2021.05.20
愛知県名古屋市に本拠地を置く豊通ファイティングイーグルス名古屋は、2016年のBリーグ開幕からB2リーグの中地区で好成績を残し続け、2地区制となった2020−21シーズンも西地区2位の36勝22敗でレギュラーシーズンを終了。B1リーグ昇格に向けたプレーオフの挑戦権を得たが、B2ライセンスを交付されたことで、結果に関わらず2021-22シーズンも引き続きB2の舞台で戦うことになった。今回はクラブの現状や未来構想について、Bリーグ初年度から代表取締役社長を務めた坂口肇シニアアドバイザー、新たにクラブを託された鈴木浩昌代表取締役社長の2人に話を聞いた。
インタビュー=村上成
ーーファイティングイーグルス名古屋に携わることになったきっかけを教えてください。
坂口 ファイティングイーグルスがまだ実業団だった頃、NBDLというリーグで活動していました。私はバスケットボール好きということもあって、よくファイティングイーグルスの試合を観に行っていたので、2013年に実業団の「豊田通商バスケットボール部」の顧問をやってくれと頼まれ、引き受けました。その後、「2016年にBリーグが誕生するという新しい構想が出てきたけど、誰が責任を持ってファイティングイーグルスを運営していくんだ」という話になり、当時、バスケットボール部の顧問をやっていた私に打診することになったようです。好きなバスケットボールに関わることができるわけですから、「ぜひやらせてください」と引き受けました。
ーーファイティングイーグルス名古屋は、母体となるバスケットボール部が1957年に誕生した歴史あるクラブです。どのような経緯でBリーグに参戦することになったのでしょうか?
坂口 選手たちと話していると、「より高いレベルでプレーしたい」という気持ちが強いと感じました。実業団では限界を感じていた中で、ちょうどバスケットボールのプロ化という話が浮上したので、オーナーの豊田通商株式会社に「プロ化をさせていただきたい」と提案しました。豊田通商の中でもいろいろな議論があったと思いますが、最終的に「プロ化にチャレンジしよう」ということになりました。
ーー社長を務めた2020年までの4年間において、プロ化を目指して良かったと感じたこと、大変だったことを聞かせてください。
坂口 ファンが着実に増えていくことに大きなやりがいを感じました。チームを応援してくれるファンの輪が広がっていくのを肌で感じられたのは良かったです。一方で大変だったのは、スポンサーの獲得はもちろん、入場料収入などをとおしてお金を稼ぐこと。日本でメジャーになりきれていないバスケットボールでお金を稼ぐのは非常に苦労しましたし、今も苦労している部分だと感じています。
ーー2021年4月に鈴木さんが代表取締役社長に就任しました。
鈴木 バスケットボール部OBの村田(稔/現取締役)が坂口さんの後任として代表取締役社長を今年の3月まで務めていて、4月1日をもって私にバトンタッチした形です。愛知県は学生年代を含めバスケットボールが盛んな地域ということもあって、私も小学校からずっとバスケットボールをプレーしていました。たまたま入学した中学、高校が何回も全国大会に出場していたこともあって当時は全国大会(全日中・インターハイ)を目指しバスケットに夢中でした。大学時代はバスケットボール部のスタッフとして活動し、社会人になるタイミングで愛知県に戻ってきました。その後、縁があって豊田通商に入社しました。
当時のバスケットボール部は愛知県実業団の1部で、「日本リーグに入れるといいな」くらいのレベルでした。外国籍選手も迎え入れて本格的に取り組むようになり、1988年に日本リーグ2部に参入し、1990年に日本リーグ1部に昇格。その後は毎年のようになかなか勝てず、入れ替え戦に回ることを繰り返していました。1部最後のシーズンはアイシン精機(現シーホース三河)さんが力を入れ始め、シーズン途中に鈴木貴美一さんをヘッドコーチに招聘。入れ替え戦で対戦することになり、我々は鈴木さんが準備してきたゾーンディフェンスに苦しみ、負けて2部に降格してしまいました。結局、1999年に仕事の関係でアメリカに駐在するまで、11年ほどチームに帯同していました。
ーー今回は“復帰”を果たしたと。
鈴木 そうですね。私の役目は20世紀で終わったはずなんですけどね(笑)。約20年ぶりの復帰になります。
ーーBリーグに挑戦するクラブをどのように見ていましたか?
鈴木 実は昨年のコロナ禍以降、営業の一環としていたゴルフがなくなったので、OBとして試合会場に行く機会が増え、村田とよく一緒に試合を観戦していました。昔と比べて、明らかにバスケットボールの技術、スピード、シュート力などさまざまな競技レベルが高くなっているなと。現場の“勝つバスケット”ばかり経験していた人間なので、クラブの中に入った今は坂口さんから教えていただきながら取り組んでいるところです。
プロのエンターテイメントとして、儲ける力、自立して稼いでいく力を持つことは難しいなと感じます。ただ、プロスポーツ界の先輩でもあるJリーグさんなどもこのような苦しい道を歩んできたはず。BリーグもいずれJリーグのように広がり、子どもたちに夢を与えられるような存在になりたいです。今は街中でサッカーボールを蹴っている子が多いですけど、バスケットボールをついている子どもがもっと増えるように、環境面も含め変わっていくといいなと思います。
ーー“プロのチームになった”と感じた出来事はありますか?
坂口 B2リーグですけど、実業団の時よりも各試合のレベルが高まり、勝利に対するこだわりも強くなったなと。現場で見ていると、勝負に対する厳しさははるかに強くなったと肌で感じました。
鈴木 日本リーグ時代に比べると、格段に変化しましたよ。試合会場はショーアップしていますしね。バスケットボール好きだけが試合会場に来ているのではなく、選手のファンや、演出や試合を楽しむ人も多くなりました。
ーー同じ愛知県に本拠地を置く名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、シーホース三河、三遠ネオフェニックスと比較し、ファイティングイーグルス名古屋にはどのような特徴がありますか?
坂口 5年前にBリーグが立ち上がる時、愛知県は競争が激しくなるなと。B1に3チーム、B2に我々、B3に豊田合成スコーピオンズ、アイシン・エィ・ダブリュ(アレイオンズ安城)が所属し、さらに女子のWリーグも盛んな地域ですから。我々のユニークネスを全面に出していこうということで、「選手とファンの距離が一番近いチームにしよう」と打ち出しました。どのようなことに取り組んだかというと、ファンの方々に試合後の出待ちを許可しました。選手には試合が終わったあと、「出口で待っているファンと最低30分は話をしなさい」と伝えていました。ただ残念ながらコロナ禍になり、その軸が使えなくなってしまったことでこの1年間はすごく苦労しました。
ーーコロナ禍の前までは「選手とファンの距離が一番近いチーム」を表現できたと感じますか?
坂口 表現できたと思います。今後のことは鈴木が決めることですけど、新型コロナウイルスが収束したら改めて出待ちを許可してほしいと思います。
鈴木 今はできること、できないことがあると思います。できることは積極的に取り組んでいきたいですし、今までのいい部分はさらに伸ばしていきたいです。
ーー名古屋D、三河、三遠と比べて、現状の課題はどのような部分だと捉えていますか?
鈴木 3チームと比べると、集客力がまだまだ足りなく、お客さんの数も少ないです。ファンとの距離が近いことで、細かくいろいろなコミュニケーションを図れる良さもありますけど、第一に集客力を上げること。もっといろいろな発信をして、まずはゲームに来ていただけるようにしたいです。そして「もう一度来たい」と思ってもらえるようなゲームや演出を見せ、リピーターになってもらうことも重要です。口伝えなどでも集客につながる形が取れたらと思っています。
発信以外ではクリニックという形で、名古屋市周辺でリクエストがある小学校や中学校を回る貢献活動をやってきました。今は新型コロナウイルスの影響で動きづらくなっていますけど、うまく継続できればと思っています。そういった活動も集客力アップにつながり、輪が広まる要因にもなるはずです。現状はほかの3チームと差がありますが、地道な努力を続けてその差を埋めていかなければいけないと思っています。
ーーサッカーの名古屋グランパス、野球の中日ドラゴンズ、フットサルの名古屋オーシャンズなど、愛知県にはバスケットボール以外にも多くのプロスポーツチームがあります。参考にしているチームはありますか?
鈴木 先日の試合にはグランパスさんの小西(工己)社長に来ていただいて、グランパスくんとリードくんの両マスコット、両チームのチアでいろいろな企画を行いました。コラボ企画だけではなく、マーケティングをはじめグランパスさんの取り組みを勉強にさせてもらっています。我々にも使える部分が多くあるので、そういった部分を見習いつつ、プロ野球を含めいろいろなことを参考にしていきたいです。
坂口 グランパスさんはJ2に降格した経験がありますけど、今はJ1でトップを争うチームになっています。また、数年は集客に苦労して観客の少ない時期がありましたけど、今はチケットが完売する試合も多くあります。そういった面でもグランパスさんから学ぶことは多くあると考えています。
ーーコロナ禍になり、地域密着という部分が難しくなったと思います。どのような手法で乗り越えていこうと考えていますか?
坂口 議論していろいろとトライしていますけど、正解はまだ見つかっていないです。コロナ禍でどうやって安全、安心に試合運営をしていくか、チーム運営をしていくかは、この1年における最優先事項でした。この中でどのようにしてファンとコミュニケーションを取っていくかを考えるまで至っていないですね。努力していかなければいけない部分です。
ーークラブの存在は名古屋の中でも認知されてきたと思います。今のベースを上げていくために注力したいことは?
鈴木 「こうしたらこうなる」という方程式がない中、ありたい姿としてはアメリカのプロスポーツ。スポーツが生活の一部になっている部分も多く、おらが街の大学であり、おらが街のプロスポーツチームなんです。試合がある日はバーベキューでもしてからゲームを楽しんだり、スポーツバーに行ったり、友人と家に集まったり。いろいろなところで生活に溶け込んでいて、すごくスポーツを楽しんでいるんですよね。日本にもエンターテイメントとして大きくしていく可能性がまだまだあると思っています。我々に限らずですけど、そのレベルまで引き上げられるようにしたいです。Bリーグが立ち上がったことで、バスケットボールというマーケットがそういうものを作っていくようなイメージです。この地域、Bリーグ全体をうまく盛り上げていくような形を取らなければダメだと思っています。
ーーお2人は学生時代にバスケットボールに親しんできましたが、当時はバスケットボールのプロ化をイメージできなかったと思います。Bリーグが開幕して5年経った現在の状況をどのように考えていますか?
坂口 なにで判断するかによりますが、まだまだだと思います。人口3億人を超えるアメリカには多くのメジャーリーグチームがあり、アイスホッケー、フットボール、バスケットボールのクラブも多数あります。そして、それぞれで大規模なスポーツエンターテイメントが成り立っています。それに比べ、アメリカの約半分の人口である日本は、プロ野球が12球団、サッカーのJ1リーグが20チーム。そう考えると、もっともっと大きくなっていってもいいのかなという気がします。まだまだこれから、ですね。
鈴木 私も同様の印象です。バスケットボールをやってきた人間であることも含め、「こうあってほしい」という思いがあります。たくさんの得点が入るおもしろいスポーツですからね。ただ、おもしろさを知らしめるだけのパフォーマンスができていないんです。だからこそ、露出する機会を増やし、知ってもらうような取り組みができればいいのかなと。我々が小学生の頃、日本リーグには多くのスター選手がいました。愛知県の体育館で、松下電器や日本鋼管というチームが試合をしていて、「すごくかっこいいな」と思いながら観ていました。今でこそメディアでの露出が増えているものの、競技人口はあまり増えていないと聞いています。そこで、どうやってサッカーのように競技人口を増やしていくか。そういう意味で、まだまだこれからだなと思います。
ーークラブとしてB1ライセンス取得を目指していく上で、どのようなビジョンをお持ちでしょうか?
鈴木 B1に昇格するための条件として、第一にチームが強くなくてはなりません。昇格するための強化ではなく、昇格後にも戦えるような強化をしなければいけない。強化に力を入れ、まずはチームの戦力アップを図っていくことが大切だと考えています。それと同時に、ファンの皆さんとの関係作りを工夫していく必要があります。現在のB1にはいろいろなクラブがあり、それぞれから学ぶべきことは多くあります。いいところを取り入れつつ、自分たちらしくできるところは変えていかなくてはなりません。まずはそこから、という考えです。
ーーB1で戦えるチーム力を蓄え、他クラブからいいところを取り入れていくと。アリーナについては、どのような考えをお持ちですか?
坂口 B1ライセンスに必要な5000人収容のアリーナについては名古屋市に常にお願いしていますが、なかなか前進していないのが現状です。今後も行政にはいろいろなお願いをしていきますが、行政以外のオプションも探っていかなくてはいけません。
ーーBリーグは「夢のアリーナ」構想を持っています。単純にスポーツを開催するだけでなく、アリーナを中心としてエンターテイメントを提供していこうと。そういった形を作っていきたいという思いはありますか?
鈴木 アリーナという人の集まる場所に見合って、お客さんの数、クオリティーが上がっていきます。私がアメリカ駐在中に7年ほど住んだケンタッキー州は、日本でいう能代市のような場所でした。田舎でありながらバスケットボールの強豪ケンタッキー大学(UK)があり、本拠地として、2万3000人を収容するラップ・アリーナを所有しています。3階席はコートからの距離が遠く、テレビ観戦をしたほうが見やすかったりもするんですが(笑)、それでもいつも満員でチケットを入手できないこともあるぐらいです。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)と同じぐらいの優勝回数を誇っていますから。
バスケットボールの殿堂と言える場所ができ、市民が集ってくる。そういった光景を見ると、Bリーグでいう5000人を収容するアリーナというのは、そこまで大きな話ではないと思います。いずれ5000人という収容人数では足りなくなるような状況になるのではないかと。1964年、東京オリンピックの開催にあたり、3300人ほどを収容する代々木競技場第二体育館ができました。バスケットボールの殿堂として成り立ってはいますが、やはり寂しさがあります。アリーナの大きさに負けないように、我々は頑張っていかなければならないと考えています。
ーーアリーナが大きかったとしても、それに耐えうるチームであるために強化していこうということですね。バスケットボールには5000人の観客が入るポテンシャルがあると。
鈴木 はい。そのとおりです。
ーー名古屋市との連携という面ではいかがでしょうか?
坂口 連携は強いと思います。市のスポーツイベントなどに我々の選手が参加することもありますしね。今我々がメインアリーナとして使用している枇杷島スポーツセンターに関しても、優先的な使用権を与えてもらっています。
ーー今のチームをB1でも戦えるようなチームに育て上げる一方で、将来に向けて育成にも力を入れていく必要があるかと思います。アカデミーの取り組みについてはどのように考えていますか?
坂口 U15チームの設立が義務付けられた時、我々は全チームの中で最初に作ったくらい力を入れています。それまでもスクール事業を手広くやっていたので、すぐに中学生のチームを作ることができました。初年度のチャンピオンシップで優勝するなど実績も十分です。来年の2月くらいまでにU18のチームを立ち上げる予定で準備しています。
ーーファイティングイーグルス名古屋は名古屋市にとってどのような存在でありたいですか?
鈴木 この地域の方々に近い存在でありたいなというのが一番の想いですね。そのためには先ほども言ったようにいろいろなことへ取り組まなければいけません。名古屋のこの地域の、自慢できるような一つの顔として成り立っていられるようなチームにしたいと思います。
坂口 鈴木にバトンを渡した身ですけど、ユニークネスがどこにあるのかをもう一度検証して、「ファンに一番近いチーム」という軸をうまく継承していただけるとありがたいなと思っています。それと今、「名古屋」という名前がつくのはBリーグ内で名古屋ダイヤモンドドルフィンズとファイティングイーグルス名古屋の2チーム。希望としてはサッカーのプレミアリーグでマンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティという2大チームによる“マンチェスター・ダービー”が行われるように、名古屋市が一番盛り上がる“名古屋ダービー”をできるように一刻でも早くB1に昇格したいです。“名古屋ダービー”をするにはほど良い大きさの市だと思っていて、人口200万規模の市にある2チームが競い合うダービーマッチをできるような環境を早く完成させたいなと思っています。
ーー2020-21シーズンは終了してしましましたが、来シーズンに向けた抱負をお聞かせください。
鈴木 今シーズンもプレーオフでの優勝を目指していましたが、残念ながらクォーターファイナルで敗退してしまいました。来シーズンこそはぜひB2優勝を果たしたいと思います。これから、来シーズンのチーム構成をしっかり考え、戦力アップを図り、B1に昇格しても戦える体制作りをしていきたいです。選手一人ひとりの向上はもちろんですけど、チーム全体としてレベルアップを図るためには何ができるかをしっかりと考えて、ポリシーを持ったチーム強化をしていけたらと思っています。
2021.05.20
2021.05.17
2021.05.14
2021.05.13
2021.05.09
2021.05.08
2021.05.14
2021.05.14
2021.05.14
2021.05.13
2021.05.13
2021.05.12