2020.03.05

【Wリーグ・マネージャーの履歴書#2】皇后杯は準優勝、Wリーグ初制覇を目指すデンソーアイリス

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 コート上で戦う選手たちを支え、スタッフのサポートや取材対応も行うWリーグのマネージャーたち。普段、表に出る機会は少ないが、チームの勝利のために日々奮闘している彼女たちに、マネージャーになるに至った経緯や心得などを聞く企画。

 第2回は、1月の皇后杯で準優勝となったデンソーアイリスから海野楓と鈴木優香。2人とも高校からマネージャーとなったが、そのいきさつは異なるものだった。

海野楓マネージャー

全国常連高校への入学がマネージャーへの転機に

 地元山形県の名門・山形商業高校への入学が、その後の海野楓の道を決めたと言っても過言ではない。

 小学校4年生からバスケットを始めた海野は、中学校卒業後に全国常連校の山形商業高校に入学を決意。そこでプレーを続ける予定だった。

 しかし、海野の父親と当時の山形商業・高橋仁コーチが大学時代からの仲だったということもあり、入学前の春休みに高校の練習に参加すると、「レベルの差を痛感して。これでは足でまといになる」と感じたという。

 当時から山形商業高校には県内のトップ選手が多く入学。実際、海野がいた3年間でもウインターカップで3位が2回、4位にも1回に輝いている。

 そこで海野は、親や中学のコーチと相談し、「バスケットは好きだったので、携わってはいたかった。だからマネージャーをやろうと思いました」と、高校からはマネージャーとして活動することを決めたのだった。

 なお、現在JX-ENEOSサンフラワーズで活躍する大沼美琴は寒河江市立陵南中学校、山形商業高校とチームメイトで2つ下の後輩に当たる。さらに言えば、美琴の姉である美咲(元デンソー/2013年に引退)が海野の一つ上で、海野は中高時代、大沼姉妹とチームメイトとして一緒に汗を流している。

『ありがとう』と言ってもらった時がうれしい

「思っていた以上に大変でした。中学でもマネージャーは一人いましたが、中学と高校では全然違いました」と高校でのマネージャー時代を振り返る海野。その後、マネージャーとしてWリーグに所属するデンソーへと入る話をもらうのだが、このデンソー入団のキッカケとして、当時デンソーのマネージャーを務めていた河上直子さんの存在が大きいという。

「山形商業がデンソーに合宿に行った際に、河上さんとよく話をさせて頂いて。Wリーグのマネージャーというのは、『今しかできないことだよ』と言ってもらったことが私には大きかったです。なりたくてなれる職業ではない。そのチャンスが巡ってきているならやりたいなと思いました」と振り返る。

 実際にデンソー人団すると、今度は高校との違いを実感。「最初はミスも多くて…。先輩の茂木絵理子さん(前マネージャー)や他のチームでもダンさん(山﨑舞子/JX-ENEOSサンフラワーズ)など皆さんはしっかりしていたので、『私はマネージャーに向いていないのではないか』と思っていました」と言う。

 今年で10年目。「『しっかりしないといけないな』と思いながらの10年です(笑)」と海野は謙遜する。だが、取材時には選手に負担のないようにきちんとスケジュールを組んだり、いつもはにこやかな表情も時にキリっとした様子で選手たちに指示をしている姿からはベテランの風格さえ漂い始めているようにも思える。

 その海野がトップチームのマネージャーを担う中で、大切にしていることとは。

「(仕事として)割り切るという考えもあるとは思いますが、人と人とが顔を合わせていて、時に家族よりも長くいる関係。思いやりとか、自分が相手にこういう言い方をしたらどう思うんだろうとか、そういったことは常日頃から考えています」

 そしてマネージャーをやっていて良かったと思う瞬間は、チームが勝った時と選手やスタッフに『ありがとう』と言ってもらった時だという。

「10年やって慣れてきたからこそ、今は自分の仕事以外のところも見ないといけないと思っています。私がフォローできるところもいっぱいあると思うのですが、個人的にはまだその域に至っていないなと感じます」と海野。

 今シーズンは、指揮官が変わって1年目。セルビア出身のヴラディミール・ヴクサノヴィッチヘッドコーチとなり、チームとしても大きな変化を迎えた。

 Wリーグは新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、レギュラーシーズンが中止。3月末からプレーオフを行う予定だ。デンソーはレギュラーシーズンを5位のため、セミクォーターファイナルから出場し、8位の東京羽田ヴィッキーズと対戦する。1月の皇后杯での準優勝を弾みに、Wリーグでの頂点を海野は選手たちとともに奪いに行く。

鈴木優香マネージャー

高校入学で念願だったマネージャーに転向

 海野と同じく高校からマネージャーとなった鈴木だが、そのいきさつはだいぶ変わっている。

 父が昭和学院高校の鈴木親光コーチで、伯母は日本リーグ(Wリーグ)で活躍した(日立甲府/現山梨クィーンビーズ)鈴木郁代。バスケット色の濃い環境で育った鈴木は、子供の頃からWリーグの試合を見に行った時には、「選手ではなくマネージャー」を目で追っていたという。

 自然とチームを支えるマネージャーに憧れを抱き、昭和学院中学校に入学した時からは、バスケット部のマネージャーを希望。だが、ここは父の勧めもあり、中学時代はプレーヤーとして3年間を過ごした。
 
 少し面白いエピソードがある。

 子供の時に観戦したJX-ENEOSサンフラワーズの試合で、試合の後に観客の子供たちが握手を求めるのは、大方その時に活躍していた選手たちだろう。だが、鈴木が握手を求めたのはJX-ENEOSの成井千夏マネージャー(現・日本バスケットボール協会マネージャー)だったという。もちろん、「成井さんも、『え、私マネージャーだよ』って言っていました(笑)」と鈴木。それほどまでにマネージャーという役に魅力を感じていたのだ。

 そして鈴木は高校入学とともに念願のマネージャーに。なお、同じデンソーの赤穂さくらは、中高でもチームメイト。そして、さくらの妹・ひまわり(デンソー)は2学年下の後輩にあたる。そのため、鈴木は赤穂姉妹をよく知る存在でもある。

 昭和学院高校の女子バスケットボール部は、父がコーチを務めるチーム。だが意外にも父の存在には「家ではプライベートな話。学校では先生と生徒としてオンとオフが切り替えられていたので、まったく気にしていなかったです」と言う。それより何より、願いが叶ってのマネージャー業はとても楽しかったようで、「一つ上の先輩が卒業してからは、全てを一人でやっていたので大変ではありました。でも、大変よりも楽しいの方が勝っていたので、苦ではなかったですね」と笑顔を見せる。

 参考にしていたのは成井マネージャー。「高校の時はJX-ENEOSに練習試合に行く機会が多かったので、成井さんの仕事はよく見させてもらいました。忙しいはずなのにそういうところを見せずにササッと仕事をするところとか、高校生の私にも分かりやすく教えてくれて、こういう人がマネージャーなんだなと感じました」と振り返る。

大事にしているのは選手とのコミュニケーション
 高校卒業後もできればマネージャーを続けたいと思っていたところ、デンソーへ入団。鈴木もまたそれまでの先輩たちと同様に「高校とWリーグでのマネージャー業は全然違います」と言う。

「事務的なことも多くなってくるので、現場だけではダメだと感じています」とその理由を語る。だが、すぐに「でも、新しいことを色々とやれるので、充実していることの方が大きいです」とも発した。

 やはり性に合っているのだろう。

「仕事も地味なことが多いですが、選手に『ありがとう』と言われるとやりがいを感じます。イライラしている時でも、その一言で頑張ろうって思えますね(笑)」と鈴木。

 そんな鈴木のモットーが『頑張るより楽しむ』というのもうなずける。

「頑張る、頑張るだけで視野を狭めてしまうのではなく、そこに楽しむというワンクッション置くことで客観的にやれたらいいなと思っています」

 高校とは違い、デンソーでは選手の年齢層も幅広い。「私は自分からコミュニケーションを取るようにしています。一人ひとりの特長を見るようにしていますね」と鈴木は言う。さらに「環境が変わるというのは難しいことで、選手も慣れないといけないこともあります。そこでスタッフと選手との仲介をうまくやって、お互いが気持ちのいい環境でバスケットができるようにしたいです」と今後に向けての意気込みも元気良く語ってくれた。

 試合会場やチームに伺った時など、合えばニコッとした笑顔で迎えてくれる海野マネージャーと鈴木マネージャー。

 選手のことを第一に考え、優しくて明るい彼女たちのサポートを受けながら、デンソーの選手たちは、プレーに集中し、そして日々、研鑽を磨いている。

取材・文・写真=田島早苗

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