2019.10.25

いつもと変わらぬ八村塁のデビュー戦。成長を追える楽しみなルーキーイヤーの始まり

世界最高峰NBAでのキャリアが始まった [写真]=Getty Images
スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者に。国内だけでなく、取材フィールドは海外もカバー。日本代表・Bリーグ・Wリーグ・大学生・高校生・中学生などジャンルを問わずバスケットボールの現場を駆け回る。

◆アウトサイドからの攻めが増えたデビュー戦

 デビュー戦のコートにいたのは、いつもの八村塁(ワシントン・ウィザーズ)だった。

 10月24日(現地時間23日)、NBAデビューとなるダラス・マーベリックス戦。アウェーのコートに開幕スターターとして立った八村は、24分50秒の出場で14得点10リバウンドで“ダブルダブル”のスタッツを残した。左コーナーからのドライブで2人のディフェンスをかいくぐってファーストシュートを決めると、得意のミドルジャンパーを立て続けに決めていく。落ち着きを払って自分の得意なところで勝負していくその姿は、明成高校でも、ゴンザガ大学でも、日本代表でも見慣れた八村のプレーそのものだった。

 リバウンドも積極的だった。大学時代は得点に集中するとリバウンドの意識が薄れることもあったが、4つのオフェンスリバウンドに絡んで得点につなげたことは、今夏のワールドカップで誓った「もっとリバウンドを取らなくては勝てない」という課題に取り組んでいる証だといえる。

 大学時代から変わったことといえば、コーナーから攻める機会が増えたことと、3ポイントを積極的に狙っていることだろう。ゴンザガ大ではチームバランスからインサイドに徹することが多かったが、本人にしてみれば、「僕はインサイドもアウトサイドもリバウンドも何でもできる」と公言するだけあり、今後はアウトサイドでの駆け引きも増えてくるだろう。後半には3本ものブロックショットを浴びる洗礼もあり、試合は100-108で敗戦。自身は開幕戦を白星で飾れず「そこそこの仕事ができた」と評していたが、貢献度でもスタッツでも、堂々のデビュー戦だったといえる。何より、重圧のかかるデビュー戦でいつもどおりの活躍をしたことが、並のルーキーでないことを示していた。

先発に名を連ね堂々のデビュー [写真]=Getty Images

◆学生時代の恩師との出会いがNBA選手八村塁を生んだ

 八村のこれまでの歩みを振り返ると、なんて恵まれた星の下に生まれた選手なのだろうか、とつくづく思う。

 奥田中学校1年でバスケを始めた頃は、坂本穣治コーチの「塁はNBA選手になれるよ」との言葉を信じ、バスケにのめりこんでいった。坂本コーチにしてみれば「バスケを続けてほしい一心から出た言葉だった」とは言うものの、その思いはいつしか本心となり、八村にとっては魔法の呪文のように効いていたのだ。中学で坂本コーチやチームメートとの出会いがなければ、NBAが夢にはならなかったかもしれない。

 明成では佐藤久夫コーチと高橋陽介アスレティックトレーナーのもと、アメリカでプレーするための土台となる心技体を徹底的に叩きこまれた。今や代名詞になった精度の高いミドルシュートやポストプレー、勝負への飽くなき向上心は明成時代に磨かれたものだ。そして、佐藤コーチの教えや家族の愛情により、「2つの国にルーツを持ち、両親から動ける体をもらったことが僕の誇り」との思いを抱くようになり、先駆者となるリーダーシップが芽生えていった。明成で培ったハードワークの習慣や高い志が、八村の人格と選手像を形成したのだといえる。

 ゴンザガ大では、マーク・フューヘッドコーチやトミー・ロイドコーチが描いた『3年計画』により、NBA選手になるための学びと準備の時間を過ごした。語学の壁はこれまで経験したことのない試練だったが、この高い壁を多くのサポートによって乗り越えると、自信を深めたことから技量がみるみる成長。目に見えて進化したのは体の強さだ。「フィジカルの強い相手と戦う中で体の使い方がうまくなった」(八村)ことがアメリカで通用した要因だろう。さらに、コーチたちからは「試合ではタイガーになれ」と戦う姿勢を常に求められ、真のエースへと成長。大学3年間をかけて、NBAで戦うための語学、フィジカル、メンタリティを身につけていったのだ。

 そして9位指名で入団したウィザーズでは、再建中のチームということもあり、ルーキーながらに「ルイは堅実にバスケをやる選手でうちの将来の基盤となる選手。シーズンを通して育てることが我々の使命」とスコット・ブルックスHCに言わしめるほどの存在感を見せている。

 こうして、順調にステップアップしてきた道のりを振り返ると「恵まれた星の下に生まれた」と表現したくなるのだが、すべては本人が切り拓いたもの。自分が成長するために最適な環境のもとで目標に向かって努力し、そのたびに新たなステージに適応しては、自分の力にしてきたのだ。これからも八村は「自分を成長させてくれたコーチたちに感謝の気持ちを忘れず」NBAのコートに立つことだろう。

大学時代の恩師でもあるマーク・フューHC [写真]=Getty Images

◆日本中のファンがリアルタイムで成長を追える楽しみ

 今夏のワールドカップの前に、八村の専属コーチとして日本に帯同していたデビッド・アドキンスコーチは「ルイの飲み込みの早さは驚くばかりで、まだまだ成長できる」と今後の展望を語っていた。このセリフに代表されるように、これまでコーチした誰もが八村の持つ潜在能力の高さを評価してきた。日本で見守る佐藤コーチは「年齢と伸びしろを考えると、ここからの3年でどれだけの経験ができるかが大切」と見ている。そういった意味では、再建中であるウィザーズで主力の一人として試合経験を積めることは、八村にとっては幸運だったと言えるのではないだろうか。

 これまで日本のバスケファンは、高校やアンダーカテゴリー、そして日本代表へと続く八村塁の成長を毎年のように目撃してきた。そして今、新たなファンを巻き込み、世界最高峰の舞台を通じてその成長をリアルタイムで追えることは、なんと楽しみで幸せなことだろうか。

 今後もデビュー戦のようなプレータイムをつかみ取ることができれば、ルーキーとはいえ研究され、1年目から揉まれるタフな戦いが続く。それでも八村はいつもと同じように「楽しみです」というセリフとともに、目の前の試合に準備を重ねていくだけだ。まずはルーキーシーズンをケガなく戦い抜くこと。未知の世界に挑戦する八村塁のNBAキャリアが今、幕を開けた。

努力してたどり着いたNBAの舞台。今後の活躍にも注目が集まる [写真]=Getty Images

文=小永吉陽子

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