2025.04.14

八村塁がもしバスケをやっていなかったら?レイカーズ公式インタビューに登場

NBAの“名門”レイカーズで主力を担う八村塁[写真]=Getty Images

■LAドリームを実現

 八村塁NBAロサンゼルス・レイカーズで3シーズン目を迎え、正真正銘のレイカーとなった。しかし、不思議なもので、本人はトレードで西海岸に来る前から「LAは自分にとってのホームでした」と語っている。

 球団は公式サイトで八村を特集。LAとのクレイジーな運命から、最近の趣味まで、八村の知られざる一面を引き出している。

 八村の“カリフォルニアドリーム”は、身近な人たちでも笑い話になるという。明成高校(現仙台大学附属明成高校)を卒業後、アメリカでの挑戦を決意した八村は、当初からロサンゼルスに住む願望を抱いていた。進学こそサンフランシスコを北上したワシントン州のゴンザガ大学だったが、八村は夏季休暇や空き時間を見つけては南カリフォルニアを訪れており、大学時代から「310(ロサンゼルスの市外局番)」の電話番号を所有していたそうだ。

NBAドラフト2019でウィザーズから1巡目9位指名を受けた八村塁[写真]=Getty Images


 特集を担当したレイカーズの専属ライター、テイラー・ギアスは、カメラを向けられれば“LAサイン”で応じる八村を「今では本物のローカル」と称している。八村は今日に至るロサンゼルスとの不思議なつながりについて、こう話した。

「『塁、クレイジーだよ。だって、(以前から)ここをホームだと言っていたじゃないか』と言われるんです。冗談のつもりだったのですが、皆から『本当に実現したね』と」

■名前は「野球の“ベース”から」

 日本のスポーツ界にとって、ロサンゼルスは最も注目度の高い都市だ。二大巨頭であるMLBロサンゼルス・ドジャースには、大谷翔平と山本由伸が在籍しており、今年は佐々木朗希が加わった。

「(LAで日本人アスリートが活躍することについて)クレイジーですよ。正直、何が起きているのか、分からないほどです。でも、僕が始まりですよね?アメリカ、特にLAの街で日本人アスリートの姿を見られるのは本当にうれしいです。アジア系、そして日本人コミュニティが大きいことを誇りに思ってます」

現地時間2023年7月8日にドジャースタジアムで始球式を務めた八村塁[写真]=Getty Images


 八村曰く、今シーズンは数試合ドジャースの観戦に行く予定で、昨シーズンは始球式を務めたこともある。レイカーズのファンたちは、八村がバスケットボールを始める前に野球や陸上など他競技でもその才能を発揮していたことを知らないのかもしれない。

「僕、野球をやってたんですよ。名前の“塁”も、野球の“ベース”からきています。でも、ワクワク感がありませんでした」

 八村は陸上で富山県新記録を樹立し、野球では自身の速い投球を捕れる人がいないという理由でキャッチャーを務めるなど、若い頃から異次元の身体能力で同年代の仲間たちを圧倒していた。

■運命を変えた出会い

 しかし、中学時代に同級生の1人からの熱烈な勧誘が彼の人生を変えた。

「バスケットボールは走ることが多そうだと思い、手を出していませんでした。中学に進学すると同時に、もうスポーツは全部やめようと思ったんです。皆、驚いてましたよ。運動神経が良かったから」

「でも、同級生のバスケ部の子が『バスケをやろう』と誘ってきたんです。僕は『嫌だ』と言い返しました。(毎日執拗に勧誘され、毎朝八村の机で待っていたことについて)本当にイライラしていました。先生にも『もう無理です、やめさせてください』って言ったくらいです。でも、止めてくれませんでした。だから『一回だけ行くから、そのあとは絶対にやめてくれ。一回だけ練習に行くから、それで終わりにしてほしい』と伝えました」

名門レイカーズの主力選手となった八村塁[写真]=Getty Images


 当時の八村はもちろんバスケットシューズも持っておらず、最初の練習に裸足で行ったという。しかし、コーチから靴を借りて、ディフェンスに入るように声をかけられると、バスケットボールの楽しさに気付いてしまった。

「靴を履いて、何をすればいいかもわからず、ただ走り回って…。でも、なぜか楽しかったんです。チームの皆も、コーチもすごくいい人で、雰囲気が良くて。帰宅後、母に『バスケ、やってみようかな』と相談すると、『いいよ。靴を買ってあげるね』と言われました」

 八村は今でも、その同級生に感謝している。NBA入りが決まったときも、『NBA 2K22』の日本版オリジナルパッケージのカバーに抜擢されたときも、八村は彼に連絡をし、「彼がいなかったら、自分はこの世界にいませんでした。本当に彼がきっかけなんです」と、感謝の意を示している。

■もしバスケをしていなかったら…?

八村が明かしたオフに没頭した“趣味”とは[写真]=Getty Images


 そんな八村がスポーツに出会わない世界線を生きていたら、今頃何をしていたのだろうか。

「プロのDJを目指していたと思います。3〜4年前にマイアミのラウンジにいたインド系の男性DJがすごくクールだったので、声をかけたんです。そうしたら彼が『やってみようよ』って言ってくれて、試したら……ハマりました」

 翌日にはそのDJが自宅にフルセットの機材を持ってきてくれて、オフシーズンだったこともあり、5時間も練習に没頭したそう。

「次の日にはGuitar Center(カリフォルニアの楽器チェーン)に行き、スピーカーとDJキット、それとノートパソコンを買いました。それまでパソコンすら持ってなかったんですよ。機材を全部登録して、それ以来ずっと続けてます。DJは、主に家でプレイしています。家族が来たときや、友人と一緒に。もちろん一人でもやりますけど、友人とやると率直な意見をもらえるから楽しいんです」

 思えば、レイカーの大先輩であるシャキール・オニールもDJ Dieselの名義でDJをしている。もしかすると、八村の引退後には、シャックとの豪華B2B(交代でのDJプレイ)が見られるかもしれない。

文=Meiji

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