2025.11.01
福島県出身の渡邉拓馬氏がゼネラルマネージャー(GM)として地元に凱旋した。2024-25シーズンにB2リーグで15勝45敗と低迷した福島ファイヤーボンズの再建を託された新GMは、就任早々にチームの血を入れ替える大改革に踏みきった。
いまだシーズン序盤ではあるものの、今シーズンは白星先行の好スタートをきっている福島。“故郷のクラブ“を変えるために何をしたのか。インタビュー前編では、渡邉GMの決断の裏側と編成に込めた思いを訊いた。
インタビュー=藤田皓己
写真=鷹羽康博
――京都ハンナリーズのGMを務められていた今年4月、2024-25シーズンの終了を待たずに、2025-26シーズンから福島ファイヤーボンズのGMに就任されることが発表されました。どのような経緯で移籍されたのでしょうか。
渡邉GM 京都で4シーズンGMをやって、クラブも良くなってきているなか、自分の中で“慣れ”の感覚も出てきていました。これは現役時代から一番警戒している感情で、「これでいいか」という甘えが芽生えるのは良くないと思っていたんです。京都から契約延長のオファーもいただき、前向きに受け止めていたのですが、故郷のクラブである福島の西田創社長からオファーが来たことでスイッチが入るような感覚がありました。
福島の結果は以前から気にしていましたし、昨シーズンは不本意なシーズンを過ごしていたことも知っていました。京都在籍中は他クラブのオファーを断ってきましたが、自分の将来を考えた時にこのタイミングでチャレンジすべきだと感じましたし、今回はタイミング的に検討が可能だったので本格的に交渉に入りました。
――交渉の過程についても可能な範囲で教えていただけますか。簡単な決断ではなかったと思います。
渡邉GM B1クラブからB2クラブに移るということもあり、当初は条件面でギャップがあり一時は話がなくなる可能性もありました。ただ、西田社長とやりとりを重ねるなかで、自分がGMに就任するか否かに関係なく、「福島は根本から変えないと、絶対に変わらないと思いますよ」と率直な思いを伝えたことがありました。
――交渉の場でお互いの思いをぶつけ合うことはバスケ界では一般的なのでしょうか。
渡邉GM そんなに多くはないと思います。福島が自分の地元で、これまで何度も会話を重ねていた関係性、西田社長の人柄もある程度理解していたこと、そしてクラブの目標が明確だったことから、そのような言葉が出てきたのかなと思います。今までなら条件が合わなければ「ごめんなさい」という一往復のコミュニケーションで終わっていたのかもしれないですが、今回は福島の状況と目標が明確だったので、なぜか自分の意思を伝えたくなって…。その思いが西田社長にも届いたのかなと思います。経営陣はバスケットボールに詳しくない方も多いので、現場の思いよりはビジネスライクになりがちだと思うんです。こんなに率直に話せる機会はそう多くないと思います。

[写真]=鷹羽康博
――GM就任前、福島ファイヤーボンズにはどのような印象をお持ちでしたか。
渡邉GM うーん…そうですね。失礼な言い方かもしれないですけど、クラブとチームが一体となって情熱を持ってやろうとはしているんですけど、上手く噛み合っていない、継続性がない印象でした。名前のある選手やコーチが来ていたものの、チームとしての思いや情熱が体現されず、試合を見る人に伝わりきっていない気がしていました。私はクラブの中のことがわからなかったのですが、もがいているように見えましたね。
――見方によっては伸び代があるチーム状況とも言えます。GM就任に際して福島にどのようなポテンシャルを感じていましたか。
渡邉GM 正直ポテンシャルはあまり考えていなかったです。自分の使命感、運命を強く感じていました。2024-25シーズン中に就任が発表されたので、個人的に福島の選手とスタッフにヒアリングしてみたんですが、自分が感じていたことと彼らが話していたことが一致していた。これは根本から変えなければ変わらない、と感じましたね。ただ、最初から選手全員を入れ替えるつもりはなく、残ってもらうよう打診をした選手とスタッフもいました。最終的に笠井康平選手一人を除きロスター入れ替えとなりましたが、それくらい大改革が必要だと思いました。
――選手のみならずコーチも交代。大胆な再編でした。編成はすべて渡邉GMが主導されたのですか。
渡邉GM 途中までは京都に残る想定で2025-26シーズンの編成もしていましたが、福島に決めた後は福島一本で編成を考えていました。選手とスタッフの編成は自分が主体となって進め、西田社長と時には衝突もしながら意見交換し、お互いをリスペクトしつつ歩み寄った結果、現在の体制になっています。
――ロスターの構築で最も重視したポイント、選手やコーチに「これだけは守ってほしい」と伝えたことはありますか。
渡邉GM 人と人の関わり方ですね。この仕事をやるうえでずっと大切にしてきたことです。「謙虚さ」「思いやり」「歩み寄り」。これができない人は難しいと伝えました。加えて「福島でやりたい」という強い思いです。現状維持ではなく、福島のため、そして自分自身のためにもう一度チャレンジする強い意志がある人。そこが軸にならないと、途中で逃げたり言い訳が出てきたりすると思ったので、スタッフも選手もコーチも、“思い”を持つことを絶対条件にしました。

[写真]=B.LEAGUE
――ヘッドコーチの選定についてはいかがでしょうか。台湾で優勝経験を持つライアン・マルシャンHCを招聘しました。
渡邉GM ベテランコーチか若手コーチか迷ったのですが、新しくカルチャーや規律を作るうえでは、野心を持った若いコーチが適任だと考えました。さらに選手たちに求めたのと同様、他者を尊重する謙虚さを持ち合わせ、共に成長し、苦境でももがいて前を向いていける人間性も重要視しました。ライアンHCは36歳と若く、ミーティングを重ねていく中で、バスケット観も自分と近かった。台湾での実績による“勝ち癖”、勝利への考え方、運も持っているということを含め、ポジティブな要素が揃っていたので、チームの指揮を託すことにしました。
――京都のGM時代とは環境も大きく異なるかと思いますが、GMとしての仕事内容は同じですか。
渡邉GM ほぼ同じですね。京都で4シーズン学んできたことを、状況の異なるチームで再び実践し、人としてもGMとしても次につながる経験をしたいと考え福島を選んだところもあるので。状況もカテゴリーも選手やスタッフのキャリア構成も京都と違いますが、自分の軸は変わらずにやっています。
――開幕から白星先行の好スタートです。手応えはありますか。
渡邉GM 手応えとしては悪くないと思います。進んでいる方向も間違っていないし、立て直せる自信もあります。ただ簡単ではないと日々感じていて、試合の結果の善し悪しではなく、GMとしての人との向き合い方が難しく、学ぶことが多いですね。自分がどうあるべきか、自分が感じたことをどこまでどのようにして伝えるべきなのか、そのバランスが難しい。誰かに相談できることでもないので、感じて、学んで、新たにアンテナを張る、という繰り返しです。自分にとっては本当に学びが多い日々です。
――“学び“を感じるのは、どういった瞬間なのでしょうか。
渡邉GM 選手やスタッフが新たな環境で抱える悩みや不安を自分に吐き出してくれることが多々あります。そこで自分は、彼らが次のステップに進めるような言葉やアドバイスを与えることができるか、というのがGMの仕事だと思っています。そういう人たちと向き合う経験は貴重であり感動的なんですよね。
当然、Bプレミア参入というクラブが掲げる目標と、チームを勝たせる編成をしなければいけないという2つの仕事が目の前にあるのですが、そこに留まらない役割がGMにはあると考えています。

[写真]=鷹羽康博
――現在の福島の課題と強みを教えてください。
渡邉GM 人間的に素晴らしい方が集まっていて、何事もスムーズに進むことが強みです。敢えて言うと、逆に“やんちゃさ”が足りないくらい良い人が多いですね。この1~2年でチームの基盤を作るうえでは、素晴らしい選手・スタッフなので心配していません。一方で弱みとしては、新チームゆえ試合では脆さも出やすいです。昨シーズンプレータイムが少なかった若い選手も多いので、コーチングでは伝えきれない試合の流れを読む力、落ち着かせる判断には課題があると感じています。ただ、チームの雰囲気、コーチングの進め方、コーチの選手への歩み寄り方には満足しています。若い選手たちもいい経験を積んで前に進んでいると思っています。
――今シーズンはホーム開幕戦で勝利しました。2025年4月にリニューアルオープンした宝来屋ボンズアリーナの雰囲気はいかがでしたか。
渡邉GM 素晴らしい一体感でしたね。めちゃくちゃ大きいわけではないですけど、熱気が伝わる素晴らしいアリーナです。サイズも今のクラブの状況に合っているかなと思います。これからどう変わっていくかわからないですけど、福島県全域に存在感を示す上でも、「あそこに来たら楽しい」と思える空間になっていると思います。
――Bリーグ開幕10周年を迎えました。あらためて地元にクラブがある意味をどのように感じていますか。
渡邉GM 地元の学生に話を聞くと、福島出身の子たちがボンズでやりたいという思いを口にしてくれることも多いんです。自分が選手の時は「福島か~」と思うこともありましたけど(笑)、ちょっとずつ変わってきているので、もっと学生が「福島でやりたい」と感じるチームに変えていかなきゃいけないですね。

[写真]=B.LEAGUE
まだまだ先は長いですけど、地元にクラブがあることは大きいと思います。日本全国どの地域でも同じでしょうけど、グッズを着たファンが街を歩いているということが信じられないといいますか、昔からバスケットボールをやっている人たちは「こんな時代が来たのか」と感じていると思います。
現時点で福島はBプレミアに参入するクラブから少し遅れをとっていますけど、東京からアクセスもしやすいですし、福島県全域を巻き込んでいければ変わっていくと思います。東日本大震災の2年後にできたクラブでもあり、地元のためにやらなきゃいけないという使命感もあります。
(後編につづく)
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