2019.03.27

ジノビリの永久欠番式典を前に「コート内外において実に魅力的だった」と指揮官が言及

昨季までプレーしていたジノビリ(右)についてポポヴィッチHC(左)が振り返った[写真]=Getty Images
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ジノビリ入団当初におけるダンカンとのエピソードを明かしたポポヴィッチHC

 3月29日(現地時間28日)。サンアントニオ・スパーズのホーム、AT&Tセンターで行われるクリーブランド・キャバリアーズ戦で、昨季限りで現役を引退したマヌ・ジノビリの永久欠番セレモニーが行われる。

 このセレモニーには、ジノビリが登場するだけでなく、昨季までスパーズに17シーズン在籍していたトニー・パーカー(現シャーロット・ホーネッツ)と昨季までスパーズのアシスタントコーチを務めていたジェームズ・ボレーゴ(現ホーネッツHC)も出席するという。

 そんな中、グレッグ・ポポヴィッチHCがジノビリについてチームの公式ツイッターへコメントしていたので紹介したい。

「彼をドラフトした時、我々は(史上有数のレジェンドと評されるほどの)“マヌ”になるとは思っていなかった。そして(2002年に)彼がこのチームに来た時、残念ながら足首を痛めていたから、チームに合流するまで時間を要したんだ」。

スパーズ入り直後のジノビリ(左)について、ダンカン(右)とのエピソードが明かされた[写真]=Getty Images

 そして当時、ティム・ダンカン(元スパーズ)と交わしたやり取りについてこう振り返っていた。

「今でも覚えているんだが、その時にティミー(ダンカンの愛称)がマヌについて、こう言ってきたんだ。『アイツはポップが言ってたほどすごい選手なの? なんかさ、アイツは本当に、僕にはいい選手に見えないよ。片足でよろよろ歩いて、僕らの進行を妨害してるんだけど』ってね」。

 ルーキーシーズンのジノビリは、主にシックスマンとしてプレー。69試合に出場して平均20.7分7.6得点2.3リバウンド2.0アシスト1.4スティールを挙げたものの、当時はロールプレーヤーに過ぎなかった。だが徐々にNBAのプレーに慣れていったことで、ジノビリへの評価は一変する。

「でも彼が本格的に始動した時、(03年の)1月くらいだったかな。私はマヌがすぐにこのチームの戦力になるとわかった。ちょうどその時、ティミーもマヌのプレーを見て、眉を上げたりして驚いていたんだ」とポポヴィッチHCが振り返る。

名将も絶大な信頼を置いていたジノビリの情熱とリーダーシップ

 当時のスパーズは、ダンカンを中心にリーグ有数の強豪として君臨していたものの、シャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)とコービー・ブライアント(元レイカーズ)擁するレイカーズ相手にプレーオフで勝てずにいた。

 パーカーもまだキャリア2年目と若く、チームとしてはベテランぞろいの強豪という評価にとどまっており、02-03シーズンの優勝候補に挙げる者も少なかった。

 ところが、スパーズは03年プレーオフのカンファレンス・セミファイナルでレイカーズを4勝2敗で下し、カンファレンス・ファイナルではダラス・マーベリックスを6戦で撃破、NBAファイナルでもジェイソン・キッド(元マブスほか)率いるニュージャージー・ネッツを4勝2敗で制してフランチャイズ史上2度目の優勝を達成。

プレーオフでも数々のビッグプレーを見せてきたジノビリ[写真]=Getty Images

 ジノビリもルーキーながら要所でビッグプレーを披露し、日を追うごとに存在感を発揮。それから昨季まで、ジノビリは16シーズンという長期間にわたってスパーズ一筋でプレー。計4度の優勝に主力として大きく貢献し、キャリア終盤にはリーダー役として数字に残らない部分でも重要な仕事をやってのけた。

「コート内外において、彼は実に魅力的な男だった。彼は人々を愛し、ゲームに対する情熱は模範的なものだった」とポポヴィッチHC。

 29日(同28日)のセレモニーで、ジノビリは恩師をはじめ、数多くのチームメートたちを前にしてどんな言葉を口にするのか。記録にも記憶にも残るほど強烈なインパクトを残してきた男のマイクパフォーマンスは必見だ。

感情を包み隠さず爆発させてきたジノビリ。勝利への執念は特筆すべきものだった[写真]=Getty Images

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