11時間前

早稲田大・岩屋頼の矜持…降格の「絶望」から57年ぶりリーグ制覇、インカレ準Vまでの4年間

インカレで敢闘賞に輝いた岩屋頼[写真]=小沼克年
フリーライター

大一番で沈黙。悔しさにじむ敢闘賞

 準優勝チームから選出される敢闘賞の発表で自身の名前が響くと、岩屋頼(4年)は複雑な表情を浮かべていた。

「何なんですか敢闘賞って?」

 表彰式後の取材エリアで発した岩屋の言葉は、怒りでも皮肉でもない。ただ純粋な疑問をこちらに問いかけてきたように思えた。

「今日の内容やったら素直に喜べなかったですけど、リーグ戦とか今シーズンを通して見ればチームにいい影響を与えられたと思うので、まあ、素直に受け取ろうかなと思います」

4試合で63得点を挙げた岩屋[写真]=小沼克年

 12月14日の「第77回全日本大学バスケットボール選手権大会」決勝戦は、勝てば57年ぶりの日本一だった。集大成となった白鷗大学との熱戦は、83-101でタイムアップ。試合終了を告げるブザーは敗北を告げる音だった。

 キャプテンの岩屋は、この試合で5得点と沈黙した。初戦から準決勝までの3試合では、18点、22点、18点と得点源の1人として勝利に貢献してきた。しかし決勝では、「やっぱり白鷗さんはディフェンスの強度が高くて、自分がほしいところでボールがもらえない時間帯がすごく多かった」と思うようなプレーができなかった。

「自分の力を出しきって負けたなら悔しくて涙も出てたかもしれないですけど、今日はいつものパフォーマンスができずに終わってしまいました。悔しいという気持ちにもなれないくらい、虚無感というか、みんなに申し訳ない気持ちだったので涙は出なかったです。けど、最後ですし、この4年間は楽しかったので笑って終わろうとは思っていました」

絶望と歓喜が交錯した4年間

 楽しかった大学バスケ生活は、山あり谷ありの4年間でもあった。

 洛南高校(京都府)から早稲田大の門を叩いた岩屋は、1年生の頃から主力を担う存在だった。「早稲田がずっと1部の下位に甘んじているのはわかったうえで入学したんですけど、2部に落ちるという最悪の事態になってしまいました」。2年目のリーグ戦では2部への降格を経験した。

 当時からプロを目指していた岩屋にとっては、2部ではBリーグ関係者の目に留まりづらいという不安もあり「絶望感を感じていた」と回顧する。それでも入れ替え戦を制して1年で1部復帰を果たすと、秋のリーグ戦では57年ぶりの優勝を成し遂げた。

 バスケットでも見る者を魅了した。日本人のみで戦う早稲田大は、オフェンスはファイブアウトの陣形から躊躇なく3ポイントシュートを放つ超攻撃型のスタイルでリーグを席巻。ディフェンスでも常に足を動かし、オールスイッチを徹底した。サイズで劣るインサイドでは、得点力が魅力のルーキー・松本秦(191センチ)の存在が大きいと岩屋は言う。

「オフェンスに目が行きがちですけど、ディフェンスで高さがあることもチームにとって大きいです」

 リーグ戦前の8月には、岩屋と副キャプテンの堀陽稀(4年)が3x3U23男子日本代表にも選出された。

超攻撃型のスタイルでリーグを席巻した早稲田大[写真]=小沼克年

 今シーズンの岩屋は、これまでとは違うベンチスタートから仲間を支えた。本職はポイントガードであるものの、主にシューティングガードのポジションでプレー。流れが悪い場面でチームを落ち着かせ、得点だけでなくディフェンス面でも「最上級生でキャプテンの自分が締める」という意識でコートに立ち続けた。

「圧倒的に負けが多い4年間」。伝統のえんじ色のユニフォームをまとって試行錯誤した日々を、キャプテンはそう総括する。ただ、苦しんだ先につかみ取ったものも確かにある。

「4年間かけてチームを引っ張れる選手にはなれたと思っています。入学した時からずっと試合で使ってもらいましたし、今年は大事な場面で託してもらえること多くなりました。そこは4年間ですごく成長できた部分だと思います」

 2部降格の絶望から、57年ぶりのリーグ制覇。悔いが残るインカレ準優勝も、早稲田大の中心には背番号18がいた。大学日本一の夢は後輩たちへ託し、岩屋頼はプロの世界へと歩みだす。

文・写真=小沼克年

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