2026.01.07

ウインターカップ決勝の試合中に大阪薫英女学院の安藤香織コーチが天に祈った師とは

大阪薫英女学院を全国制覇に導いた安藤コーチ[写真]=伊藤大允
フリーライター

「今日はもう祈ってましたね、“長渡先生”って。長渡先生に頼んでました」

 12月23日〜29日の期間で行われた「SoftBank ウインターカップ2025 令和7年度 第78回全国高等学校バスケットボール選手権大会」。初優勝を飾った大阪薫英女学院高校(大阪府)の安藤香織コーチは、接戦となった決勝戦での心境をこう教えてくれた。

 安藤コーチのいう“長渡先生”とは、前任のコーチである故・長渡俊一氏のこと。大阪薫英女学院のバスケット部を全国トップレベルへと作り上げた名将だ。

 もともと、安藤コーチは、高校時代は大阪府立大塚高校の選手として、指導者になってからは大阪府立豊島高校の指揮官として同じ大阪府内で『打倒・薫英』を掲げて戦ってきた。それでも、長渡氏がコーチとして率いた大阪の国体チームにスタッフとして参加するなど、長渡氏から薫陶を受け、また長渡氏も後継者として安藤コーチの名前を挙げていた。そうしたつながりや「大阪の財産をなくしてはいけない」という思いで11年前に安藤コーチは同チームを引き継いだのだ。

再び相見えた大阪薫英と桜花学園[写真]=伊藤大允

 今年のウインターカップ、決勝の相手はインターハイの3回戦で惜敗した桜花学園高校(愛知県)だった。大阪薫英女学院にとっては夏のリベンジともなる試合だったが、桜花学園のドライブからの攻めに手こずり、前半は9点のビハインドを負う。しかし追い掛ける後半、大阪薫英女学院は「相手のドライブが速く、フィジカルも負けていたので、前半で守れないなと思いました。このままマンツーマンでやってもズルズルと行く、何かを変えないといけないと思いました」(安藤コーチ)という理由から流れを変えるキッカケとしてゾーンディフェンスを用いた。

 結果的にはそのゾーンディフェンスが功を奏したのだが、実は今回のゾーンディフェンス、「私が苦し紛れにいろいろ考えて改良したというか。だから結構ぶっつけ本番に近いところはありました」と、安藤コーチは言う。

 ただ、安藤コーチはこうも続ける。「でも、長渡先生も結構それはありましたよね。(一緒に戦っていた)国体でも、そこまで練習していないゾーンでどうやるんだ?と思ったこともあったけれど、それが実際に効いたのも見ていましたから」

 思い返せば長渡氏も相手に応じて適時にマンツーやゾーンとディフェンス変え、そうした変幻自在のディフェンスは智将・長渡氏の代名詞でもあった。

 安藤コーチとなってからも、大阪薫英女学院はインターハイとウインターカップで準決勝や決勝に進んだ回数は多い。だが、その度に桜花学園をはじめとしたライバル校たちに跳ね返されてきた。安藤コーチにとっても初の全国制覇。優勝会見の席では、「薫英に来させていただいて11年目。前任校の公立高校のときから『薫英を倒したい』と思って頑張ってきましたが、長渡先生にお声掛けいただき、『打倒・薫英』から『日本一』に目標を変えて、素晴らしい選手たちとここまで歩んできました。今年の選手たちが結果を出してくれたのですが、薫英の伝統というか、いろいろな人の思いで今回こういう最高の結果を出すことができたので、心からうれしく思っております」と、これまでのことを振り返りながら感謝の言葉を発した。

決勝後にメディア対応する安藤コーチ[写真]=伊藤大允

 その安藤コーチには、未だ忘れられない11年前の光景がある。それは新任の挨拶でバスケット部員が待つ教室の扉を開けたときのことだ。

 扉を開けると、安藤コーチを見た部員たちの表情が「わっ」と笑顔になったという。

「毎年4月頭にミーティングをしますが、今年のミーティングでもその話をしたと思いますね」とは安藤コーチ。

「長渡先生が(奥さんの)由子さん(現アシスタントコーチ)に卒業生ではない私を呼ぶように言ってくれた。それは思ってもみなかったことだったし、当然、最初は薫英に行くつもりはなかったのですが、行かなかったことでその後の人生で『行っておけばよかった』と思うのだったら行こうと思い、決めました。(今回の優勝で)少しは恩返しができたかなと思います」

 今や大阪薫英女学院といえば安藤コーチの率いるチームとして知られ、堅いディフェンスと速い攻めを主体とした指揮官の目指すチームカラーとなった。だがそこには、 “長渡イズム”もしっかりと継承されてもいる。長渡氏の残した財産と安藤コーチが積み上げ、これからもつなげていく伝統が導いた冬の日本一だったといえるだろう。

文=田島早苗

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