2025.12.18
2026年1月29日に初開催される『Bリーグドラフト2026』。2026年秋から始まる新B1「Bプレミア」入りを目指す選手たちにとって、その舞台はキャリアの行方を左右する大きな分岐点となる。日本バスケットボール界の未来を担う若者たちは、どのような思いでこの新たな挑戦に踏み出しているのか。今回はドラフト志望届を提出した身長186センチのガード、西村月冴にインタビューした。
宇都宮ブレックスのユースやTokyo Samuraiで経験を積み、アメリカのプレップスクールにも挑戦。帰国後は3x3のEDEN.EXEでプレーしながら、Bリーグ入りを目指して研鑽を続けている。日本と海外、5人制と3人制、そして異なる文化や価値観に触れる中で育まれてきた西村のバスケット観とは何か。ドラフトという新たな舞台を前に、これまでの歩みと現在の思いを語ってもらった。
インタビュー=藤田皓己(バスケットボールキング編集部)
――バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。
西村 5つ上の兄がバスケットボールをやっていたので、一緒に始めたという感じです。本格的に始めたのは中学からですね。中学校は宇都宮市立鬼怒中学校に通っていました。
――宇都宮ブレックスのユースチームにも在籍されていましたね。
西村 中体連の大会が終わった後に、お誘いいただいて入りました。高校時代はブレックスU18からTokyo Samuraiに入って、そこでの紹介もあってアメリカの高校に行かせてもらいました。
――Tokyo Samuraiへの加入、そして渡米した経緯について教えてください。
西村 海外でプレーしていた兄の背中を見て「かっこいいな」とか、「バスケの本場アメリカでやってみたいな」という気持ちが芽生えました。自分の性格がガツガツいくタイプで、日本ではあまり好かれないかもしれないですけど、アメリカにはそういう奴らばっかりいると兄から聞いていたので、挑戦させてもらいました。兄はもう本格的に競技をしていないですが、振り返ってみると兄の影響が大きかったです。莫大な費用もかかったと思うので、両親にはもう本当に頭が上がらないですね。
――アメリカではどのような経験をしてきましたか。
西村 アメリカには16歳の終わりから17歳の終わりごろまでいました。リーアカデミーというプレップスクールに行って、夏はAAUでニューヨークに行ったり、オフシーズンはシカゴに行ったりと、結構点々としていました。

プレップスクールでは一番年下で、最初の1カ月はいじめられましたね。でも、アメリカのいいところは、プレーで見せればみんなが可愛がってくれるところ。今でも連絡を取りますし、自分が日本でプロを目指していると伝えたときも、すごく励ましの言葉や電話をくれたりしました。
アメリカでプレーすることが最終的な夢なので。毎日がすごく刺激的でした。日本と違ってどこに行ってもバスケをしている人たちは多いし、言語も文化も違う中で吸収できることは多かったです。
――帰国してからのキャリアについて教えてください。
西村 帰国後は、Tokyo Samuraiで練習したり、個人的にワークアウトをしていました。一度帰国してまたアメリカに戻る予定だったのですが、いい学校が見つからなかったこともあり、この経験を日本で活かすならBリーグしかないなと思って、シフトチェンジしました。3x3のEDEN.EXEでプレーしたり、個人的なワークアウトをしたりしています。
――現在所属しているEDEN.EXEには、どういった経緯で入団したのですか。
西村 兄の高校の先輩がEDEN.EXEのオーナーをやっていて、連絡させてもらいました。3x3は未経験だったので、チャレンジしてみようと思いました。
――3x3をやってみて、何か新たな発見はありましたか。
西村 5人制と違って、ディフェンスもオフェンスもすべて自分の責任。抜かれたらそのまま点を取られるし、自分が決めなきゃいけない場面では決めないといけない。同じバスケットでも全然違う競技で、もしかしたら自分は3x3の方が合っているんじゃないかと思うこともありました。
――これまでのバスケットボールキャリアでのターニングポイントはどこでしょうか。
西村 この秋に2週間半ほど滞在したフィリピンでの経験ですかね。あそこが自分の中で一番のターニングポイントになったというか、また考え方がすごく変わった時間でした。

[写真]=本人提供
――フィリピンでの経験はいかがでしたか。
西村 日本の当たり前が当たり前ではありませんでした。リングがえぐいほど曲がっていたり、バックボードに穴が開いていたり。ボールも革じゃないくらいツルツルで、床も滑るし、シューズを履いていない子もいる。でも、その環境に対して誰一人言い訳をせず、全員がバスケで勝負しているなと感じました。
――現在の1週間の過ごし方を教えてください。
西村 毎日バスケ漬けです。今、EDEN.EXEで子どもたちのスクールでバスケを教えているのですが、それ以外はもうジムとバスケしかしていません。3x3はオフシーズンなので、今はスクールでの活動がメインです。

[写真]=本人提供
――ドラフトへのエントリーは誰かに相談しましたか。
西村 特にしなかったです。目の前にチャンスが転がっているなら、つかみにいくしかないでしょ、という思いでエントリーしました。その後の反響は結構ありましたね。父にはドラフトにエントリーすることを言っていなかったんですが、ヤフーニュースに載っていたのを見つけてくれて「どういうことだ?」と連絡が来ました(笑)。EDEN.EXEのスクールの子どもたちや保護者の方々、友達からも応援のメッセージをもらいました。
――Bリーグを意識し始めてから、何か変わったことはありますか。
西村 プロはスポーツでお金を稼ぐだけでなく、子どもたちに夢を与えることができる存在だと思っています。フィリピンではバスケがしたくてもできない環境や、僕らが当たり前に使っている服やボール、シューズが当たり前ではない現実を目の当たりにしました。彼らに直接手を差し伸べられるような形になるかはわからないですけど、僕のプレーを見てバスケを頑張りたいと思ってもらえたり、僕が子どもの頃にプロ選手に憧れたように、誰かの目標になれるようなプレーヤーでいたいと強く思います。
――Bドラフトへ向けて、自身の強みとアピールポイントを教えてください。
西村 自分の強みは華があるプレーというか、何が強みかと聞かれると正直言うのは難しいですが、機械みたいにバスケットをするんじゃなくて、見ていて楽しい、ワクワクするようなプレーを見せたいです。

[写真]=本人提供
――Bリーグでプレーする自分の姿をイメージすることはありますか。
西村 ずっとイメージしています。最近はBリーグの試合映像をよく見ていて、「この選手とマッチアップしたらどう止めようかな」とか、「このチームに入ったらこういうことができるな」とか、自分と比較して考えるようにしています。ドラフトにエントリーすると決めてから見るようになりました。
――ドラフトに向けて、日頃支えてくれている方々へメッセージをお願いします。
西村 今まで本当に“してもらった”ことしかなかったので、あとはもう恩返しするしかないです。僕がプロになって、毎回試合に呼べるくらいになりたいし、今度は僕が家族から受け取ったものをみんなにリターンバックできるようにやっていきたいです。
バスケットボール選手ではないですけど、自分の親父の背中を見た時、すごくかっこいいなと思っていました。家族のために頑張って働いてくれて、40歳を過ぎてから海外で新しいことに挑戦しているんです。僕も子どもが物心ついた時に父親がバスケットボール選手として最前線で戦っている姿を見せたいです。
――最後に、Bリーグのクラブ関係者やファンに向けてメッセージをお願いします。
西村 見ているとニコニコしちゃうような、「この選手を見ていて楽しいな」とか、「こいつの将来がもっと見たいな」と思わせられるようなプレーヤーになります。
氏名:西村月冴(にしむらつかさ)
所属:EDEN.EXE
出身地:栃木県
生年月日:2006年10月24日(19歳)
ポジション:ポイントガード兼シューティングガード
身長:186センチ
体重:86キロ
利き手:右
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