2020.04.03

【Wリーグ・マネージャーの履歴書#4】アイシン・エィ・ダブリュウィングスは、ベテラン&ルーキーのコンビ!

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 コート上で戦う選手たちを支え、スタッフのサポートや取材対応も行うWリーグのマネージャーたち。普段、表に出る機会は少ないが、チームの勝利のために日々奮闘している彼女たちに、マネージャーになるに至った経緯や心得などを聞く企画。
 
 第4回は、アイシン・エィ・ダブリュからベテランの荒川真寿美と新人の金場凛の2人。それぞれの立場でチームのために力を発揮する彼女たちに迫る。

荒川真寿美チーフマネージャー

ミニバスでは全国優勝2回とエリート街道を歩む

 荒川真寿美チーフマネージャーは、今シーズンで13年目のベテラン。そんな彼女が選手からマネージャーへと転向を決意したのは高校1年生の冬だった。

 だが、それまでの選手としてのキャリアはというと、Wリーグの選手を含めてもトップクラスといえる。

 姉の影響でバスケットを始めたのが小学校4年生。通っていた野並小学校の大河内清治先生が当時、名門・昭和ミニバスケットボールクラブのコーチの一人だったこともあり、この年に強豪チームに入団する。

 すでに全国優勝を幾度となく果たしていた昭和ミニの練習は、ハードであり、高レベル。「ハンドリング競争から始まって、それに勝ち残れないとAチームで練習ができなかったんです。だからひたすら自主練習をしました」という日々だった。

 だが、元来の負けず嫌い。激しい競争に勝ち抜くと、4年生にしてメンバー入りをする。結局、小学校4年、5年、6年と3年連続で全国大会に出場し、4年の時は3位、5、6年生では日本一に輝いた。

 なお、昭和ミニはトップ指導者である服部幸男氏をメインに、高校や大学、Wリーグなどで活躍する選手を多く輩出。Wリーグの現役ではアイシン・エィ・ダブリュ(以下アイシンAW)の酒井彩等やトヨタ自動車アンテロープスの山本麻衣らがそうだ。

 ミニバスで好成績を残した後、荒川は地元名古屋の猪子石中学校へ進学。この頃、同校を指導をしていたのは中学界の名将・杉浦祐司氏で、ここでも1年生から全国の舞台を経験すると(ベスト8)、2年生の時にはスターターとして先輩の吉田千沙(元デンソーアイリス)らとともに全国準優勝に輝いた。ちなみに、この時の決勝の相手は福岡県の折尾中学校で、メンバーには大庭久美子(元デンソー)や後に高校で一緒になる木林稚栄(JX-ENEOSサンフラワーズ・アシスタントコーチ)らがいた。

 そして中学卒業後、高校界トップともいえる桜花学園高校へ。これには杉浦コーチの後押しがあったようで、荒川自身も高校での飛躍に胸を弾ませた。

 しかし、1年生の時に膝の大怪我を負うと、マネージャーが欠員していたこともあり、井上眞一コーチから転向を勧められる。

 エリート街道を歩んできた彼女にとって、簡単な決断ではなかったが、当時はチーム内でのガードのポジション争いが激しく、その中で「選手として戻っても試合に出られる感じはないかな」という思いもあった。加えて井上コーチの勧めということもあり、悩んだ末にマネージャーとして日本一を目指すという結論を出す。

 とはいえ、マネージャーの経験はなく、右も左も分からない状態。その時によく相談していたのが寮母の加藤真弓さん。桜花学園のOGで、高校、大学とマネージャーをしていた加藤さんには「助けてもらいました」という。

 この頃のチームは、同級生の髙田真希(デンソー)に2つ下の渡嘉敷来夢(JX-ENEOS)を始め、後にWリーガーとなる選手が多く在籍。「渡嘉敷は1年間、面倒見たと思いますよ(笑)」と当時のことを笑うが、高校3年生の時には、その個性豊かなメンバーたちをマネージャーとして支え、高校タイトルであるインターハイ、国体、ウインターカップの3冠獲得に貢献した。

選手のサポートを一番に考える

「高校での経験を生かしたかったことや先輩に同級生、後輩たちなどのプレーを間近で見たかった」という理由から、高校卒業後はアイシンAWのマネージャーに。

 入社1年目は社業に専念したが、この時、ホームゲームの受付や応援団への連絡など試合の運営に携わり、裏方の仕事を知ったことはいい経験だったと荒川は言う。

 そして2年目から本格的にマネージャーへ。最初のシーズンはアトランタとアテネ・オリンピックの2大会に出場した小磯典子(旧姓・濵口)が在籍しており、「ストイックな方でした」と刺激を受けた。そして韓国出身でかつてジャパンエナジー(現JX-ENEOS)を日本一に導いた金平鈺氏を始め、ここまで実に5人のヘッドコーチとともに戦い、「早かったし、濃かった」13年間を過ごした。

 そんな荒川は、マネージャーになった時から心に決めていたことがある。それは「選手に対してプレーのことは言わない。サポートに徹する」ということ。

 中学までのキャリアを考えれば、練習などでも気になることやプレーに関して言いたいこともあるだろう。だが、「アイシンAWに入ったらなおさらで、私は所詮、高校1年生まで。選手にはプライドがあります。だから気持ちのサポートに徹しようと思いました」と言う。

 チームは今シーズン、白星が増えず苦しんだ。だが、個人を見れば、日本代表に初選出された宮下希保や新人ながら3ポイントシュートのタイトルを獲得した梅木千夏らの活躍が光った年でもあった。彼女たちが伸び伸びとプレーできた裏には、陰日向となって支える荒川の存在があったからに違いない。

金場凛マネージャー

中学から始めたバスケット。高校卒業を機にマネージャーへ

 荒川チーフマネージャーが「何のためにこの仕事があるのかを細かく一つ一つ教えています」と言うのが金場凛だ。

 2019-20シーズンがルーキーイヤーとなった新人マネージャーは、石川県の七尾市出身。シドニー・オリンピックが開催された2000年生まれの19歳で、高校卒業後、アイシンAWに入団した。

 金場がバスケットを始めたのは中学校からで、「いくつかの部活動を体験入部したけれど、先輩たちが優しく教えてくれて楽しそうだった」という理由でバスケット部の入部を決めた。中学校の3年間でバスケットには魅力を感じたが、「練習が厳しかったので、高校では練習が厳しくないところでやろうかな」と考えていたという。

 しかし、中学バスケットを引退したのち、顧問の先生に連れて行ってもらって見た石川県の高校の大会で県内でもトップクラスの鵬学園高校に惹かれ、入学を決意する。

 高校では同級生が3人と、人数こそ少なかったが、充実した3年間を過ごす。そして高校卒業後は「短期大学か大学でバスケットを続けようかな」と思っていた。

 ところが、思いもせず、同校の柿島誠一コーチからアイシンAWでのマネージャーの話を勧められるのだ。

「お話をいただいてから、マネージャーのことを調べていく中でとても興味を持ったし、やってみたいなという気持ちになりました」と金場は当時のことを振り返る。

「私は、常に試合に出ていたわけではなくて、ベンチに入れるかどうかという選手でした。でも、『自分のできることをやろう』と思って練習から声を出したり、後輩に声を掛けたりして。柿島先生もそういったことは見てくれていたし、プレーで褒められることは少なかったけれど、声出しや練習への取り組み方などは褒めてもらってました」と金場。

 柿島コーチは、これまで赴任した学校を石川県の強豪校へと押し上げてきた。その名指導者が、金場の献身的な行動に適性を見出したのかもしれない。

 高校バスケットを引退後も、チームの練習に顔を出しては後輩たちのサポートやチームの手伝いをしていたこともあり、金場自身、選手としてのキャリアを終えてマネージャーに転向することは何の抵抗もなかったという。

 そして昨年4月、Wリーグに所属するチームのマネージャーとして新たなスタートを切ったのだ。

先輩を見習いながらマネージャー修業中
「環境は変わりました。それにマネージャーの仕事も、Wリーグだと事務的なこと、お金の管理することもあるので、高校のマネージャーとは違うなと思いました」と金場は言う。加えて「高校の時は(指導者の)先生がいて、マネージャーも先生に言われてから動くみたいなところはあったのですが、ここでは選手が良い環境でバスケットをできるようにということを一番に考えて、自分から動かないといけません」とも語った。

 金場が尊敬し、目標とするのが同チームの先輩である荒川であることは間違いない。

「サンさん(荒川)はいつも選手のことを考えているし、間違えていることはハッキリと言える。私は自信のなさからか、言葉が曖昧になってしまうので、そこは見習いたいですね」と笑顔を見せる。

 その先輩である荒川は、「最初の1、2年は無我夢中なんです。でも、段々と何のためにこの仕事をやっているのかが分かり、余裕も出てくる。余裕が出ると、選手への声掛けや相談に乗るなどもできるようになっていくんです」と実体験を語ってくれた。そして今の金場は昔の自分を見ているようでもあると目を細めた。

 金場にとって新しい環境の中で戦った最初のシーズン。ここで得た経験を生かすのは来シーズン以降となる。

「一つの仕事に時間を掛けてしまったり、複数の仕事を同時にこなすといったことにまだ課題があります」と金場。だが、今後に向けては、「選手や他のスタッフにも頼られるマネージャーになりたいと思っています。高校までは自分のことを一番に考えていたけれど、今は人のことを少し考えられるようになったし、仕事も徐々にできることが増えて、楽しいです」と目を輝かせていた。

取材・文・写真(メインカット)=田島早苗

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