2024.04.14
8月25日に開幕を控えるFIBAワールドカップ2023。かつてその舞台で戦った日本代表選手たちは、どのような思いで世界の強豪に挑んだのか。
FIBAワールドカップ(世界選手権)出場経験のある元日本代表選手たちに話を聞くインタビュー連載。第3回は1998年と2006年の2度の世界選手権に出場し、49歳まで現役選手として活躍したレジェンド・折茂武彦氏に話を聞いた。
インタビュー=入江美紀雄
構成=峯嵜俊太郎
――まずはバスケットを始めた時期を教えてください。
折茂 中学1年生です。そもそもバスケにはあまり興味がなかったんですけど、兄が高校にも特待生で行くような選手で。その兄と入れ替わりで中学に入った時、兄の後輩の人たちに無理やり引き込まれた感じです(笑)。
――そのころ、自分が日本代表になるとイメージできました?
折茂 全くイメージできないですね。中学校から始めているので、当然うまくもなかったですし、身長も大きくなかったので。自分がこれからずっとバスケットに関わっていくというイメージはなかったです。
――では、現実的に日本代表入りをイメージしたのは埼玉栄高校に入ってからでしょうか?
折茂 そうですね。バスケットで高校に進学して、2年生の時に北海道インターハイに出場できて、3年生の時には全国ベスト8まで行きました。そのころに今でいうU18日本代表に選ばれたりして、そのあたりから代表を意識するようになりましたね。
――U18日本代表に始めて選ばれた時の心境はいかがでしたか?
折茂 当時初めて日の丸がついたユニフォームを着ることになったんですけど、ユニ以外にも日本の国旗のついたバッグなども背負うと、「これは、ちょっと(普通とは)違うな」と思いましたね。もちろんうれしかったですけど、その日の丸のユニフォームを見て周りがみんなビックリしていたのが印象的ですね。「まさか、あの折茂が日の丸背負うの?」みたいな感じで。中学校のときは本当にうまくなくて、むしろ下手くそな部類だったので。
――当時のメンバーで印象に残っている選手はいますか?
折茂 それはもう佐古(賢一)しかいないと思います。当時から合宿は同部屋で、高校からA代表までずっと同部屋で過ごしました。お互いまるっきり性格は違うんですけど、だからこそ馬があったのかもしれません。一緒にいて気を遣うこともなかったですし、非常に心地が良かった。彼は全国大会で優勝していたりとキャリアも豊富だったので、いろいろなバスケットの相談もしましたし、プライベートの話もたくさん。どちらかというと優柔不断な僕に対して、彼は決断力のある人間なので、悩んだ時はいつも彼の言うことに従っていましたね。
――1993年、トヨタ自動車に入社した同年にA代表に初招集されますが、当時の心境は憶えていますか?
折茂 僕の場合、大学生の時に学生の日本代表入ったことでA代表をすごく意識するようになって、「卒業したらA代表に入りたい」という思いが非常に強くなっていました。そんななかトヨタに入って1年目にアジア選手権(現FIBAアジアカップ)のA代表候補に呼ばれたんですけど、最後の最後に落選してしまって。それがすごく悔しかったのを憶えています。今では笑い話ですが、当時のヘッドコーチだった清水良規さん(現男子日本代表チームリーダー)には「折茂、あの時はごめんな」といまだに謝られます(笑)。でもあの経験があったからこそ「次こそは」という思いも生まれましたね。
――当時の思い出はありますか?
折茂 佐古と一緒に洗濯係をやっていたのはよく憶えています(笑)。日本代表に入ったらもっと待遇とか環境が良くなるのかと思っていましたが、はるかに想像とは違っていて。「俺ら日本代表に洗濯しに来ているんだ」って。先輩たちの練習着をゴミ袋に入れて担いで、コインランドリーで4、5時間回して、綺麗に畳んで先輩に渡す。その作業に練習よりも時間がかかるような状況だったので、世界選手権やオリンピックを目指すなんて、気持ちの面でそういう領域には辿り着いていませんでした。
――それでも次第に主力選手となり、1997年にはアジア選手権で準優勝を果たして31年ぶりの世界選手権出場を決めます。
折茂 当時はバスケットがアマチュアスポーツだったということもあり、正直誰からも期待をされていなかったと思うんです。出場を辞退されている方もいたので、個人的には当時の日本最強メンバーでもなかったのかなと。けれど、まとまりは強かったです。誰が何を言うわけでもなく「チーム」として戦えたからこそ、結果がついてきたんだと僕は思います。
――決勝は韓国に74-76と惜しくも敗れましたが、近年で最もアジア制覇に近づいた大会でもありました。
折茂 最後は僕がフリースローを落として負けているんですけど、あの時もいろいろとあって。バスケットカウントだと確信していたのに、判定はノーカウントでフリースロー2本になったり。2投目を外して、そのリバウンドを高橋マイケルが取ったのに、ペイントエリアに入るのが早かったからとやり直しになったり。世界選手権の切符は取れたものの、悔しさは残った大会になりましたね。
――1998年、ギリシャで行われる世界選手権のメンバーにも選ばれました。世界との戦い、イメージできていましたか?
折茂 大会の前にヨーロッパを遠征で回って、フランスなどの強豪チームと練習試合をしたのですが、あまりのレベルの差に驚きました。こんなにもフィジカルに差があるのかと。ビッグマンは押し負けて全然中に入らせてもらえず、ダンクもみんなブロックされてしまう。逆に遠征をしたのがマイナスになるくらい、(メンタル的に)落ちた状態でギリシャに入ったのを憶えています。
――本大会では予選ラウンドで、同大会優勝のユーゴスラビア、準優勝のロシアと対戦しました。
折茂 ユーゴとの試合はすごく憶えていて、2メートルくらいのガードがいて、ビッグマンも走れる選手がそろっていました。当時の日本のビッグマンはなかなか走れない、外からシュートを打つこともない。バスケットスタイルに対する固定概念がありましたが、「世界に出るとこれだけ違うんだ」と知ったのがギリシャでした。「日本はこれだけ遅れていて、おそらく僕らの時代では追いつかないな」と実感しましたね。
――もっと若い世代から経験を積んだ選手が生まれないとまずいぞ、と。
折茂 そうですね。日本は育成面でかなり遅れているということをすごく実感して。僕は20代後半からずっと「日本は育成だ。2、30年かけて育成をしないと絶対世界に追いつけない」と言ってきましたが、そう思ったのがこの時期なので。ただその一方で、日本のすべてが通用しないということでもないとは思ったんです。フィジカルには差がありましたが、勤勉な面など日本にも勝てる部分があると思いました。実際、皆さん知らないかもしれませんが僕はこの大会で3ポイント王になっていますから。
――次に日本代表が世界選手権に出場するのは自国開催となった2006年。折茂さんはしばらく代表から離れていたなかで、大会直前に招集される形となりました。
折茂 ギリシャの世界選手権が終わってからも数年間日本代表でプレーしましたが、32歳の頃には代表引退を表明していました。けれど36歳だった2006年に、当時日本代表を率いていたジェリコ・パブリセヴィッチHCがチームの試合会場まで来て、「日本代表に来てほしい」と何度も誘われました。当時の僕はトヨタでもスタートではなくて、試合も半分くらいしか出ていなかったので「今さらなんで俺を誘うんだ?」と思っていたんですけど、「お前が必要なんだ」とずっと言われていて。
――熱心に誘われたと。
折茂 さらに、日本代表キャプテンの古田(悟)から毎日のように電話がかかってくるんですよ(笑)。「折茂さん本当に来るんですか? ジェリコは来るって言ってますけど」という感じで、僕はそれに「俺はジェリコの練習にはついていけないよ」と言っていたら、それをジェリコHCも聞いたのか「お前は特別メニューでいいから、来てくれ」と言うわけです。それだけ求められたというのは非常にうれしかったので、「じゃあ行ってみよう」と思いました。ただ、実際に行ってみたら特別メニューなんてものはなく、ほかの選手と同じ練習で「お前ならできる、お前なら大丈夫」と言われて(笑)。僕はジェリコHCの練習を1年間やりましたけど、多分バスケット人生で一番キツかったと思います。
――それでもやり通したんですね。
折茂 全然大丈夫ではなかったんですけど、ジェリコHCのやり方もうまくて。「折茂ができているんだから、お前らもっとできるだろ」という感じでチームに刺激を与えるんです。そういうところを含めて、リーダーとして優秀だったと感じています。彼が4年かけてチームを何とか世界でも戦えるような形にしていった。けれどシューターがいないから、「折茂助けてくれ」ということだったので。僕も「そこでバックアップできるのであれば、頑張りますよ」という感じでチームに入りました。まあ、結果としてバックアップではなくてスタートから行かされましたけど(笑)。
――折茂さんはそこで若返ったという話も聞きます。
折茂 そうですね。当時は自分も自信を失っていた時期で、トヨタは強いですけど、自分が何かするわけでもなくチームは勝てるようになっていて、「もうそろそろ自分は引退なんだな」と思っていました。そんな時に日本代表に復帰して、ジェリコHCの練習についていけて、本大会では全試合にスタートで出て、全試合で2ケタ得点を取れて、「あれ、まだ俺いけるじゃん」って(笑)。大会が終わったあと、ジェリコHCからも「折茂、お前はまだ現役としてあと3年はバリバリできるよ。この練習ができたんだから」と言われて、本当にできた。僕にとっては北海道に来るきっかけにもなった出来事でしたね。あの時日本代表に行っていなかったら、トヨタで引退していたかもしれませんから。
――本大会での思い出も聞かせてください。
折茂 ドイツにはダーク・ノビツキーがいたし、スペインにはパウ・ガソルやファン・カルロス・ナバーロ、ルディ・フェルナンデスもいて、そういう選手とやれたというのも刺激になりました。ただ、やはりスペインだけはレベルが違うなと感じましたね。ドイツにも負けましたけど、そこまで圧倒的なものはなかったので、もしかしたら戦えるのかなとは感じたのを憶えています。
ダークノヴィツキー🇩🇪
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.#FIBAWC#Winforall#バスケWC#DirkNowitzki pic.twitter.com/p8otKOmRsp— 折茂武彦 (@orimo9) April 28, 2023
――グループラウンドではそのほか、アンゴラやパナマ、ニュージーランドと対戦しました。
折茂 ドイツとスペインはなかなか厳しいから、アンゴラとパナマには勝たなければいけないと話していたなかで、アンゴラに負けた時はすごくショックでしたね。その後はパナマに勝って、ニュージーランドに逆転負けしましたけど、あのニュージーランド戦については当時のメンバーはすごく憶えていると思いますよ。あの試合の最後の瞬間というのは今でも頭にこびりついてますから、もう一生忘れることはないんだろうなと思います。
――20点差から逆転され、57-60と3点差で敗れた試合でした。
折茂 後半にじわじわと詰められている時に、ベテランとして自分がもっと何か言っていればという後悔もあります。結果的にチームを落ち着かせることができなかったので、非常に悔いの残るゲームにしてしまったと思います。
――一度は引退した日本代表活動を続けたのには、どのような思いがあったのでしょうか?
折茂 待遇とか、ケガをしたくないとか、いろいろな理由で日本代表招集を断る。それは違うなと思い始めたんです。現役である限り日本のトップである日本代表を目指すのは、選手として当たり前だと思って。だから選ばれたからには必ず参加すると決めていました。
――考え方が変わったのは、やはり2006年の世界選手権に出たことがきっかけですか?
折茂 そうですね。日本代表に対する思いや考え方は、あの年齢で入ったことですごく考えさせられました。「日本代表とはこうでなければいけない」ということが分かったというか。若い時はどうしても自分のことを気にしすぎながらやっていたような気がするんですけど、2006年の時はそんなことは全く関係なく、本当に「日本のために戦うんだ」というのがよく分かったので。個人的にはすごく意味深い大会になったのかなと思います。
――現在の日本代表は、現役時代のチームメートでもあるトム・ホーバスHCが率いています。
折茂 彼は現役時代も非常に賢い選手でしたが、コーチとしても日本の強みを知っているコーチだと思います。だからこそ僕は、彼に長くコーチをやってもらいたい。今までは任期を全うせずに終わったり、次のコーチがまた違うバスケをやったりという繰り返しだったんです。これは選手にとってもある意味不幸なことだと思います。
ワールドカップで結果が出るかはまだわかりませんが、アジア予選や強化試合でオーストラリアやイランにも勝っているわけですから、やっていることは間違っていない。文化も含めて日本のことをよく知っているトムがコーチを続けることで、必ず日本の強化につながると僕は思っています。
――選手たちの印象はいかがですか?
折茂 個性ある選手がそろっていて、場面場面によってチームが変化するようなメンバーだと思います。だから見ていて面白いですし、あれだけ若い選手が日本代表に入れるということは、日本のレベルももちろん上がってきていることの表れだと思います。実力があれば誰にでもチャンスがあるし、当たり前のように競争があるのがいいですよね。選手に「日本代表で戦いたい」と思わせる、日本代表のあるべき姿だと思います。
――注目している選手はいますか? 現役時代一緒にプレーした富永啓之さんの息子さんもいますが。
折茂 富永は日本代表でもやりましたし、大学も一緒で、4年生と1年生としてプレーしていました(笑)。息子の啓生選手もいいですよね。あのレンジで打てる日本人はなかなかいないですし、打ち続けることもできる。彼もまだ若いので、国際大会を通していろいろな経験をしてほしい。期待度は非常に高いです。
――同じく若手の河村勇輝選手も注目を集めています。
折茂 河村選手と富樫(勇樹)選手、誰もがあの二人のセットは見たいんじゃないですか? リスクもありますけど、あの二人が同時にコートに立ってくれると「何か起きるんじゃないか」という期待感もすごい。それってすごく重要で、そう思わせてくれる選手だからこそ、彼ら二人には大きな価値があると思います。僕自身もワクワク感が止まらない、見てみたいと思っているので、非常に楽しみです。
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