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【女子日本代表OG対談①】栗原三佳×三好南穂「日本代表への想い、五輪の思い出」

東京五輪で銀メダルを獲得したチームには三好南穂さんが参加 [写真]=Getty Images
フリーライター

いよいよ開幕するパリ2024オリンピック。ここでは過去にオリンピックを経験した女子日本代表OG2人にオリンピックの思い出を振り返ってもらった。

取材・文=田島早苗

■オリンピック出場は自分でもサプライズ

――2人はオリンピックに出場していますが、子どものころからオリンピックに出場する夢を抱いていたのでしょうか?
栗原 特に夢を抱いたことはなかったですね。ただ、中学のときにキャプテンをしていたのですが、男子バスケット部のキャプテンと私とで市の取材を受けたことがあって、そのときに男子のキャプテンが「僕は将来日本代表になる」と言ったので、男子キャプテンに負けたくない気持ちから、「じゃあ、私は将来オリンピックに出ます」と言ったことはあります。でもまさか自分がオリンピックに出られるような選手になるとは本気で思ったことはなかったですね。

 目指せる位置にいると感じたのは日本代表に選ばれてからで、実際に出たいと思ったのはFIBAの制裁があったとき。(リオデジャネイロオリンピックの予選も兼ねていた)アジア選手権に出られないかもしれないとなったときに、当時はアジア選手権で1位になればオリンピック出場権が獲得できたので、そこで初めてオリンピックが目の前にある、アジアで勝って行きたいと強く思いました。

三好 私も日本代表のことは意識していなくて、リオオリンピックのときも出たいけれど難しいだろうと思っていました。東京オリンピックに出たいと思ったのはリオを経験したから。ベスト8という良い結果が出たからこそ、東京でもう一度という思いになりました。でも、リオからの4年間でまた今の実力では無理だろうなと…。それでも、新型コロナウイルス感染症でオリンピック開催が1年延びた中、2021年2月の合宿でたまたま私の調子が良く、(当時ヘッドコーチの)トム(ホーバス)さんからほめてもらえたんですね。そこで、「頑張ったらメンバーに入れるかもしれない」と思うようになりました。

――三好さんは東京オリンピックの前には3人制と5人制と両方で日本代表候補でした。
三好 はい。東京オリンピックの開催が延期にならなければ3人制で挑戦していたと思います。現実を見たら山本麻衣(トヨタ自動車アンテロープス)がいたので無理だったとは思うのですが、私はオリンピックに出たいという思いが一番にあったので、3人制に挑戦するか、5人制に挑戦するかの決断を迫られたときはオリンピックにより近い方を選んでいました。

――さてリオオリンピックの話に戻りますが、2人とも初のオリンピックの出場。メンバーに入ったときの心境は?
三好 うれしかったし、驚きました。

栗原 私は前年のアジア選手権で大会中、調子悪くなってしまい決勝トーナメントではほとんどプレーで貢献できず悔しい思いもしました。オリンピックに向けた候補メンバーで招集されたあとも他の選手が長く試合に出ていたので、諦めていたところはありましたね。試合に出させてもらってもアジア選手権のことがあったので「本当に大丈夫なのかな?」と最後まで思っていました。だから、名前を呼ばれたときは、ホッとしたというか「良かった、もっと頑張ろう」と思いました。

――話に出たアジア選手権では見事優勝してリオへの出場権を獲得しました。
栗原 あのときは(大会前遠征などで)他国と試合させてもらっていたのですが、それこそヨーロッパのチームとやっても嫌な感じがなかったんですね。そういった手応えもあって、チームみんながアジアでは絶対優勝という気持ちが強かったですね。アジア選手権は中国開催でどアウェイだったので覚悟はしていたし、むしろ味方がいないから自分たちで応援し合いながら「やってやろうぜ!」と逆に楽しんでいたところもありました。

2015年開催の女子アジア選手権に優勝してリオ五輪の出場権を獲得 [写真]=fiba.basketball


――中国との決勝戦は85-50と思わぬ点差が付きました。
栗原 日本は走れていたし、ディフェンスも良かったですね。それと予選ラウンドの中国戦で最後にリュウさん(吉田亜沙美)のシュートで逆転して勝った(57ー56)。それで一気に士気が上がったというか、あの勝ちで『いける』という雰囲気になりました。

■選手村はスーパースターが身近に存在する不思議な空間

――2人ともシューターですが、日本代表活動中はシュートを決めなくてはいけないというプレッシャーも大きかったのでは。
栗原 私の場合、練習でも試合でも入らないとなると焦りましたが、練習でそこそこ入っているのに試合で入らないときは、この日は調子が悪かっただけやなという感じでそこまで焦りはなかったです。シュートは9割メンタルだと思っていて、『入れなきゃ』となった瞬間から良い結果は出ないんですよね。だからそうならないように気をつけていたし、自分の中でOKラインを作って追い込みすぎないようにしていました。

三好 私も9割メンタルだと思います。私はたまたまオリンピックの年にプレッシャーを感じることなくできていましたが、リオオリンピックが終わった翌々年の世界選手権に向けた活動ではスペインまで行って(選考から)外れたことがありました。そのときはシュートを入れなければという思いが先行してしまって、結局入らなかった。その経験があったからこそ、それ以降は吹っ切れて、入っても入らなくてもシュートを打つことが仕事、打たない方が良くないという気持ちでいることができました。

――リオオリンピックでは、試合以外に印象深いことなどありますか?
栗原 開会式はすごかったよね? 覚えてない?

笑顔でのプレーが印象的だった栗原三佳さん(写真はリオ五輪) [写真]=fiba.basketball


三好 入場までずっと待っていた廊下は覚えてるんだけど…(スタジアムの)中に入ってからは覚えてない。

栗原 待ち時間がとりあえず長くて、当時は誰もオリンピックを経験していなかったから何をして待ったらいいの? という感じで。他国の選手はトランプなどを持ち込んでいたので、これやったなと思ったのは覚えていますね。それと、今は入場時に選手がスマホで撮りながら歩くけれど、当時の日本選手団はスマホで顔が隠れて見えなくなるしそれはやめようということになって、スマホをしまったまま入場しました。でも、自分の目でしっかりと会場を見て世界の祭典を感じることができたので、それで良かったと思っています。

三好 私は選手村の方が記憶にありますね。他競技の有名な人がたくさんいて、これがオリンピックなんだと。陸上のウサイン・ボルトはすごかったよね?

栗原 そうだね。NBA選手に開会式で会えたことも興奮したけれど、ボルトが日常のようにいたのもすごかった。彼のところには選手村でも常にたくさんの人が集まっていて、スターは大変やなと思いました。

三好 選手村は簡易的な施設なので快適かどうかは分からないですが、(ぼそっと)マック(マクドナルド)があるのはうれしかった(笑)。

栗原 メイ(大﨑佑圭/元ENEOSサンフラワーズ)とタク(渡嘉敷来夢/アイシンウィングス)は美容院で髪切ってたよね。

三好 そう。そういう普段できない経験できたことは面白かったですね。

■東京で銀メダルを獲得できたのはリオでの手応えがあったから

――試合では1次リーグを3勝2敗。準々決勝でアメリカと対戦して敗れたためにベスト8でしたが、日本らしさが出た大会でした。
栗原 みんなで「メダルいけたよね」という話はしたよね。

三好 日本は強いんだって思えた大会だったよね。

栗原 世界に通用するということだけでなく、自分たちがいいバスケットをしていると思えたし、アメリカにも前半は競ることができた。選手全員が日本のバスケに自信が持てた瞬間だったと思います。

三好 リオでいけるというのが感覚としてあって、それを経験した人が東京オリンピックのメンバーにいたことも銀メダルにつながったと思います。

リオでの経験が東京に生かされることになる(写真左は町田瑠唯) [写真]=Getty Images


――リオの奮闘があったからこそですよね。
三好 リオでのベスト8という成績も当時は良かったし、やれるという手応えを感じられたからこそ、その後の5年間というのは自分たちの世界への見方が変わったと思います。リオではベスト8が目標だったけれど、東京ではベスト8は絶対みたいなステップアップもしていました。それにトムさんがずっと金メダルと言い続けたことで自分たちもそういった気持ちになり、トムさんの言葉を信じてやれたからこその銀メダルだったと思います。

三好南穂さんは東京五輪で銀メダルを獲得 [写真]=fiba.bassketball


――東京大会でメダル取れると確信したようなタイミングは?
三好 コロナ禍で海外遠征もできなかったので、大会に入ってみないことにはわからないというのは正直なところありました。ただ、1次リーグから自分たちの調子がすごくいいし、いけるかもしれないというのはありました。私としては準々決勝のベルギー戦に勝ったことで本当に金メダルを狙えるという確信に変わりましたね。

――栗原さん、三好さん、ありがとうございました。次はパリ五輪に臨む12名の選手を独自の目線で紹介していだければと思います。(後編へ続く)

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