2023.01.25

ノーザンイリノイ大で挑戦を続ける須藤タイレル拓「下から這い上がっていくバスケ人生」

ノーザンイリノイ大でプレーする須藤タイレル拓 [写真]=Reily Rogers
ロサンゼルス在住ライター

 全米大学体育協会(NCAA)でディビジョンⅠ(DⅠ)のノーザンイリノイ大学に所属する須藤タイレル拓(アメリカでは父親の姓を使いタク・ヤングブラッド)は、相当なチャレンジャーである。

「そういう人生だったので」

 そう語る21歳は、大学1年目の今シーズン出場機会が限られ、ここまでベンチを温めることがほとんどだ。もちろん怒りは感じる。しかし「苦しくはない」と言い、むしろこの逆境を自らの成功のためになくてはならない通過点のように捉えている。

 昨年の12月12日、ノーザンイリノイ大は敵地でゴンザガ大学と対戦。かつて八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)がスター選手として脚光を浴びたアリーナに足を踏み入れた須藤に、これまでの道のりについてや、現在の心境を聞いた。

取材・文=山脇明子

「日々上手くなろうということに集中しています」

――バスケを始めたきっかけは、小学4年生のときに助っ人で呼ばれたことだと聞きましたが。
須藤 そうですね。小学4年生以下が出るヤングカップという大会があって、僕の友達がチームに入っていたんですけどメンバーが足りず、それで『拓やってみなよ』と言われたのがきっかけです。そこからハマって、ずっとバスケをしています。それまでは休み時間とかに軽く友達とやるぐらいで、別に好きじゃなかったんですけど、友達に呼ばれて(試合を)やって初めて好きになりました。でもそのときはまだ楽しんでやっていて、小学6年生ぐらいから真剣にやりたいと思い始めました。

――アメリカでやりたいと思ったのはいつごろからですか?
須藤 ユースで一緒にプレーしていた2つ上の先輩、小林良さん(現ブリッジポート大学)がスラムダンク奨学金に受かったというのを知って、『僕も挑戦したいな』と。それまでは普通に日本のトップの大学に行こうと思っていたんですけど、アメリカに行った方が絶対上手くなると思い、スラムダンク奨学金を見つけた瞬間に『これをつかみ取ってアメリカに行こう。そこからアメリカの大学に行こう』という計画を立てました。

――高い目標を持ったときから、バスケへの取り組み方は変わりましたか?
須藤 わりと自分は、毎日その日のことしか考えていなくて、あまり先のことは考えていません。『今のそのときにしっかり集中しろ』というのは、僕が中学2年生のときの外部コーチに言われて、それが頭の中に残っていて、それからずっと今を大事にするということをしていますね。

――言われたことをしっかり受け止めることのできるタイプなんですね。
須藤 言われたことをやれば、試合に出られるっていう単純な計算なので。もちろん体力だったりとか、力だったりとか、フィジカルもメンタル面もあったりと、ほかにもいろいろあるんですけど、やっぱり今言われたことを1個1個ちゃんとミッションとしてクリアして、チェックをつけていくというのは頭の中にいつも入れています。段階を踏んで上手くなって、1個チェックがついたら、コーチもできていると認めてくれて、また次のミッションをくれます。

――スラムダンク奨学金で進学するセントトーマスモアスクールというのは、バスケットではどんな学校なのですか?
須藤 上手い選手を集めて強いチームを作るというより、そこそこの選手たちを上手くして、上手い選手を集めたチームに勝っていくというスタイルなんです。そういう姿勢なので、コーチの推薦とかもありません。僕は“postgraduate”(高校を卒業後、大学進学を目指す)という学年だったので、みんなその1年が終わったら卒業です。だから毎年チームが入れ替わります。僕はコロナの影響があったので、もう1年いましたが、2年とも全く違うメンバーでした。一緒だったのは一人ぐらいです。僕が1年目のときに1個下のチームでやっていたビッグマン(アルバニー大学のジョナサン・ビーグル)が次の年に僕と同じチームになりました。(インタビュー時で)次のホームゲームの相手が、彼がプレーするチームなので楽しみです。一番仲が良く、いつも一緒にいました。

――アメリカでバスケをはじめて、差を感じたのはどういう面ですか?
須藤 フィジカル面くらいですかね。やっぱりみんな大きいので、自分も鍛えていかなきゃいけないと思いました。

――日本でやってきた自分のスキルは通じると感じましたか?
須藤 通じるものもあれば通じないものもあるという感じです。ディフェンスをしてすぐ速攻、決められてもすぐ速攻というのが僕の高校のバスケットスタイルでしたが、アメリカではどちらかといえばハーフコートピックアップの方が多くて、ゆっくりとしたバスケなので。僕自身3年以上そういうバスケをしていなかったから、そこに慣れるのに少し時間がかかりました。

――それくらいしかギャップを感じなかったというのは、日本でやってきた何が良かったからだと思いますか?
須藤 コーチがすごく良かったと思います。横浜清風高校の(三宅学)コーチが僕の能力を見つけてそこに力を入れてくれました。めちゃくちゃ厳しいんですけど、言っていることは全然間違ってなかった。当時の自分だったらこんなことは言わず、ムカついていますけど(笑)。今思うとやっぱりあそこにいて良かったなってすごく思いますね。高校もプレップスクールもそこにいて良かったなって。

――パンデミックにより、須藤選手の渡米も遅れましたが、制限されて辛かったことはありますか?
須藤 バスケの面ではマスクをつけてやるぐらいで、そこまでしんどくはありませんでした。学校内での私生活面がしんどかったかな。部屋にいるとき以外は常にマスクという感じでしたし、みんな部屋の中に閉じこもって出られなかったので、1年目のチームメートとは、あまり交流ができませんでした。コート外ではみんな別々だったので、チーム力というのは感じませんでした。2年目は自由に外にも出られたので、みんなで廊下ではしゃぎ回ったりしてすごく楽しかった。みんなアホなことばっかりしていました(笑)

――大学1年生の今シーズンは、ここまであまり出場機会がない状態ですが、今の状況をどのように受け止めていますか?
須藤 もう試合でどうこうしようというよりも、日々上手くなろうということに集中しています。出るか出ないかは僕次第じゃないので。コーチの判断で僕を出さないなら、じゃあもっと上手くなろうと。そう考えてからは、コーチのことが気にならないようになりました。まずは自分のことに集中しようって思っています。でも出されたときはちゃんと結果を出せるように、いつでも準備して毎日やっています。

――今日(12月12日のゴンザガ大戦)は、最後の1分の出場でしたが、それでもチームメートに声を掛けたり、励ましたりと一生懸命チームに貢献していました。試合に出られないことへの憤りなど、その辺の心のバランスは難しいのではないですか?
須藤 自分がプレーしていないからといって、仲間を応援しないというのは違います。やっぱり自分が出ていない分、仲間が頑張ってくれているので、しっかりサポートできるところはサポートしないといけません。それは自分が出ていても出ていなくても同じだと思っています。僕が出たときもチームメートから同じ対応を受けると思うので、見返りを求めてやっているわけではありません。チームメートが好きだし、頑張ってほしいからコート外でできることを全部します。それはいつでもそうです。

――試合を見ながら自分だってできるというのは絶対にあるじゃないですか?
須藤 あります。

――めちゃくちゃあるでしょう?
須藤 もちろんあります。

――ここで自分を使ったら絶対にできるのにという気持ちは、自分の中でどのようにコントロールしているのですか?
須藤 抑え込んで、練習で見せてやろうっていう意識しかないですね。出ないと分かっているんだったら、練習でそれを見せるしかないので。言う分にはいくらでも言えますけど、やれるかどうかなので、そこをしっかりやっていかなければならないと思っています。

――耐えた先に何かがあるはずだという気持ちは強くありますか?
須藤 そうですね。最初はあまり上手くいかなくて、苦しんで、苦しんで、何年か経ったときに自分がそのチームでベストの選手という、そういうバスケ人生だったので。下から這い上がっていくみたいな、ずっとそういう位置に自分を置いていました。入ってすぐに自分が一番みたいな場所だと、成長できない感じがして嫌なんですよ。落ち着かない。だから常に自分よりレベルの高い選手がいるところに身を置きます。中学とか高校のときも入ってすぐ先輩に1対1をしかけたりとか、試合の中でもすぐにドライブを仕掛けて、どういうのが通じるのか、どういうのが通じないのかっていうのを自分の中で試行錯誤して、自分で道を見つけてという感じでずっとやってきました。(試合に出られないという)今の状況はムカつきますけど別に苦しくはないです。もう慣れています。

――ゴンザガ大からNBA入りを果たした八村塁選手も1年生のときに相当苦労したので、それを思い出しました。八村選手の存在は、いつごろから知っていましたか?
須藤 自分が中2のときだったかな。高校2年生でインターハイに出ていて、そこで見て『すげえ!』と思って(笑)。次の年にもまた出ていて『すげえ!』、そしてアメリカに行くと聞いて『すげえ!』みたいな(笑)。八村さんは中学のときからずっと僕の中で偉大な選手の中にいます。

――今日はゴンザガ大のコートに立って、どんな感じでしたか?
須藤 笑顔がもれました。ああ、やっとこういう会場に来られたなという喜びが出ました。心から。

――将来は、自らのどんな姿を思い描いていますか?
須藤 自分の一番大きな夢はNBA選手になることなので、そこに向けて日々上手くなって、バスケットIQも高めていきたいです。

「一番大きな夢はNBA選手になること」と須藤 [写真]=Reily Rogers


――コロラド州立大学からもオファーがあったなか、ノーザンイリノイ大を選んだのは?
須藤 こっちの方がチーム的に落ち着いたっていうのと、あとはやっぱり最初から強いチームに行くより、ちょっとレベルが下のチャレンジがある方が自分は好きなので。今もそういう状況なんですよ。あまり勝てていない。でもメンバーはそろっています。しっかり歯車が合えば、絶対にいいチームになると思います。

――チャレンジがあったり、ムカつくぐらいの方がいいのですね(笑)
須藤 そうですね。ムカつく方が自分には合っている。ルンルンな感じでやっていると何か落ち着かないんです。何かあった方がいい。何か向かっていくものがあった方が落ち着く。日々そういう状況に自分を置いていました。バスケを始めたときからそうです。みんな遊びに行くって言っても自分1人バスケットコートに行ってシューティングしていました。友達が僕にキレて『何でお前遊びに来ないんだよ』って言われましたけど、『練習したいから』って答えていました。遊びに行くなんていつでもできる。僕はシューティングがしたいって思っていました。しかも僕の家が学校から徒歩1分ぐらいのところだったんですよ。だから学校が終わったらダッシュで家に帰って、かばんも玄関から投げて、玄関にあるボールを拾ってすぐ学校に戻って、みんながやっと校門出たぐらいで、僕は学校に戻っていました。学校の校庭にリングがあったので、そこで学校が閉まる時間までずっとシューティングをしていました。

――そのころは、憧れのNBA選手はいたのですか?
須藤 特にいなかったですね、そのときはただ楽しいからずっとバスケをしていました。中学ぐらいからデリック・ローズカイリー・アービングを見て、『やべえ、この人たち』って思って(笑)。それからずっと彼らを見ています。

――今は子どものときに亡くなられたお父様の生まれた国に来て、自分の夢を追っているわけですが、それだけにお父様のことを思い出すことも多いのではないですか?
須藤 毎日思い出します。どんなにいいことがあっても悪いことがあっても、父親に見せることはできないので。(2021年12月のブリュースター・アカデミー戦で)36得点を取ったときも、うれしいですけど、部屋に戻ったら喜びなんてどこかに吹っ飛びますし、どちらかというと悲しみの方が大きいかなと。毎日どんなにいいことがあっても、そのときはうれしいですけど、喜びが続くことはありません。

――その分、愛情を持って育てて下さったお母さまが日本から見守ってくれていますが。
須藤 偉大なお母さんですよ。だから親の期待に応えられるように頑張らなきゃと思っています。自分の夢を追って、一人で(日本に)置いてけぼりにして、自由気ままにやらせてもらっているので。

――漫画「スラムダンク」は自分のバスケと一緒に常にあるものですか?
須藤 そうですね。(初めて読んだときは)すごく心を動かされて、やっぱりバスケっていいなって思いました。だから辛いことがあっても、あのストーリーの中にあることを思い出して、自分の気持ちを落ち着かせて、続けるようにしています。

――あの漫画の中には、傷ついたり、辛いところから成功したりと、いろんなドラマがあります。自身のバスケ人生と照らし合わせたりもするのでは?
須藤 そうですね。しますね。これから照らし合わせられるような場面が増えていくのかなと自分の中では思っています。