2021.09.05

藤本怜央が東京パラまでの5年間を総括…「自分の競技人生の中で一番の宝物になった」

ともにチームを支えた香西(左)と日の丸を持ち、そして銀メダルを掲げる藤本 [写真]=Getty Images
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 9月5日、東京パラリンピックの車いすバスケットボール競技の男子決勝戦が行われ、快進撃を続ける日本代表はリオ大会の優勝チームであるアメリカ代表と対戦。最終クォーター残り5分までリード日本だったが、その後、アメリカに逆転されて60−64で敗退。金メダル獲得はならなかった。

 それでも「ファイナル4(準決勝以降)で1勝」を目標に臨んだ今大会でそれを達成して、パラリンピックで初となる銀メダルを獲得した男子代表。チームをけん引した藤本怜央が試合後、メディア対応を行った。

 藤本は自身11得点を挙げた決勝戦を「世界一の舞台で世界一の相手を真っ向勝負で戦えたゲームだったのではないかなと思います」とコメント。9位に終わった前回のリオ大会から、「ディフェンスで世界に勝つと決めて、ディフェンスにフォーカスした5年間を過ごしてきて、ディフェンスが機能している手応えを本当につかめてましたし、メンバーが変わってもちゃんと仕事を発揮する後輩たちを見ながら、自分自身も支えられながら勇気づけられながら過ごした40分間でした」と改めてチームの成長を感じられた試合だったと語った。

 勝敗を分けた要因については、「残り5分くらいで我々がリードしたときに、アメリカは勝ち方を知っていました。エースであるスティーブ・セリオがそこで本当にメダルを取るという、バスケットの勝ち方をちゃんと示してきたことで、勢いがアメリカに一瞬傾いたところが勝敗の決め手だったと思います」と語り、その差は決して大きいものではないことを実感したようだ。

 藤本にとってリオ大会からの5年間は、「長かったですね。ケガを治してすべてを見直して、自分が持っていたプライドなどすべてを一度壊して、積み上げ直して5年間来たので、がむしゃらにやってきた5年間は本当に長かったです」と述懐。それを経て、「過去最高の結果を得たことで、この5年間が自分の競技人生の中で一番の宝物になったと思います」と充実感をにじませた。

 藤本は現役生活の集大成として、東京パラリンピックに臨んでいた。しかし、決勝戦まで勝ち上がり、さらに優勝したアメリカにも対等にプレーができたことで、その気持に少し変化が生じたようだ。

「区切りにはなったと思います。次のステージに行くのか、もう一度世界一を目指すチャレンジする努力をするのか、まだハッキリとは分からないですけど。やっぱりこのスポーツが大好きですし、これほどまでに応援してくれる人が増えた中で、日本の皆さまと一緒に世界一を取る瞬間を、もう一度挑戦したいという思いもあるので、まずはこの東京パラリンピックを振り返ってみて、自分がまだそこに向かいたいというのであれば、自分の気持ちに正直に生きていきたいなと思います」

 幾度となく大切な場面でシュートを沈め、さらにはゴール下のディフェンスで日本代表に勝利をもたらした藤本。大仕事を終えた今、まずは体を休めた後、次のステージへの進め方を決めることになるだろう。

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