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追い求めた”仙台大明成らしさ”、届かなかった日本一…小田嶌秋斗「感謝」の3年間

フリーライター

 本気で日本一を目指した戦いは、ベスト16という結果で幕を閉じた。

「SoftBank ウインターカップ2025 令和7年度 第78回全国高等学校バスケットボール選手権大会」の男子3回戦は、帝京長岡高校に61-68で無念の敗戦。試合後、仙台大学附属明成高校(宮城県)の小田嶌秋斗(3年)は目を赤くし、呼吸を整えながら取材に応じた。

「入学して、久夫先生が亡くなってしまって、その時の3年生が一番辛かったと思うんですけど、その中でも3年生は自分たちに声をかけ続けてくれました。その3年生の背中を見て自分たちは今まで頑張ってきたので、最後、久夫先生のためにも、先輩のためにも、日本一をとって終わりたかったです」

佐藤久夫コーチの跡を継いだ畠山俊樹コーチ[写真]=伊藤大允

 2023年6月、佐藤久夫コーチがこの世を去った。約半年後、仙台大明成はウインターカップの舞台に立ち、現指揮官の畠山俊樹コーチのもとで福岡第一高校(福岡県)と初戦で激突。結果は振るわなかったものの、最後の10分間は34得点を挙げる怒とうの追いあげをみせた。当時から先発を務めていた小田嶌にとって、ともにコートで戦った3年生たちは逞しく、憧れの存在だった。

「当時の3年生はすごく“明成らしさ”というものを持っていました」素早いパッシングゲームを展開する仙台大明成だが、それ以前にディフェンス、リバウンド、ルーズボールなどの当たり前にできることを全員が徹底し、高校生らしく一生懸命に頑張るのがチームの信条だ。

「去年はそれが全く体現できなかった」(小田嶌)と言うように、昨年はインターハイとウインターカップで初戦敗退の屈辱を味わった。「そこからもう1回、明成らしさを取り戻すために頑張ってきました」と小田嶌。今年の夏、チームは2021年以来となるインターハイ4強に入った。惜しくも決勝進出を逃したが、畠山コーチは「最後まで諦めなかった彼らの気持ちは、僕自身も明成高校らしいなと感じました」と称えた。

「本気で日本一になりたいのか」。夏以降、畠山コーチは3年生たちにさらなる奮起を求め、選手も必死に応えてきた。しかし、集大成のウインターカップは目標には届かず。インターハイより険しい道のりを乗り越えなければならない今大会の難しさを感じたのは、選手よりも就任3年目の指揮官の方だった。

 畠山コーチは「柴田(勲)コーチやスタッフの方々が選手と向き合って、しっかりとチームを作ってきた素晴らしいチームでした」と素直に力の差を認め、次のように語った。

「そう考えたらやっぱり僕はまだまだだったなと。僕の中でも慢心がありましたし、選手たちには『足元を見つめてコツコツやっていきなさい』と指導してきた中で、自分自身がやっていなかったところは多々あったと感じています。ウインターカップを勝ちあがることは本当に難しいことだと肌で感じましたし、選手たちは、なかなかリズムに乗れない中で我慢して我慢して、勝ちにつなげようとしていた姿は見ていて本当に逞しく思いました。コーチの責任なので選手たちは責任を負う必要もないですし、胸を張って次につなげてほしいと思います」

 同校OBで2009年のウインターカップ初優勝に貢献した畠山コーチは、現役時代と同じポジションの小田嶌には「自分の良さを消さずにどうチームを動かすのか」など、常に高い要求をしてきた。

[写真]=伊藤大允

「俊樹さんが求めているところにはまだまだ達してない」。小田嶌はそう話したが、165センチのポイントガードは「苦しい場面でも逃げたりせずに、チームのために声を出したり体を張ったりするメンタルの部分は強くなりました」と3年間での成長を噛みしめた。

「本当にみんなには感謝しかないです」。小田嶌の感謝の言葉には、ともに戦った仲間や畠山コーチはもちろん、背中を追いかけた先輩、亡き指揮官への思いが込められていた。

 小田嶌も畠山コーチも、3年間では、あるべき姿を取り戻すことはできなかったかもしれない。しかし、その道は途切れることなく、これからも続いていく。

文=小沼克年

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