2019.07.30

名門・能代工業に食い下がった“豊浦魂”

最後まで自分たちの魂を貫いた豊浦[写真]=佐々木啓次
本格的に取材を始めたのが「仙台の奇跡」と称された2004年アテネ五輪アジア予選。その後は女子バスケをメインに中学、高校と取材のフィールドを広げて、精力的に取材活動を行っている。

 反省すべき点、克服べき課題は山ほどある。それでも豊浦高校(山口県)は最後まで自分たちの魂——豊浦魂だけは見失わなかった。

「令和元年度全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)」の男子2回戦、豊浦は能代工業高校(秋田県)と対戦し、最終スコア55-79で敗れた。

 結果は完敗だが、豊浦は何度も能代工業に食い下がった。第1クォーターからリードを奪われ、その後も一気に突き放されてもおかしくない場面で、彼らは何度もカムバックし、能代工業を嫌がらせた。そこには1人の――実際には彼だけでなく、全員なのだが、あえてフォーカスすべきと感じた1人のベンチメンバーがいた。小西真樹である。

 聞けば1年生のウインターカップからずっとベンチ入りしている3年生のシューターだという。だがディフェンスをベースにチーム作りを進める豊浦にあって、ディフェンスが苦手という決定的な弱点を持っていた。「正直なところ、今大会のメンバーから外すことも考えていました」と枝折康孝コーチは明かす。

 それでも彼をベンチ入りさせたのは、他人のために声を出せる選手だったからだ。実際――これが彼をフォーカスすべきと考えた点だが――能代工業戦でも、ベンチの前で立って指揮を執る枝折コーチの後ろで、彼も立ってコートに向かって大きな声を出していた。居ても立っても居られなかったのだろう。むろんチームメートがいいプレーをすれば自分のことのように喜び、ガッツポーズを繰り出す。こんな選手を2階の応援席に座らせておくわけにはいけない。

ベンチ、2階応援席は終始賑やかであった[写真]=佐々木啓次

 そんな小西だが、新チームがスタートした1月頃に「自分はチームのプラスになっていない」と、2、3日無断でチームを休んだことがあるという。そのまま退部することも考えたそうだが、ミニバスケでお世話になったコーチと1時間以上話し込み、「できることをやりなさい」と告げられて、枝折コーチに「もう一度、練習に参加させてください」と頭を下げて、部に戻ってきた。そうして自分のできること、つまりハードに練習し、コートの外からでもチームメートのために声を掛け続けて、インターハイのエントリーを自らの手で、そして声でつかみ取った。

 能代工業戦では敗戦濃厚な第4クォーターの残り1分36秒でコートに立った。そしてシューターである小西に対し、チームメートはシュートが打てるフォーメーションを選択した。「今年のチームはまだ私から言われたことしかできないんです」と枝折コーチが嘆いていたチームが、1人のシューターのためにフォーメーションをセットしたのである。小西もそれを意気に感じて、残り32秒、トップの位置から3ポイントシュートを沈めた。

「ベンチのみんなからも『打ってこい!』って言われていたので、とにかく決めてやろうと思っていました。決められてよかったし、うれしいです」

 しかし、これが小西にとって高校最後の3ポイントシュートととなる。

 残りの高校生活は「自分のために頑張ろうと思っていて、勉強に専念します」と言う。同級生の何人かはウインターカップまで残るが、小西はインターハイを最後に部活動を引退するのだ。

小西にとって高校最後の3ポイントは、チーム全員で決めた[写真]=佐々木啓次

 小西がベンチから抜ける穴はチームにとってけっして小さくない。しかし誰かがその魂を継ぐことで小西の“豊浦魂”もまたウインターカップで生き続ける。自分ではない誰かのために、できることを――そうした気配りは県立豊浦が目指す、全国トップクラスのチームを倒すディフェンスにも通じるはずだ。

文=三上太

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