2024.02.12

正ガードとして戦い抜いた宮崎早織が抱いていた思い…「星と一緒に戦いたかったし、頑張りたかった」

宮崎はプレッシャーから解き放たれたかのように勝利の瞬間、喜びを爆発させた [写真]=fiba.basketball
フリーライター

吉田、本橋と頼もしい先輩たちの支えで奮起

「ハンガリー戦で選択ミスをしてしまったということで、すごく自分を責めていたのですが、リュウさん(吉田亜沙美/アイシンウィングス)やチームメートにうれしい言葉をかけてもらって気持ちを切り替えることができたので、本当にそれが生きたのではないかなと思います」

 2月11日(現地時間)、「FIBA女子オリンピック世界最終予選(OQT)」の最終戦でカナダに勝利し、パリオリンピックの出場権を獲得した女子日本代表。この試合で16得点4アシストを挙げた司令塔の宮崎早織(ENEOSサンフラワーズ)は、試合での自身の出来にこのように語った。

 宮崎の言うハンガリー戦とは、OQTの2戦目(現地時間2月9日に)のこと。1戦目のスペインに勝利していた日本にとって2戦目はパリオリンピック出場に王手を懸けた状況だったが、試合終盤は追う形となる。すると、残り1分を切って2点ビハインドのタイミングで宮崎が3ポイントシュートを放ったが、枠を捉えることはなく。その後はフリースローからの失点もあって75−81で敗れた。

 この3ポイントシュートについて、選択を間違えたと悔やんだ宮崎は「(試合後も)結構落ち込んでいた」という。それこそ、「夜ご飯のときもずっとその話をしていたら、リュウさんから『うるさいっ』と何回も言われて(笑)。でも、もっといい選択肢はあったんじゃないかと思うと、ガードとしてすごくそこは苦しかったですね」と、悔恨の言葉を述べた。

 ただ、先にも挙げたように、落ち込んだ状態から立ち直れたのは司令塔の先輩の存在が大きかった。中でも「その前に攻めていたのはユラ(宮崎)だったし、自分が選んだ選択肢。(シュートを)打たないで後悔するよりは打って後悔する方がよかったと思う。でも、2ポイントという選択肢もあったよね」と、ENEOSでチームメートだった吉田の言葉には「あ、そうだなと思って。すごく私の胸には響きました」という。

 メインのポイントガードとして日本を引っ張る重圧は計り知れない。「東京オリンピックの後で期待も大きかった分、苦しかったですね」と、宮崎も本音をもらす。しかし、「でも、楽しかったです」と発すると、同時に「ナコさん(本橋菜子(東京羽田ヴィッキーズ)とリュウさんがずっと声をかけてくれたことは私の中ですごく心強かったです。2人と一緒に切符をつかめたことはいろいろな思いがあります」と、ポイントガードの先輩たちへの感謝の言葉も忘れなかった。

宮崎を支えた先輩PGの吉田(左)と本橋(右) [写真]=fiba.basketball

無念の戦線離脱となった後輩を思って戦った3試合

 ハンガリー戦の反省を踏まえて「最初からパワー全開で、思い切り攻めるということは決めていたので、それがいい方向に向かってくれて良かったと思います」と、カナダ戦を振り返った宮崎。ハンガリー戦で外した3ポイントシュートについては、「距離もよかったから入ったかなと思ったのですが、結構大きくて外れてしまいました。でも、この大舞台であのシュートを打てたということは自信につなげたいし、それを次はパリオリンピックで決め切りたい、そんな選手になりたいなと思います」と、前を向いた。

 その宮崎が大会中に抱いていた思いとは…

「星(杏璃)と一緒に出たかったし、一緒に頑張りたいと思っていました。一番悔しいのは彼女だから、その思いはすごい強かったですね」

 そう語った宮崎の目からは一度引いたはずの涙が一気にあふれ出た。

 星は、OQTに向けて活動をしてきた日本代表候補メンバーの一人で、大会直前の欧州遠征にも参加していた。だが、その欧州遠征で左膝前十字靭帯断裂を負いチームを離れることとに。宮崎とはENEOSでもチームメート。そんな後輩への思いは強かった。また、大会ではその星からも連絡が来たという。

『ユラさんのスピードは誰にも止められない。それは私が自信持って言えること』

宮崎のスピードは最後まで衰えず、日本に勝利を導いた [写真]=fiba.basketball


 その言葉に燃えないわけがない。「つらいはずなのに連絡をくれたことがうれしかったし、そんな後輩を持てたことが幸せだと思います」

 苦楽をともにしてきた先輩と後輩。宮崎は仲間の思いを背負い、そして覚悟を持って臨んだ大会で、見事オリンピックの出場権をつかみ取った。

文=田島早苗

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