2016.12.30

親会社から独立、ゼロから再出発したSR渋谷を支える「精鋭部隊」

SR渋谷を支えるスタッフに話をうかがった [写真]=B.LEAGUE
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 キャプテンの広瀬健太伊藤駿をはじめ、選手の半数以上は昨シーズン以前から在籍している。チーム名が変わったとはいえ、「サンロッカーズ」の名称もそのまま残った。しかし、クラブとしてはまさにゼロからの出発となった。2016年4月に日立製作所グループから独立して新会社を設立。日立サンロッカーズ東京で副部長を務めていた岡博章氏が社長となり、スタッフは丸々入れ替わった。

 サンロッカーズは長い歴史を持つ。1935年に日立本社バスケットボール部が、1956年に日立大阪バスケットボール部が設立され、2000年にこの2つが統合して日立サンロッカーズ東京が誕生した。といっても、当時は実業団チームで、つい最近までは大半がいわゆる“社員選手”だった。それから10数年、NBLとbjリーグが1つになってプロリーグのBリーグが立ちあがり、NBL所属の日立はB1リーグに参戦することになった。

 岡社長によると、日立時代のスタッフは部長、自身が務めていた副部長に加えて他3名の計5名。人手が足りないセクションは、日立グループに助力を求めて補った。それでも人員はギリギリ。「観客動員などの目標がなかったわけではないんですよ。でも日立時代はそれに応えるだけの体制ができていなかったし、クラブとしてもチームを強くすること、選手を獲得することを優先していました」。プロクラブとしてBリーグに参戦する以上、それでは許されない。健全経営とチーム強化を両立する必要がある。しかし、グループ企業ではなくなったため親会社の全面協力は得られない。そこで、岡社長をはじめとする首脳陣はプロクラブにふさわしい人材の発掘、体制強化に乗りだした。

 この重要ミッションを託されたのは、広告代理店出身の宮野陣事業統括部長だ。在籍1年ほどだが、サンロッカーズでは“古株”に属する。東京にあるオフィスと、柏で練習するチームの“橋渡し役”として両方に目を向けながら組織整備に着手した。「方針としては、個性を発揮してくれる人材を集めましょうと。ただしバスケット界の方々だけでは活動範囲が狭まってしまうので、互いに不足を補完し合えるような、多様な人材を集めました」(宮野部長)

 こうした働きかけから、マーケティング部門、チケット部門、広報部門など各所に新たなスタッフが加わった。宮野氏は続ける。「自信を持って精鋭部隊と言えます。それぞれが強烈な個性を持ちながら、同時に適応力を備えています。クラブの規模が拡大していく時に彼らが同じような人材を集めて、この形で広がっていけば先々の不安は全くありません」

営業の鏑木美由紀さん(左)、宮野陣事業統括部長(右) [写真]=兼子愼一郎

営業の鏑木美由紀さん(左)、宮野陣事業統括部長(右) [写真]=兼子愼一郎

 宮野部長が中心となり、開幕を目前にして陣容が整った。しかし、「サンロッカーズ渋谷」というクラブ名は認知度が極めて低かった。「日立」という冠が外れたことは、ネームバリューの面でも強力な後ろ盾を失ったことになる。集客はもちろん、スポンサー獲得を見据えてもこれは大打撃だった。しかし、クラブには秘策があった。プロモーション活動を引き受けたのが、“名物広報”の西祐美子さんだからだ。

 西広報は今夏まで3年間、千葉ジェッツの広報を務めた。昨シーズンの千葉は日本バスケット界最多となる年間来場者10万人を突破。これはある意味でチームの“顔”だった彼女の広報活動が結実したことを意味しており、千葉は今シーズンもB1リーグ最多入場者数を記録している。西広報はチームの、選手たちの価値を高め、千葉で多くのファンを獲得してきた。これをサンロッカーズでも実行に移そうとしている。

 大手百貨店で社会人生活をスタートさせ、「不特定多数のお客様のニーズに応える、という面は鍛えられました」と振り返る西広報は、いつも明るく快活に記者やブースターに接する。その使命は、「選手のブランディングです。選手のパーソナルな部分、良い部分を伝えて、皆様に親近感を持ってもらえるように、応援したいと思ってもらえるようにすることです」

 知名度がないことは、西広報のやる気を刺激する。「サンロッカーズはまだ色がないんです。もちろん伝統はありますけど、自分たちで何色にもできる。やりやすいですし、やりがいがありますね」。そして、このプロモーション活動がどう結果に結びつくのか。各種データを取って次の戦略を練るのが、マーケティング担当の森亮人さんのタスクとなる。

 森さんはジュエリーメーカーのマーケティング担当を経て、外資系の広告代理店では大手飲食チェーンや世界的な自動車メーカーの業務を受け持った。「実は宮野が前職の上司で、彼に誘われてここに来たんです」。大学時代に流体力学を学び、数字にはめっぽう強い。来場者やSNSなどの統計を取って、チームが起こすべきアクションを導きだす。

 計算で物事を図るように見えて、目標は壮大だ。「集客も目的ではあります。でもそれは利益を得るための手段の一つで、そこをゴールにしたら終わりが見えてしまう。だから僕は、チームにポジティブな印象を持ってもらうことを一番の目標としているんです」。森さんはあえて抽象的なゴールを描く。「Facebookのいいね!の数やサイトの訪問数も大切です。でもそれ以上に、みんなに好きになってもらうこと。例えばサッカーのバルセロナの〇〇選手が好き、パスサッカーが好き、というのは単純な魅力に加えて、マーケティング側の働きかけもあると思うんですよ。同じように、僕らもサンロッカーズの魅力を伝えていきたいんです」

 その大望を支えるのが、西広報とチケット担当の高橋彩さんだ。クラブの重要な財源であるチケット収入は、彼女の献身的な活動によって保たれている。高橋さんは大手飲料メーカーや信州ブレイブウォリアーズなどを経てサンロッカーズの一員となった。信州では広報を務め、チケットやファンクラブを担当するのは今回が初めてだが、バスケットボールクラブのあり方は熟知している。

「私の一番の役割はお客様に来ていただくことです。目標5000人の集客を達成して、バスケットボール界を大きくできればと。もちろんゴールが5000人というわけではなく、達成できたらまた次の目標を設定していきます」。Bリーグ発表のマンスリーレポートによると12月6日現在、サンロッカーズのホームゲーム平均来場者数は全18クラブ中、下から2番目の1944人。決して誇れる数字ではない。しかし、森さんはこの点をこう強調する。「思ったより入ってますし、売上も想定より伸びているので悲観的には捉えていません。それよりも重要なのは、一度来ていただいた方々にもう一度来ていただけるかどうかです」

マーケティング担当の森亮人さん(左)、チケット担当の高橋彩さん(右) [写真]=兼子愼一郎

マーケティング担当の森亮人さん(左)、チケット担当の高橋彩さん(右) [写真]=兼子愼一郎

 会場の熱気、華やかな演出は一見の価値がある。表参道駅から徒歩数分、青山通り沿いにあるホームアリーナ、青山学院記念館は立地もさることながら、試合開催時はさながらライブ会場のような盛りあがりを見せる。この会場もまたスタッフの努力によって作りあげられたものであり、森さんが意識する「リピーター」を増やせるかは、選手のパフォーマンスに加えて、ここでいかに快適に楽しく見られるかに懸かっている。

 試合運営を担当する岡田絵梨子さんは大分ヒートデビルズ、ライジング福岡、岩手ビッグブルズと3つのクラブをわたり歩いた経験豊富なスタッフだ。岡社長は試合運営についてこう話している。「お客様がいらっしゃる会場で事故は絶対にあってはならないことですし、安全チェックを徹底しています」。岡田さんはその重大な仕事を託された。「公共の体育館ではなく学校の体育館ですのでいろいろと勝手が違い、まずは計画書を作るところから始めました。消防など設備面が完璧でないと試合が行えないので」

 運営においてはここまで事故はなく、近隣住民からのクレームもないため、ファーストステップはクリアしたと言えるだろう。しかし、岡田さんのゴールはまだ先にある。「興行自体は滞りなくできるようになったので、今度は会場の装飾や雰囲気作りに注力したいと思っています」。参考にしているのはNBAだ。自身もバスケット経験者で、現地観戦歴もある。「アメリカだと会場周辺も装飾されていて、アリーナに入る前からワクワク感があるんです。制限もあるので同じことはできないですけど、そういう装飾や演出にこだわって雰囲気作りをしていきたいです」

 プロモーションや試合運営などクラブとしての地盤はできあがりつつある。それをより拡大させ、さらに先に進むには新たなスポンサーの獲得が不可欠となる。この分野では、大手電子機器メーカーでの営業経験を持つ鏑木美由紀さんが先頭を走る。「日立グループがすべての面をサポートしてくださるなら、もう営業する必要はないんです」と笑顔で語り始めた鏑木さんは一転して、真剣な眼差しで続ける。「でもそれではお互いにメリットがありません。日立グループの多くはBtoBの企業なので、看板に社名が入ってもそれほど効果的な露出とは言えないんです。私たちとしても、渋谷区の企業に認めていただく上で“脱日立”を目指さないといけないと思っています」

 鏑木さんの想いに、岡社長も同調する。「渋谷区の企業に応援してもらえるチームになるには、極端な話、“企業色”をなくすことが理想的かもしれません。早く地元のスポンサーを増やして、より渋谷の街に近づければ」。地元に愛されるプロクラブになるために、親会社からの独り立ちを視野に入れている。

SR渋谷の岡博章社長 [写真]=兼子愼一郎

SR渋谷の岡博章社長 [写真]=兼子愼一郎

 チームは現在、柏市内の体育館で練習し、週末は青山学院記念館で試合をしている。ホームタウンの移転に伴って、オフィスは柏市から都内に移動。しかし渋谷区とは少し距離が離れている。岡社長はこのいびつな形をいち早く変えたいと考えている。「やっぱりオフィスも練習場も渋谷区に置かないといけない。もちろんその準備は進めていますよ」

 サンロッカーズはプロクラブとしてスタートラインに立った。宮野部長にクラブを一言で表すなら、と問うとこう返ってきた。「多様性ですね。スタッフはそれぞれがいろいろな経験をしてきてここに集まりました。選手もNBL経験者、bjリーグ経験者がいて、アイラ・ブラウン選手のような野球でプロを目指していた人がいたり、アキ・チェンバース選手やベンドラメ礼生選手のようなハーフもいたりします。チーム全体で見て引き出しが多く、そこが魅力かなと」

 それでいて一体感もあるから物事が多角的に一気に進む。クラブを売りこんでいく営業担当の鏑木さんはこう言いきる。「サンロッカーズはファミリーですね。みんなが選手に対して、スタッフに対して、フロントに対して愛があるんです。大きい家族の中にいるような感覚です」。アリーナは最大収容人数5000人、野球のグラウンドやサッカーのピッチのように大きくはない。その閉ざされた空間だからこそ、一体感はより伝わってくる。試合当日、スタッフ陣は朝早くから試合の準備に勤しみ、開門するとアリーナ内を所狭しと動き回る。ファンやブースターに応対し、困っている人がいれば声を掛ける。そして試合中は、チームのプレーに一喜一憂し、連戦が終わるとせっせと後片づけに奔走する。

 ファミリー……確かに家族でなければここまで愛を注げないかもしれない。スタッフは大きな愛情を持ってクラブに自らを捧げ、サンロッカーズはプロとしてのプライドを維持できている。B1リーグでのスタート、専用の練習場、安全な試合運営。親会社という強大なバックアップは失ったが、ここには支えてくれる“家族”がいる。さあ、活躍の舞台は整った。今度は選手たちが結果を残し、スタッフ陣に報いる番だ。

文=安田勇斗

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