2023.08.23

【W杯プレーバック】近代バスケの扉を開けた2006年世界選手権、日本はあと一歩で決勝ラウンドに届かず

2006年、自国開催の世界選手権に挑んだ日本代表[写真]=Getty Images
スポーツライター

■スペインが初優勝、アメリカは銅メダルに終わる

大会初優勝を果たしたスペイン[写真]=Getty Images


 今から17年前の2006年に日本で開催された「世界選手権」は近代バスケットボールの扉を開いた大会だった。

 この大会から出場国が16チームから24チームへと拡大し、NBAがグローバル化していく時代背景が重なり、世界中のスーパースターたちが集う大会になった(※2019年大会からはさらに拡大して32チームが出場)。この大会で目立ったのは、打倒アメリカを目指して挑んだ国の選手たちだ。

初優勝したスペインの大黒柱であるパウ・ガソル(スペイン)を筆頭に、マヌ・ジノビリ(アルゼンチン)、ダーク・ノビツキー(ドイツ)、ヤオ・ミン(中国)らに代表されるNBA選手や、ファン・カルロス・ナバーロ(スペイン)、テオドロス・パパルーカス(ギリシャ)、ルイス・スコラ、ペペ・サンチェス(アルゼンチン)といったヨーロッパのリーグで活躍する選手たちの個人技が光った。彼らは組織的なチームプレーのなかで個々の技量をいかんなく発揮し、日本のファンたちを虜にしたのだ。

 また、2000年にショットクロックが30秒から24秒へとルール改正をしたことで、戦術が多様化していった。準決勝でギリシャがアメリカを破った戦術として代表されるように『ピック&ロール』をより深く広めたのもこの大会だ。さらには、大型選手が3ポイントを放つなど、現代バスケにつながる戦術をヨーロッパの強国が示したのだ。

 そして、2002年に自国開催の世界選手権(インディアナポリス大会)でまさかの7位に低迷したアメリカは、バスケットボール王国の復権をかけてこの大会に臨んでいたが、準決勝でギリシャに敗れて3位に終わっている。『コーチK』ことマイク・シャシェフスキーHC指揮のもと、当時22歳だった若きレブロン・ジェームズドウェイン・ウェイドカーメロ・アンソニーの3人を軸に『新生USA』を築いていく大会となったが、シャシェフスキーHCは「ギリシャが展開する美しいプレーに敗れた」と敗因を語っている。この大会は打倒アメリカを掲げてきた国々の組織的なチームプレーが際立っていた。そのなかで選手層の厚さを誇り、育成年代からの強化が実ったスペインが初優勝を遂げたのだ。
 

復権目指したアメリカは3位に終わる[写真]=Getty Images

■「世代交代」と「大型化」、4年かけて強化を図った日本代表

 ホスト国として出場した日本は、2003年に指揮官に就任したジェリコ・パブリセヴィッチHCのもと、2006年に向けて4年計画で強化を進めてきた。パブリセヴィッチHCはヘッドコーチを務めるにあたり、日本の問題点をこのように指摘していた。

「高さもスタミナも国際経験もない日本は、すべてを世界基準に上げていかなければ世界舞台では戦えない」

 2006年に向けてパブリセヴィッチHCが打ち出した施策は、世代交代をして若手を育成し、これまでにない大型化を図り、毎年のようにヨーロッパ遠征に出向いては体力強化と試合経験を積むという長期スパンの強化方針だった。

 その中心となったのは、五十嵐圭桜井良太、網野友雄に加え、当時大学生だった竹内公輔、譲次兄弟たちだ。さらに大会直前には、若手を育てたうえで得点力不足を補うために、ベテランの折茂武彦らを補強することでチームを底上げして大会に臨んでいる。

当時の日本代表で司令塔をになった五十嵐[写真]=Getty Images


 当時、パブリセヴィッチHCが強調していたことは「日本代表としての誇り」を持ち、どんな強豪国にも向かっていけるようなメンタルの強さを身につけることだった。そのスタイルの象徴となったのが、最後まであきらめずに粘り強く戦うディフェンスであり、日本は失点を抑えることを武器に強豪国に挑んだのだ。

 迎えた世界選手権。日本は初戦のドイツに81-70で善戦すると、アンゴラには敗れたもののパナマから待望の1勝を上げ、勝負をかけたニュージーランド戦に挑んだ。どちらも決勝トーナメント進出をかけた重要な一戦となり、日本はこの大一番を前半18点ものリードを奪って折り返す。しかし、後半になると足が止まってしまい、終盤に逆転を許して57-60で敗れてしまった。その翌日にはスペインに大敗し、開催国としてのチャレンジは1勝4敗で幕を閉じた。

 あと一歩のところで決勝トーナメントに届かなかった日本。ニュージーランド戦では日本が優位に進めていたにも関わらず、勝負所で経験不足を露呈してしまったことは否めない。だが、4年という年月をかけて『世界基準』を目指してチームを作ってきた方向性は間違ってはいない。決勝トーナメント進出に手をかけるところまでいったのだから。問題は、積み上げてきた4年間の強化を継承することなく迷走し、2006年以後はアジアで低迷期に入ってしまったことだ。

 2006年の世界選手権で優勝したスペインは、育成年代からの強化が実って初の世界一に輝いている。強化方針と目標を定め、経験値を積み重ねていくことが重要だと改めて認識した大会だった。

文=小永吉陽子

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