2022.09.26
今春に大学を卒業し、Bリーグへ活躍の場を移した選手に大学時代を振り返ってもらうインタビュー企画、『新卒ルーキーが語る大学時代とこれからの未来』。
連載最後は千葉ジェッツでプレーする大倉颯太。東海大学在学中からBリーグで経験を積んだ若き司令塔に4年間を振り返ってもらった。
インタビュー=入江美紀雄
――まずは大学卒業おめでとうございます。大学の卒業式には出席できましたか?
大倉 出られませんでした。なので、代わりにチームが準備をしてくれた卒業証書を受け取りました。
――最初に東海大学への進学を決めた時期と理由を聞かせてください。
大倉 高校2年の途中くらいには決めていました。僕の兄が北陸学院から東海大に進学した影響もあって、早い時期から東海大への進学を考えていました。
――全国から名だたる選手が集まる強豪校でのプレーを選んだ理由は?
大倉 東海大が憧れだったからです。あとは陸さん(陸川章/バスケットボール部監督)の人柄。最初は試合に出られるとは思っていなかったですし、活躍できるとも思っていなくて。陸さんのもとでバスケットを学べて、憧れの東海大に進学できるチャンスがあるなら、行くしかないと思って進学を決めました。
――実際に入学していかがでしたか?
大倉 練習初日、Bチームから上がってきた先輩がいて、その方にかなりやられてしまって。レベルが高いというか、いつになったら自分は試合に出られるのかなと思ってしまいました。みんながタフで、レベルの違いを見せつけられた印象があります。正直、僕はまだ知らない先輩でしたけど、すごい能力を持ち、スキルやバスケットIQは僕よりもはるかに高かったです。環境だけではありませんが、この環境にいれば成長できるなと思いました。
――ライバルが多いことは自身の成長につながると思います。
大倉 そのとおりだと思います。練習での競争は本当に激しくて。陸さんはローテーションで選手15人を起用するのですが、大事な場面では8人から10人でローテーションするので、みんながその中に入るために、練習から取り組んでいます。僕がいた時は23人ぐらいで練習していましたが、1人目から23人目までみんながファイトするチームだったので、その競争は大きかったと思います。
――高校の時も練習から気が抜けないといった感じだったのでしょうか?
大倉 多くありました。エースとしてプレーさせてもらっていて、勝敗は自分のパフォーマンス次第だったというか。練習を積み重ねる責任、チームを作るにあたって中心としてやらせてもらっていたので、勝敗へのプレッシャーはありましたね。
――能力のある選手がそろっているチームでも勝てるわけではありません。東海大が強かった理由はなんですか?
大倉 ディフェンスですね。陸さんを超える指導者は大学界にいないと思っています。そこにストレングス担当の小山(孟志)さんというトップの方もいます。木村(真人)コーチという方もいて、バスケットだけではなく、人間性の部分も学ばせてもらいました。陸さんと一緒に“ビッグファミリー”というのを作って、それに選手が一体となるのはもちろん、スタッフも一緒に成長して、選手と同じ方向を向いてやれるのは強みだと思います。バスケにしても、トレーニングにしても、トップを走っている自信はあったので。そこはどこにも負けられないですし、東海大の強みでもあると思います。
――大学の施設に関してはいかがですか?
大倉 新型コロナウイルスの影響もあって、そこまで体育館を自由に使えたわけではなかったんです。環境が悪いとは思いませんが、ほかの大学より整っていたとも思えません。与えられた環境の使い方というか。そういったことをスタッフの方々が考えて、提供してくれました。
――大学シーズンのオフに千葉ジェッツでプレーすることを選びました。機会があればチャレンジしたいと考えていたのですか?
大倉 もちろん、Bリーグに行けるなら行きたいと思っていました。ただ、「行きたい」と言って行けるような場所ではありません。挑戦できるなら挑戦したかったですし、学べるものがあればどんどん吸収したいなと。休んでいる暇はないと思っていましたから。環境を変えて、自分のためもいろいろなことを学びたいし、チームのためにも学んでそれを今後につなげていければいいなと思っていました。
――東海大とは違うバスケットだったと思います。
大倉 求められることがすべて一緒とは言えないですけど、ファンダメンタルな部分は一緒でした。最初に特別指定選手として千葉に来た時から思っていたのですが、陸さんのもとで、東海大でプレーできて間違いないなというか。東海大でやっていたからこそ、対応できるというか。どこのチームに行っても対応できる選手が東海大なので、多くのBリーガーがいると思います。
――違う系統というか、レベルの高さから吸収できることも多かったのでしょうか?
大倉 陸さんから言われたことがあることも多くて。陸さんから教えてもらっていたバスケットのレベルは、Bリーグにも負けていないと感じます。先輩や同級生と話していてもみんな同じようなことを言っていますね。苦労しないわけではないですけど、早くアジャストできるというか。
――大学最終学年を迎える直前、2021年2月に前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、半月板損傷により全治12カ月と診断されました。
大倉 メンタル面を含めてしんどかったですね。「しんどかった」という言葉しか出ないくらい、なにも考えられなかったです。
――千葉に残ってリハビリをしていたようですが、吹っ切れるまでどれくらいかかりましたか?
大倉 気づいたら吹っ切れていました。僕は「よし、頑張ろう」と思うようなタイプではないので。ケガをしてから、千葉ジェッツのサポート体制が本当に素晴らしくて。ドクターやトレーナーの方々をはじめ、リハビリグループを作ってもらって、病院まで送り迎えもしてもらいました。リハビリを週に4、5回も通わせてくれる環境を作ってくれて、そういうのがあると、自然に前に向けたというか。気づいたら、ポジティブな方に向いたのかなと思います。自分でどうにかしたというより、周りに頼った結果、救ってもらったのかなと。
――昨年のセミファイナルの時には歩けるようになっていましたよね。
大倉 昨日、Instagramを見ていたら、ちょうど1年前の4月6日に松葉杖が片方だけになっていて、そのちょうど1週間後に取れています。セミファイナルが5月の2、3週目だったと思うので、その時に沖縄のサブアリーナでゆっくりとジョギングしていたのを覚えています。
――大学のシーズンでは春のトーナメントより、秋のリーグ戦やインカレに目を向けていたのですか?
大倉 東海大に戻ってからもそうでしたけど、リハビリでは本当に周りの方々に支えられました。僕が向き合っていないわけではないですけど、向き合わなきゃと思わなくても、周りがサポートしてくれました。「身を任せてやれ」と言われたことをやり、そういうコミュニケーションを取って、自分の膝の状況を見ながら取り組んでいました。3年生の時から中心でやらせてもらったチームから抜けたので、恩返したいと思っていました。チームは僕を必要としてくれていて、ミーティングに参加するなどできることをやろうと思っていました。リハビリは順調に進めさせてもらって、どちらかというと、チームのレベルアップにモチベーションを置いていました。
――いつ頃、東海大に戻ったのですか?
大倉 ファイナルが終わってからなので、6月上旬ですね。
――プレーできない中、チームメートともコミュニケーショを取っていたようですね。
大倉 練習を見たかったので、授業の間など練習以外の時間でリハビリをやっていました。練習の時は体育館にいるようにしていましたね。アドバイスをしたり、声を掛けたりしていました。
――千葉にいても東海大の仲間とコミュニケーショを取っていたとか。
大倉 練習の映像を見て、コミュニケーションを取っていました。僕的には抜けている期間がなかったつもりです。
――練習に復帰できた時はいかがでしたか?
大倉 「ようやく戻ってこられた」という思いより、トレーナーをはじめ支えてくれた方々への感謝の気持ちのほうが強かったですね。
――リーグ戦の終盤に公式戦復帰を果たしましたね。
大倉 大東文化大学に敗れ、これ以上負けられない状況になってしまい、僕の復帰を祝福するような場合ではなかったのかなと。それでも次の試合から復帰することが決まり、陸さんも「いいをゲームしよう」と言ってくれました。内容にはこだわっていましたし、「復帰戦でも引っ張っていかなければいけない」と思い、プレータイムに制限がある中でも自分の役割を果たそうとプレーしました。
――その後、インカレを迎えました。ただ、東海大“らしさ”があまり出ていないように見えましたが、プレーしてどのように感じていましたか?
大倉 大会が終わって感じたのですが、僕的にも4割、5割くらいのパフォーマンスだったかなと。プレッシャーがあったというか、ナーバスな感じで少し硬くなっていました。それは僕だけではなくチームメートも同じです。流れをつかみきれなかった大会でした。
――大学4年間が終わり、後悔の思いはありますか?
大倉 支えてくれたスタッフをはじめ、先輩やチームメートのためにも優勝するべきでした。東海大は優勝しなければいけないチームですから。自分に責任を感じて、不甲斐なさもありましたけど、間違いなくどのチームよりも成長させてもらいました。大学での4年間に感謝して、次に向けて切り替えていきました。
――印象に残っている選手はいますか?
大倉 対戦相手というより、チームメートたちですね。レベルの高い日々の練習を通じて、先輩の笹倉怜寿選手(アルバルク東京)や寺嶋良選手(広島ドラゴンフライズ)、同期の坂本聖芽選手(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、後輩の(河村)勇輝(横浜ビー・コルセアーズ)や島谷(怜)とマッチアップできて、本当に成長させてもらったと感じています。
――陸川監督から掛けられた言葉で印象に残っていることはありますか?
大倉 2019年の青山学院大学戦で僕はシュートが全然入らず、フィールドゴールが12本中1本の成功に終わり、僕のせいで負けてしまいました。下を向いていた時、陸さんに呼ばれて、「気にするな、打て。お前はチームのリーダーだから、そう思うんじゃない。明日も打て』と。翌日の朝にも同じようなことを言われたので、割り切ってシュートを打つことができました。僕はすごく印象に残っているのですが、陸さんはこのエピソードをうろ覚えでしたね(笑)。プロに進むにあたっては「自分らしくやりなさい」と言ってもらいました。
――陸川監督は選手たちと積極的にコミュニケーションを取っている印象です。
大倉 オフコートでもいろいろな声を掛けてくれて、ゼミの授業などでもお世話になりました。
――正式にプロ選手になり、新たな目標はありますか?
大倉 目標でいえば、新たに誕生した東アジアスーパーリーグに出場することですね。出場できれば大きな経験になりますし、今後のキャリアにもつながってくると思います。Bリーグのレギュラーシーズン60試合に加え、東アジアスーパーリーグの試合にも出場できる。誰もが目指すべきところだと思うので、出場の可能性が高いチームでプレーしている以上、出場して経験を積みたいですね。
――最後に、大学入学直後の自分にアドバイスできるなら、どういった声を掛けたいですか?
大倉 陸さんや小山トレーナーなどスタッフ陣と話すことで、いろいろなことを吸収させてもらいました。それはもっとやるべきだったなと。「学ぶ姿勢を見せて、吸収できるものはどんどん吸収してほしいな」と声を掛けたいです。
――もっと吸収できたという反省もあるんですか?
大倉 本当に成長させてもらったと思っています。でも、陸さんからしたら、人生の数パーセントを教えただけかなと。もっと教わることがあったと思います。
――東海大の同期がBリーグの各チームに在籍しています。負けたくない思いは強いですか?
大倉 特にそういった感情にはならないですね。他のチームで活躍してほしいと思っています。
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