2020.03.19

【Wリーグ・マネージャーの履歴書#3】リーグで一番歴史の長い三菱電機コアラーズのマネージャーは、お母さん的存在⁉

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 コート上で戦う選手たちを支え、スタッフのサポートや取材対応も行うWリーグのマネージャーたち。普段、表に出る機会は少ないが、チームの勝利のために日々奮闘している彼女たちに、マネージャーになるに至った経緯や心得などを聞く企画。

 第3回は、昨シーズン、チーム史上初のWリーグ準優勝となった三菱電機コアラーズ須貝宏臣。選手、チーム愛にあふれる彼女のモットーとは。

須貝宏臣マネージャー

中学で一区切りの予定だったバスケット

 三菱電機コアラーズ須貝宏臣マネージャーは、今年の2月に門間未紗アシスタントマネージャーがチームに加入するまでの約4シーズン、マネージャー業を一人でこなしてきた。

 練習では、床を拭くための布を持ちながらの審判に、タイマーのセットや選手が使うボトルにドリンクの補充など。加えてオフコートではデスクワークもこなしているのだから、その多忙さは容易に想像できるだろう。

 それでも須貝は「マネージャーが一人なので、選手たちはいろいろなことを自分たちからやってくれます。それに誰かが何かをやってくれたことに対して、みんな『ありがとう』という言葉がすぐに出るので、私自身、その一言を言われただけで頑張れちゃうんですよ!」と、にこやかに語る。

 そもそも、小学校2年生からバスケットを始めた須貝がマネージャーとしてのキャリアをスタートしたのは高校の時。

 ミニバス時代は、中条ミニバススポーツ少年団のキャプテンとして全国大会に出場するなど、輝かしい成績を残してきたが、「小学生の頃からバスケットをしているのですが、中学生の時はケガが多く、思うようにプレーができなくて。それもあってバスケットは好きだけれど、高校で続けるのは…と思っていたんです」と、バスケットをすることは中学で一区切りと考えていた。

 しかし、進学した新潟中央高校はバスケット部の実力が高いチーム。同級生にはミニバス、中学時代からの知った顔も多く、ここで須貝は仲間たちからバスケット部入部の誘いを受ける。一度は断ったものの、マネージャーとしてどうかと勧められると、他に入りたい部活もなかったため、「そこまで深く考えずに『やってみようかな』という感じで」、入部を決めたのだった。

 そんな経緯から始めたマネージャー業だったが、「人と関わったり、何かに対応したりなどは嫌いではなかった」ため、段々と楽しくなっていったという。

 高校3年生の時には将来はWリーグのチームのマネージャー職に就きたいという思いが沸き上がっていた。だが、Wリーグのマネージャーともなると、その機会が巡ってくるかどうかも分からない。そのため、「大学に行ってもまだマネージャーへの気持ちがあれば、(大学卒業後に)その先があるかもしれないと思い、受験勉強を必死にしていました」と、一時は大学進学を考えて勉強に勤しんだ。

 そして進学先を絞った矢先、三菱電機のマネージャーへの話が舞い込んで来る。

コート内外で選手をサポートする須貝マネージャー[写真]=バスケットボールキング

常にチームや選手のことを考えて行動

「外部(協会、スポンサー等)との連絡や調整、そもそも高校とはやることが違います」と、Wリーグでのマネージャーの仕事を語る須貝。やりがいを感じる時は「選手がコートで生き生きとプレーができ、オフコートでは笑顔で会話が飛び交っている」時で、「それは私を含めたスタッフやサポートしてくれる方のお陰で、良い環境が整っていると考えるからです」と言う。

 そんな須貝のモットーは『思いやりと対応力』

「マネージャーは目配り、気配り、心配りが必要ですが、それにはまず相手がいないと成り立たない。それが私にとってはスタッフや選手だと思います。相手のことを考えて、その人のことを知ることで自然と自分にやれることが浮かんでくる気がします。また、関わる方すべてにおいて、思いやりのある対応をすることがチームの顔として自覚を持つことだとも思っています。

 対応力に関しては、常に先を読んで行動し、何かトラブルがあった時に対応することは絶対。それと、いろんな立場の人たちがいる中で、みんなが良い方法だと思えることをマネージャーが考えるのも対応力の一つだと思っています」と須貝は語る。

 須貝は、日頃からマメにTwitterなど自身のSNSでチームや選手のことを発信している。それは「三菱電機の選手をより知ってもらいたいし、『この選手、こんなかわいいところがあるんだ』などと思ってほしい」から。加えて、「何かあった時に選手が毎回自分のSNSであげるのも難しい時があるので、そこは私の立場でしかできないことでもあると思っています」と言う。

 三菱電機は女子バスケット部が創立されたのが1956年。これは現在Wリーグに所属する全12チームの中で一番古い。その伝統チームの中で活動する須貝は「チームのことを一番よく知り、選手やスタッフと多くのコミュニケーションをとることが大切。チームにとって良くない状況の時や踏ん張り時での選手への声かけ、雰囲気作りを心掛けていきたいと思います。

 笑顔と明るさを武器に、“お母さん”ではないけれど、どんな時も陰で支える存在であればいいなと思います」と思いを語る。

 25歳という年齢に加え、選手と比べて小柄な容姿からは、“お母さん”というイメージはないが、選手やチームのことを誰よりも思い的確に行動するその姿は、一家を支える“大黒柱”ともいえる。

取材・文・写真=田島早苗

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