Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
春は出会いと別れの季節、特に中高生にとっては入学や進級などで環境が大きく変わる時期だ。
新たな生活に大きな期待を抱く一方で、同じくらいの不安を抱く生徒も多いだろう。
そこでバスケットボールキングでは、BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代を振り返ってもらうインタビュー特集をスタート。
トップリーグで活躍する選手たちの高校時代の話を、今後の学生生活の参考にしてほしい。
第1回はJX-ENEOSサンフラワーズのスピードスター宮崎早織が登場。全国大会で大きなインパクトを残した聖カタリナ女子高校(現聖カタリナ学園高校)時代についてのインタビューを、全3回にわたってお届けする。
インタビュー・文=峯嵜俊太郎
写真=バスケットボールキング編集部、伊藤 大允
――聖カタリナ女子高校(現聖カタリナ学園高校)の2年生からは、スターターとしてプレーすることになりましたね。
宮崎 田村さん(田村未来/デンソーアイリス・2019-20シーズンをもって退団)や熊さん(熊美里)がいた新3年生の先輩たちとバスケットをするのがとにかく楽しかったですね。1年生の時には戸惑っていた考えるバスケットも身についてきて、考えることも楽しみながらバスケットができていました。
――夏のインターハイでは順調に勝ち上がり、決勝では前回大会で敗れた桜花学園高校と対戦しました。
宮崎 緊張しましたね。けれど「もう桜花の時代は終わりだ!」とかなり意気込んでもいました。だからこそ、負けてしまった時は本当に悔しかったです。でも同時に、初めての決勝戦は楽しくもありました。やっぱり普通の試合とは懸ける思いが違うので、怖いし、緊張するけど、絶対に勝ちたい、そんな経験が楽しかったです。
――インターハイで準優勝したことで、冬のウインターカップではチームに対する注目度も高かったと思います。1年生の時とどのような違いを感じましたか?
宮崎 プレッシャーは特に感じませんでしたが、「こんなに注目されるの!?」という感じで驚きましたね。私たちは身長が低かったので、そういうところでもすごく注目してもらえていたのかなと思います。
――この年はウインターカップでも、決勝で桜花学園と対戦しています。
宮崎 インターハイの時は、決勝戦に慣れていないチームと慣れているチームとの、力の差や経験の差が出てしまったのかなと思います。でもウインターカップでは、インターハイ決勝を経験した分、五分五分で戦えるのではないかと思って試合に臨みました。試合中はすごく楽しかったんですが、結果として負けてしまいました。大好きな先輩たちと一緒に勝って優勝したいと思っていたので、本当に悔しかったです。
――その後、いよいよ最高学年を迎えることとなりますが、このタイミングで慕っていた一色建志先生が聖カタリナ学園の監督から外れ、ジュニアカテゴリーの日本代表ヘッドコーチに専念することになります。
宮崎 一色先生がいなくなることになって、すごく不安でした。後任に尾下佳子先生が来てくれて、一色先生の下でアシスタントコーチをしていた田村佳代先生もサポートしてくれましたけど、あの時期は結構大変でしたね。
――そんな状況で迎えたインターハイ、どのような心境で臨みましたか?
宮崎 一色先生から引き継いだことで一番プレッシャーを感じていただろう尾下先生のためにも勝ちたい、という気持ちが強かったです。でも甘かった。準決勝で昭和学院高校に負けてしまい、ベスト4で終わりました。大会を通して、みんな集中できていなかったというか、油断もあったと思います。精神的な甘えを自分たちでは気付けなくて、接戦になった時にミスが続いて、修正できませんでした。
――そこからどのようにチームを立て直していったのでしょうか?
宮崎 産休を終えた佳代先生が戻ってきてくれたことは大きかったです。あとは、それまで控えだったチームメートたちが、練習中でもバチバチあたってくるようになって。「そんな試合をしているなら代わってほしい」という気持ちがすごく伝わってきました。そうした練習を通して、「ああ、この気持ちが必要だったんだな」「勝ちたいっていう気持ちが必要だったんだな」と気付かされたんです。
――そのような経験を経て、最後のウインターカップはどのような気持ちで臨んだのでしょうか?
宮崎 3年生の1年間は苦しい時期が長かったから、最後は楽しみたいという気持ちが強かったです。すごくしっかりしている後輩が助けてくれるし、一人で気を張ろうとしなくても大丈夫だろうって考えていました。いろんな人を信じて、ユニフォームをもらえていない仲間のためにも頑張りたいと思い、大会に臨みました。
――3年生のウインターカップでは、準決勝でまたも桜花学園と相対しました。
宮崎 組み合わせを見た時から、「準決勝か…」と意識はしていました。対戦を楽しみにしていましたが、実際に試合が始まると全然だめで…。
――序盤はなかなかうまくいかず、第3クォーター終了時点で37-61と24点ビハインドでした。
宮崎 桜花にリベンジする最後のチャンスだ、と考えすぎて、最初から硬くなってしまいました。プレーがうまくいかず「何がいけないんだろう」という不安がすごかったです。
――しかし、第4クォーターに入ると驚異的な追い上げを見せ始めます。そのきっかけは何だったのでしょうか?
宮崎 誰もが「カタリナ無理かも」と思っていたでしょうし、私自身も少し諦めかけていたんです。でも、後輩の曽我部(奈央/日立ハイテククーガーズ)と篠原(華実/デンソーアイリス)がすごくディフェンスを頑張ってくれて、前からあたってスティールして、連続得点してくれたんです。それに励まされて、「これはいける、頑張らなきゃ」と気持ちを持ち直せました。後輩たちのおかげです。そこから私と加藤(瑠倭/アイシン・エィ・ダブリュウィングス)も波に乗れて、一気に緊張がほぐれました。「おっそ!」って感じですけどね(笑)。
――最終的に65-68とあと一歩及ばず負けてしまいましたが、第4Qだけで見れば28-7というスコア。プレーしていていかがでしたか?
宮崎 心の底から楽しかったです。「これだ!」と思いました。3年生での1年間でやりたかった自分たちのバスケットが、最後の桜花との試合でようやく出せたと思います。負けてしまったのは悔しかったですが、自分たちがやりたかったバスケットができたので、私はとても清々しい気持ちでした。
――「楽しみたい」と臨んだ大会の、最後のクォーターを心から楽しめたんですね。こうして振り返ってみて、高校3年間でどのようなことを学びましたか?
宮崎 バスケットを初めてからカタリナに入るまで、私はずっとチームで一番うまい選手で、自分が好きなように、自由にプレーさせてもらえていました。でもカタリナではそうではなく、先輩には近平(奈緒子/アイシンAW)さんや、田村さん、熊さんがいて、自分勝手なプレーはできない。そこで一色先生から「自分がパスを出すから、相手はシュート決めてくれるし、シュート決めてくれる人がいるから自分もパスを出せるんだぞ」ということを学んで、私だけのチームじゃないし、みんながいてこそ成り立つのがチームなんだと、初めて知りました。ユニフォームをもらえないチームメートのためにも、無駄なプレーや投げやりなプレーはできないですし、チームメートだけじゃなくて支えてくれている両親にも感謝しなければいけないと学ぶことができましたね。これは今の自分にもすごく活きていることです。
――4月から新学期に臨む学生たちにアドバイスを送るとしたら?
宮崎 中学や高校に入って、先輩後輩関係を初めて知る子も多いと思います。いろいろと気を遣ったりして、最初は戸惑いも多いと思いますが、慣れてきたらどんどん楽しくなると思うので、ネガティブな気持ちに負けないで、頑張って練習してほしいです。今は日本中が難しい状況で、みんなで練習できないことも多いと思いますけど、小さいことの積み重ねが、中学や高校での活躍やプロ(実業団)の道につながります。家でできることに励みながら、休む時は休み、オンとオフの切り替えを大切にして頑張ってほしいです。
――いい先輩後輩関係を築くためのコツなどはありますか?
宮崎 私の場合は、コート上では遠慮なく言い合うようにしていました。そこで思いっきり意見を出し合うことで、それぞれのキャラクターも分かってくるし、練習後も話しやすくなるので、思いきってやってみてほしいです。