われましたから。仙台高校での教えは今の自分のベースになっています。というか、ベースになっていることしかないです」
片岡は『普通の子』が集まる仙台高を象徴するような選手だ。特別に能力が高いわけでも、サイズがあるわけでもない。バスケが大好きで、地元の高校に憧れ、入試をクリアして入学した。大学でも関東3部からのスタートで2部に上げている。高校生の頃、プロの第一線で活躍することを想像するのは難しかったかもしれない。けれども、粘り強くひたむきに戦う姿勢こそが生きる道だと身につけたスタイルは、今では片岡大晴を表す『個性』になった。
ただ――普通の子がプロの第一線で戦うためには、志村雄彦同様、逆境や環境のハンデにも屈せずにやり続けられる『図太さ』を持ちあわせていたことも付け加えておきたい。
文=小永吉陽子
◆後編に続く
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