2019.08.21

突如訪れた永遠の別れ、小島元基は最愛の父の言葉を胸に、来シーズン“本来の姿”で戦う

ファイナル終了後、父の遺影とともに写真に収まる小島 [写真提供]=アルバルク東京
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 2019年5月11日、アルバルク東京Bリーグ2連覇を達成した。興奮冷めやらぬファイナルが幕を閉じて1時間後の18時20分、小島元基はツイートボタンを押した。

「父ちゃん優勝したで」

 その一言には父への愛情と感謝がつまっていた。

 1カ月半前に時を戻す。100点ゲームで勝利した名古屋ダイヤモンドドルフィンズ戦の翌日、3月25日の朝に小島の携帯電話が鳴った。「母ちゃんと姉ちゃんから電話が来て、『えっ?』って……」。全く予期していなかった。「いきなりでしたね。本当に唐突でした。よくお酒を飲む元気な人でしたから」

 父親の基浩さんが急逝した。すぐに茨城の実家に向かった。「電車で泣きましたよ。もうずっと泣いてました」。葬儀には1000人以上が訪れた。「それだけの方々が来てくれたことからも、すごい人だったんだなって。たくさんの方が父ちゃんのために泣いてくれて。教え子の高校生が泣いてる姿を見るのはつらかったですね」

 アルバルク東京からは、小島が27日のレバンガ北海道戦、30、31日の秋田ノーザンハピネッツ戦を欠場することが発表された。しかし離脱したのはその3試合だけで、4月3日のサンロッカーズ渋谷戦ではベンチに入った。

「バスケがやりたくて、みんなのところに帰りたくて、もう自然とチームに戻っていました。父ちゃんも『早く試合に行けよ』と言うと思いましたし。悲しかったし、切り替えるのは難しかったですけど」。ただSR渋谷戦も、5日の栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)戦もコートに立つことはなかった。「渋谷戦の時はボーっとしてました。ルカ(パヴィチェヴィッチ)ヘッドコーチがチームメートにいろいろな指示を出してるんですけど、全然耳に入らなくて。ハーフタイムの時はなぜか泣きそうになりました」

[写真]=B.LEAGUE

 基浩さんはバスケットの強豪校であるつくば秀英高等学校で教鞭を執っていた。保健体育の先生で、生活指導も担当していた。小島の兄も小島自身も同校のバスケットボール部出身だったが、在学中、基浩さんは女子バスケ部を指導していて直接教わることはなかった。「小さい時からそうでしたけど、高校時代も試合は結構見ていたみたいで、時々アドバイスしてもらうことはありました」

 父親の授業を受けたことはなく、聞いた話では「めちゃくちゃ面白かったみたいです。ただ怒ると怖い」。しかし姉、兄がいる3兄弟の末っ子である小島には「本当に優しかった」。「父ちゃんも末っ子だからかもしれないですけど。兄貴は一度遅刻しただけでボコボコにされてましたけど、僕は何回遅刻しても怒られませんでしたから」と相好を崩した。

 プロになってからも、基浩さんと連絡を取り合っていた。「毎週ではないですけど、大事な試合があった時は。『ここはいい』、『ここはダメだ』とか言われて」。そうした助言を、小島は心にしっかりと書きとめた。「LINEのやり取りは全部残してます。本当にいろいろなことを言ってもらいましたね」

 ある時、基浩さんから「お前パス弱いな」と指摘を受けた。それからパスの強さを意識するようになった。時間が経ち、練習中にチームメートからこう言われた。「お前パス強いな」。父親のアドバイスが成長につながったと実感した瞬間だった。また、基浩さんはディフェンスの指導にも長け、その口から発せられた「間合いを詰めすぎるな」、「下がりすぎるな」といった様々な言葉が、「自分の強み」である守備のベースにあるという。

 時には厳しい物言いもあった。初優勝を果たした2017-18シーズンのファイナルを戦い終えた後には「勘違いするなよ。お前はまだ日本代表になれていない。ここからが勝負だ」と激励のメッセージをもらった。

 最後の会話を憶えているかと尋ねると、小島は少し考えてこう話した。「アルバルクとの来季の契約について、父ちゃんに相談しました。そしたらブワーって長文が来て」と再び顔をほころばせる。その時も、自分のことを想う父からきついことを言われた。そしてその意見をしっかり受け入れて、最終的には自分の判断でアルバルク東京との契約更新を決めた。

 思えば父は息子の希望、判断を常に尊重してくれた。高校3年生の時、東海大学への進学を望むも高額な学費を考えて躊躇していると、「お前の好きなようにしろ」と援護してくれて、大学でバスケットを続けることを決めた。今回進路を相談した時も「今までお前の選択で間違いはなかった」とその決断を後押ししてくれた。

 アルバルク東京3年目となる2019-20シーズン、小島は一つの誓いを立てた。「来シーズンはもっと点を取りに行く」

[写真]=B.LEAGUE

 それもまた、お父さんからのアドバイスかと問うと、「どうなんすかね。アルバルクで2年間プレーして出した答えでもありますけど、父ちゃんから『自分がやらなきゃという責任感が足りない』と言われたのもありますね」

 京都ハンナリーズに所属していた2016-17シーズン、スターターを務めた小島は1試合平均8.2点を記録した。アルバルク東京移籍後はポイントガードの2番手を担い2017-18シーズンは4.5得点、2018-19シーズンは5.2得点。数字だけ見れば下がっているが、これはチームプレーに徹したからであり、その結果としてBリーグ2連覇という勲章を手にした。

 しかし、小島はもっとアグレッシブに攻め、もっと多くのフィニッシュに絡むことができる。その“本来の姿”を見せることによってチームにプラスを生みだせる自負もある。「父ちゃんも、自分がもっと点を取る選手だってことを知ってますから」

 父を失って6日後、小島はInstagramに家族写真を投稿した。姉の結婚式で父がおどけて、家族みんなが笑顔になった、ほのぼのとした写真だ。そこには父に向けて、最後にこう添えられている。「天国にDAZNがあるかわからないけど試合を見ていてほしい」

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父は僕に命とバスケットボールをあたえてくれた。褒めて、叱って、心配して、正しい道に導いてくれた。僕を鼓舞してくれた。僕がプレーするのを楽しんで見てくれていた。父のユーモアでみんなが笑っていた。一生懸命やっていればそれでいい、怪我にきおつけろって言ってくれた。良い時も悪い時もこれからもずっと僕を鼓舞してくれる。父の残した言葉に必ずヒントが隠されてる。父の意思は家族の心にいつまでもいる。あとはゆっくり休んで天国にDAZNがあるかわからないけど試合を見ていてほしい。

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 決意を新たにした背番号1は来シーズンどんな姿を見せてくれるのか。お父さんもきっと楽しみにしているはずだ。「1日1日を大切に、先のことを考えず今をがんばりたい」と話し、ゆっくりと着実に成長してきた小島の歩みをこれから見守っていきたい。

文=安田勇斗

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