Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
4月2日、日本バスケットボール協会から東京2020オリンピックへ向けた2021年度バスケットボール女子日本代表チームにおけるオリンピック代表候補選手28名が発表された。そこには、12月の皇后杯ファイナルラウンド準々決勝で右膝を負傷した渡嘉敷来夢の名前があった。リハビリに励む日々の今、渡嘉敷は何を思い、何を目標としているのか。3月12日にENEOSサンフラワーズのホームページに先に掲載された特別インタビューをもとにひもといていきたい。
取材協力=ENEOS
取材・文=田島早苗
試合後にはチームメートに「明日病院に行くけれど、今の段階では最悪のことを考えておいてほしい」と伝え、次の日に病院の診察室で改めてじん帯断裂と聞きました。
すぐに前向きになることは難しい状況でしたが、オペをしないと何も始まらないので、12月24日にオペ。そこから約1週間後に退院し、リハビリをしています。
――試合会場ですぐにじん帯断裂の可能性が高いと言われたわけですね。
渡嘉敷 はい。だからハーフタイムやタイムアウトの時にアース(宮澤夕貴)が「行けそう?」と聞くんですけど、試合中だからケガのことは言えなくて。でも、あの時は(ベンチで試合を見ながら)勝手に涙が出ていましたね。だってもう試合に出られないんですよ。勝手に涙も出てきますよ…。
ケガの直後はネンザをしたという感覚で、ちょっと膝をひねっただけだからテープ巻けば行けると思っていました。
正直、そんな簡単に切れるんだって。言ってしまえば、ジャンプして着地しただけなので。でも今は、いろいろ重なって起きたことだと思うようにしています。
――ケガをした試合を含め、皇后杯ではその後の準決勝、決勝と、ベンチでは気丈にふるまって声援を送っていました。
渡嘉敷 私は、良くも悪くもチームの中で影響力があると思っていて、あの状況で私が落ち込むと、多分チームも落ち込むんですよ。だから、個人の感情は一人でいる時にというか、みんなと一緒にいる時は、極力エネルギーを与えられるような存在でなければいけないと思っていました。これが引っ張ってもらう立場の選手だったら違うと思うのですが、今は引っ張る立場なので。
本当だったら行きたくなかったですよ、試合会場には。だってケガをした3、4日後にまた(同じ会場の)代々木第二体育館に行くんですから。バスに乗ってても気分悪くなるし、勝手に涙が出てくるし。やっぱり思い出しちゃうんですよね、ケガした時のことを。
とはいえ、すごく落ち込まずに済んだのは大会中だったということもあります。その期間だけでも前を向かないといけない状況で、前を向いた時にみんなが優勝をしてくれた。だから落ち込み幅は小さかったですね。これで負けていたら、もう責任を感じますよ。治るケガも治らないんじゃないかなと思います(笑)
――皇后杯、そしてWリーグの後半戦でもチームメートたちが頑張りました。。
渡嘉敷 一人ひとりのポテンシャルも高いですし、特にニニ(中村優花)に関しては、皇后杯の時のパワーワードは「いつも誰と練習やってるの?私とやってるんだから大丈夫だよ」でした。そういったポジティブな事しか言えないし、それが最大のパワーワードだと思ったので。
ベンチで座ってることは誰でもできるけど、自分の経験をどう伝えるか、それは勉強になっています。ココ(中田珠未)やニニにアドバイスしたことを彼女たちが試合で表現すると、『やっぱりこのプレーは通用するんだ』と再確認できる。知識も増えて、それまでとは違った見方もできるようになりました。
あとはベンチから見ていて、『みんなかっこいいな』と思います。特にレア(岡本彩也花)は、いつも一緒にコートに立っていたから気づかなかったけれど、やっぱりすごいですね。
――気持ちの切り替えはできましたか?
渡嘉敷 今でもまだ、『何で切れたのか』『もっとこうしておけばよかったな』と思ってしまうことはあります。それに一番は“悔しい”。だってオリンピックまであと半年のタイミングですよ。
――ケガした時、東京で行われるオリンピックのことは頭をよぎりましたか?
渡嘉敷 すぐに思いました。レアにいたっては、皇后杯で優勝したのに、そのことを察してか、「バスケの神様なんていないよ」って言ってましたから。
――東京については、状況を見ながら?
渡嘉敷 そうですね。私は今29歳ですが、まだ先のある選手だと思っているので、無理はしないです。でも、自分の膝だったら割と優秀なのでやってくれるんじゃないかなと思っているところもあります。だから諦めているわけではないですが、無理はしません。
面白いのが、私の心の中に2人の自分がいて。『絶対やってやる。負けない』という自分と『今までの渡嘉敷に戻れるのかな』という自分。その2人が、「東京オリンピックには出たいけれど、無理はしないでね」と意見が一致しているんです。
――半年後の状況次第ですね。
渡嘉敷 はい。これで本当に神様がいるかいないかが分かるかもしれないですね(笑)。まずは走れるようになってからかなと。今はオペをして2カ月だから大丈夫だと思っているけれど、3カ月目になったら現実を突きつけられて落ち込んでいるかもしれないです(笑)
――『先のある選手』ということはパリオリンピックにも期待が高まるのですが。
渡嘉敷 フランスに行きますよ、絶対。ケガをする前から『絶対にパリには行く』『東京で引退はしない』と言っていたので。もちろん東京のオリンピックも出たいですが、自動的にオリンピックに行けるというのではなく、自分たちの手で出場権をつかんでオリンピックへ出場したいという大きな夢を持っています。日本代表に入ることを目指し、そしてオリンピック出場を懸けて戦いたいと思っています。
――そんな渡嘉敷選手を支えているモチベーションは何ですか?
渡嘉敷 自分自身としっかり向き合えていることが楽しいですね。それが支えているモチベーションかというと少し違うかもしれないですが、『今日はちょっと腫れているな』『いつもよりすっきりしている』とか、毎日膝の様子を見ています。膝も頑張っているなと思うんです。膝に声を掛けるのは、毎日のルーティンになっています。それに(ケガをした)右足だけでなく左足にも『お前のおかげで頑張れているぞ』とか言ってます(笑)。でもそれって大事なことだし、自分の体を毎日見ると変化に気づくんですよ。だから復帰しても自分の体に話しかけるとか、痛みが無くても気にかけることは続けたいです。もう若くないからちょっとしたSOSには敏感になった方がいいなと感じています。
――若い時にも足の疲労骨折で苦労しました。
渡嘉敷 比べ物にならないですよ、全然。今は背負っているものが違い過ぎて。あの時のケガの悩みは何だったんだというぐらい。今はもういろいろと壮大です(笑)
自分自身、このケガをした気持ちを100%分かる人は自分しかいないと思っています。でも、ケガをしたことによって外からバスケットを見ながら『やっぱりバスケットが好きだな』とか、外から見ている人にしか分からないこともあると感じました。ケガしたことをどうポジティブに捉えるか、それを今考えているところです。
今でも泣くことはあるし、凹むけれど、これも経験。人間力を上げるために必要な出来事だったとポジティブに捉えようとしています。
――復帰した時にどんな自分になっていたいですか?
渡嘉敷 『やっぱり渡嘉敷だな』という言葉をもらえるようになりたいです。自分自身、あと1、2カ月も経ったら、『今の自分を越える』にシフトチェンジしていると思います。何カ月目で動けるようになっているのかは分からないですが、次にコートに立つときは、今以上に絶対上手くなって戻ってきます。
――最後にファンの方に向けてメッセージをお願いします。
渡嘉敷 日に日に前を向けるようになっています。どんなに時間がかかっても私の復帰を楽しみにしてくださっている方々がたくさんいると思いますので、その方たちのためにもまずはしっかりとコートに戻って、『やっぱり渡嘉敷だ』と言ってもらえるように。リハビリは毎日同じことの繰り返しで嫌にはなるのですが、今できることを全力でやります!