2025.07.30

JBA審判グループに聞く!「Bリーグ発足当初から活躍したレフェリーたち」(前編)

トップリーグの舞台から離れる谷古宇孝、 片寄達両レフェリーにインタビュー [写真]=B.LEAGUE
バスケットボールコメンテーター

好評インタビュー企画「JBA審判グループに聞く!」は、新ルールやJBA審判グループの取り組みを紹介し、リスペクト文化の醸成を目的にスタートした企画で、今シーズンで6年目を迎える。今回は、2024-25シーズンをもってS級ライセンス定年によりトップリーグの舞台から退く、Bリーグ発足当初から活躍した谷古宇孝レフェリーと片寄達レフェリーに話を聞いた。取材には、日本バスケットボール協会審判グループマネージャーの高森英樹氏にも同席いただいた。

取材協力

谷古宇孝(ヤコウ タカシ)レフェリー
・生年月日:1969年5月8日(56歳)
・出身:東京都(所属:東京都協会)
・経歴:東亜学園高校→日本体育大学
・担当した主なゲーム
特に大きな試合は担当しておりませんが、AA級(現S級)に昇格させていただいてからS級定年の13年間のゲームは自分の中では全てがビックゲームでした。(本人より)


片寄達(カタヨセ トオル)レフェリー
・生年月日:1969年7月11日(55歳)
・出身:宮城県(所属:宮城県協会)
・経歴:仙台向山高校→東北学院大学
・担当した主なゲーム
2015年:リオオリンピック男子アジア予選ファイナル(中国vsフィリピン)
2016年:Bリーグ開幕戦(A東京vs琉球)
2017年:Bリーグファイナル(川崎vs栃木)
国内外でたくさんの機会を与えていただきました。(本人より)


高森英樹(日本バスケットボール協会 審判グループ マネージャー)
神奈川県出身。新潟アルビレックスBBにて通訳~強化部まで13シーズンに渡り従事。現在はプロチーム所属経験を活かし、JBA審判グループにて審判派遣、研修などの運営を担当し、コートの外から全カテゴリーのバスケットボールを支える。

インタビュー・文=井口基史

レフェリーには定年がある?

高森 日本バスケットボール協会(JBA)と国際バスケットボール連盟(FIBA)には、それぞれ審判ライセンスの定年制度があります。JBAのA級、S級ライセンスは55歳が定年です。長年トップリーグでバスケットボール界に貢献してきた方々は、シーズン終了をもって勇退となります。

 Bリーグ創設から9シーズンが経過した今オフは、Bリーグ担当の谷古宇孝レフェリーと片寄達レフェリーが定年を迎え、トップリーグ担当から勇退しました。お二人ともBリーグ発足以前からキャリアを通じ、多くのトップレベルの試合を担当してきました。

 また、Wリーグ担当では渡邊諭レフェリーと整レフェリーが定年を迎え、それぞれ長年の活動に幕を下ろしました。

井口 ゲームを成り立たせるうえで欠かせないレフェリーにも定年があることを、ファンやブースターにも知っていただきたいですね。

高森 定年後に笛を置いても、審判インストラクター(ライセンス制)としてライセンス認定や審判員評価など、後進育成に経験を還元してくださる方も多くいます。ライセンス最上位のT級インストラクターは、シーズンを通してトップリーグの試合で審判員を評価します。トップリーグ以外で現役を続ける方もおり、2023-24シーズンで勇退した東祐二レフェリーは現在もさまざまなカテゴリで審判を務めています。

―定年を迎えるレフェリーと育成について

高森 谷古宇レフェリー、片寄レフェリーのような経験豊富なレフェリーが引退されますが、お二人のような先輩たちの背中を追って、多くのレフェリーが毎年、決して簡単ではないS級ライセンスやトップリーグ担当へチャレンジしてくださっています。多くのトップリーグ担当レフェリーは、都道府県やブロックの大会などでも試合を担当しており、同じ大会を経験した後輩たちにとっては、さらに上を目指したいという目標の存在として、審判育成にも大きく貢献してくださっています。

井口 ファンやブースターにとっては、Bリーグでのレフェリーとしての顔しか知らない方も多いと思いますが、家庭や職場の協力を得ながら、所属協会での活動をこなしたうえでトップリーグでのレフェリングをしていたことも知っておきたいですね。

●レフェリーの定年制について
・JBA:S級およびA級ライセンス保持者は、満55歳に達した年度にてライセンス定年となり、トップリーグでの担当は当該年度のシーズン終了をもって勇退となる。
・FIBA:FIBAライセンスレフェリーは満50歳で定年。

●S級レフェリー人数(男女)
・2024年度:S級 男性120名 / 女性41名 合計161名
・審判登録数:http://www.japanbasketball.jp/jba/data/enrollment/
・トップリーグ審判のカテゴリ分け基準・仕組み https://basketballking.jp/news/japan/b1/20210916/337255.html

Bリーグ発足当初から活躍したレフェリーたち

Bリーグ担当のやりがい、楽しさとは?

谷古宇 思い返してみると、「楽しかったのかな?」という気持ちが強いですが、S級レフェリーとしてBリーグを担当する責任は常に感じていました。ゲームへの責任はもちろんですし、S級を目指す後輩たちにも見られている意識をもって頑張ってきたつもりです。

片寄 私も谷古宇さんも教職員ですので、Bリーグを担当する以前は、所属協会の学生の大会などの審判から始まりました。ライセンス取得レベルに応じて階段を上がるようにトップに近づいていく楽しみは、多くのレフェリーが持つ気持ちだと思います。プロ選手たちが戦う試合とBリーグの環境を体感できたことは、やりがいのある喜びだったと思います。

―最初からトップを目指してレフェリーを始めたのか?

谷古宇 初めて公認審判ライセンスを取得したときからトップを目指して取り組んできました。しかし上手くいかない時期も多く、A級取得は36歳、S級取得は43歳でしたので、他のレフェリーに比べて遅かったはずです。ただ同じ所属協会のトップリーグ担当レフェリーである倉口勉氏(現T級審判インストラクター/Bリーグ担当審判員2016~2018)、平原勇次氏(Bリーグ担当審判員2016~/元FIBA国際審判員)など、先輩後輩たちの支えがあってこそBリーグに辿り着くことができたと思います。

片寄 選手やコーチとして最高峰の経験をしてきたとはいえませんが、早くからレフェリーに取り組んできたこともあり、ビッグゲームのコートに立ちたいという気持ちは昔からありました。先輩たちが緊張感のあるタフな試合を多く経験させてくださり、常に上のカテゴリを目指してレフェリーを続けることができました。Bリーグ担当になってからも、後輩たちの声かけや地元東北のバスケ関係者からの温かいサポートをいつも感じていました。

Bリーグ担当レフェリーとして大変だったこと

谷古宇 家族の理解が一番重要だったと思います。我が家は夫婦共働きですので、妻に家事で負担を掛けたことは多かったです。週末の試合のために金曜移動の際は、私がペットの犬の散歩を済ませてから試合へ出発することが家族のルールでした。このような事情は皆さんの家庭でも同じだと思います。仕事と家事の兼ね合いで、ギリギリで飛行機に飛び乗り試合へ向かうことも多く、妻の協力なしにはレフェリーを続けられませんでした。家族に感謝しています。

井口 勇退の際に奥様から何か言葉はありましたか。

谷古宇 「長く審判を続けてきてくれて、おつかれさま」と言ってくれて、今までやってきたことを妻も評価してくれたと思います。

奥様に「お疲れさま」と声をかけてもらったという谷古宇レフェリー [写真]=B.LEAGUE

片寄 職場や家族の協力に支えられたのは私も同じで、本当に感謝しています。さらに試合では、厳しい局面での判定に対する強い批判やネガティブな反応を受けることもありました。また時には、より良い判定や処置が好ましかったと反省することもあり、精神的にあとに引きずることもありました。誰にも相談できず悶々とする時期もありましたので、家族や仲間のフォローに本当に助けられました。

「審判は敵じゃない」

―実際に受けた誹謗中傷とは?

谷古宇 ホームゲームの楽しみ方が充実し、試合前からアルコールを楽しむ方も増えたと思います。ごく一部ですが、試合前から酔ってしまい、レフェリーへ個人名の名指しで罵声を投げかける方もいました。

片寄 SNS発信が問題になることが多いですが、SNSは見なければスルーできます。「審判は敵だ!」という固定観念からか、威圧する態度や怒号を直接ぶつけるチーム関係者、コーチ、選手、ファン・ブースターもいらっしゃいますので、正しいルールを理解したうえでバスケを楽しむことが、これからの文化になってほしいです。

谷古宇 近年のバスケ人気により、満員のアリーナで、一つの判定で大歓声やブーイングが起きることが増えたと思います。空席が多い時代に比べると、判定に注目が集まる喜びと強いネガティブな反応を受けた両方の思い出があります。

井口 満員のアリーナが増え、誹謗中傷の対策やアルコールトラブル対応など、対処すべき課題にも注意が必要ですね。

忘れられない選手・コーチは?

片寄 長年シーホース三河や日本代表を率いられた鈴木喜美一さんとは、試合中は熱いアピールもありましたが、試合前にコーチのネクタイやシャツをいじったり、互いにニックネームで呼びあったり、ピリピリしない時間がありました。また越谷アルファーズの安齋竜三HCは試合終了後のインタビューで、私の定年についてわざわざ名前を出してコメントしてくれました。挙げればキリがないですが、いろんなコーチたちとの思い出があります。

谷古宇 試合前のディレクターミーティングから試合中まで、隙のない空気でレフェリーに接せられるコーチもいらっしゃいました。一つのゲームに対してヘッドコーチもレフェリーも必死だからこそ生まれる緊張感を感じました。今シーズンで定年することはあえてコーチや選手に伝えませんでしたが、私の名前を覚えてくれて、試合前後でコミュニケーションを取りに来てくれるとうれしい気持ちになりました。

片寄 日本で長くプレーした越谷のジェフ・ギブス選手が今シーズンで引退されました。レギュラーシーズン最終戦(5月3・4日宇都宮vs越谷@日環アリーナ栃木)で審判を担当し、試合前にギブス選手とこれまでのことを話す機会がありました。試合終了間際には話題になった、一番長くチームメイトだった竹内公輔選手とギブス選手の1on1で会場がスタンディングオベーションとなり、日本バスケがこのような雰囲気で功労者を送り出せる時代になったとジーンときました。さらにセミファイナル第3戦(5月19日宇都宮vs千葉J@日環アリーナ栃木)が終わり、竹内公輔選手が先に私のところへ来て「お疲れさまでした」と声を掛けてくれました。彼が洛南高校在籍時から審判を担当したり、日本代表の海外遠征で帯同審判として共に過ごした時間もあり、うれしかったですね。

ギブスの引退試合では試合前に話を交わすこともできた [写真]=B.LEAGUE

※後編は「プロレフェリーはBリーグ専任へ?」など様々なレフェリーのリアルな声をお届けします。

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