2022.12.23

【トッププレーヤーの高校時代】三谷桂司朗(広島皆実→筑波大)「ここまでバスケにのめり込むとは思っていなかった」

三谷が高校時代を回顧 [写真]=兼子愼一郎
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高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画「トッププレーヤーの高校時代」。今回は地元の広島皆実高校(広島)で高校3年間を過ごし、筑波大学に在籍する3年の三谷桂司朗を直撃。世代別日本代表に選出されるなど、高校3年間で大きな成長を遂げたオールラウンダーに話を聞いた。

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インタビュー=酒井伸
写真=兼子愼一郎

■「高校で初めてバスケットボールの深さを知った」

ーーバスケットボールを始めたきっかけから教えてください。
三谷 小学3年生の夏、バスケットボールをやっていた友だちに「バスケットボールを始めたらその身長を絶対に活かせるよ」と誘ってもらい、体験会に参加したのがきっかけです。それまでは水泳をやっていました。スイミングスクールに通っていたのも友だちの影響。スポーツや体を動かすのは好きでしたけど、クラブに入ることは考えていなかったです。

ーー当時の身長は?
三谷 小学校の時は、すごく高いわけではなかったです。小学6年生で166センチでちょっと高いけど、170センチに届かないくらいでした。チームの中では一番高かったですけどね。一番伸びたのは中学の2年から3年にかけて。卒業する時は183センチで、高校でも少しずつ伸びて今では191センチです。

ーーご両親も背が高いのですか?
三谷 両親は高くないですが、兄が僕と同じ191センチあって。兄も中学から伸び始めたらしくて。「同じように伸びるよ」と言われて、あまり信じていなかったのですが、気がついたら同じぐらいになっていました。

ーー当時憧れていた選手はいますか?
三谷 初めてNBAの試合を見た時、当時オーランド・マジックでプレーしていたドワイト・ハワード(現桃園レオパーズ)選手が豪快なブロックショットをしていて。NBAのことは詳しく知りませんでしたけど、「この選手がカッコいいな」と思っていました。ハワード選手が好きということをコーチに言うと、ビックリしていましたね(笑)。

小学校の頃は単純にバスケットを楽しんでいたという [写真]=兼子愼一郎

ーー高校は地元の広島皆実高校へ進学しました。
三谷 小学6年生になる時、新しく就任したミニバスのコーチが皆実高校のOBで、藤井(貴康)先生と仲が良かったみたいです。「高校までは広島に残って。県外に出るのは大学からでいいと思う」と軽く言われて。僕自身はバスケットボールを好きでしたが、戦術的なことを知らなかったし、楽しいからやっていたみたいな。例えば、大濠(福岡大学附属大濠高校/福岡県)が強いという知識もなかったです。当時の言葉が残っていたから、皆実高校へ行きたいと思って。中学3年生になったら藤井先生が直々に誘ってくれたので、すぐに「皆実高校へ行きたいです」と伝えました。

ーー1年生の時から主力として起用されました。
三谷 高校で初めてバスケットボールの深さを知ったというか、戦術的なことは高校で初めて聞く言葉ばかりでした。高校に入ったら試合に出られないだろうと思ったのですが、高校入学前に全関西という大会に誘われて行ったら、その日からスタートで出させてもらって。出られると思っていなかったので、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。入学後も引っ張ってくれる先輩方に一生懸命ついていった1年でした。

ーーインターハイ、ウインターカップにも出場しました。
三谷 インターハイの時はどこの高校が強いのか全く知らなかったので、逆にそれが良くて、あまり緊張せずに楽しくプレーできました。期待していたからだと思いますけど、日頃の練習で先輩の原(未来斗)キャプテンがすごく厳しく、指導されるのがすごく怖くて。いつも怯えながらプレーしていました。ただ、初めてのインターハイで「もっとやっていいよ」と褒めてくれて、全国大会で勝つ楽しみを感じました。ウインターカップではインターハイの経験があったので、その分、注目されることをわかっていました。自分自身の中ですごく緊張してしまって、最初は消極的なプレーばかりでしたが、キャプテンが「インターハイの時みたいに思いきりプレーしないとダメだぞ」と喝を入れてくれて。その後は楽しさを思い出してプレーできました。

ーー初めて経験したウインターカップの雰囲気はいかがでしたか?
三谷 まずは観客の多さに驚きました。明成高校(現仙台大学附属明成高校・宮城県)との準々決勝は初めてのメインコートでした。フリースローを打つ時、リングの後ろにあるスクリーンに自分の顔が映るんです。全然集中できなくて、メインコートはこんなにも緊張するんだと感じました。

1年次からメインコートの舞台に立った [写真]=加藤夏子

ーー八村阿蓮群馬クレインサンダーズ)選手に44得点を許しました。
三谷 自分がマークする予定ではなかったのですが、阿蓮さんをみていた選手がファウルトラブルを起こしてしまって。思ったより早い時間帯から自分がつくことになりました。レベルの違いを感じて、全然止められなかったです。

ーー世代別日本代表にも選出されました。
三谷 U16に初めて選出された時、すごく緊張してしまって。周りは名前が知れ渡った有名な選手ばかりで、そこに入ってプレーするのは現実味がなかったというか。ここでも周りについていくことに必死でした。U18の時は心に余裕ができて、メンバーのみんなとも仲良くなり、コミュニケーションを取れるようになりました。

ーー選出を知った時はいかがでしたか?
三谷 すごくビックリして、何が起きているのか理解できなかったです。インターハイの試合を見た(当時の)トーステン・ロイブルコーチが追加招集してくれたみたいです。監督から話を聞いた時、自分が代表のレベルではないとわかっていたので、行っていいのか悩みましたが、「自分の経験になるから絶対に行くべきだ」と言ってくれました。高校入学の時も初めて聞く言葉が多かったのに、代表合宿ではそれ以上に多くて。チームメートに「あれってどういうこと?」と聞きながら練習していました。

世代別日本代表として国際舞台も経験 [写真]=FIBA

ーー2年次はインターハイ、ウインターカップともに1回戦で敗退しました。
三谷 インターハイはU18日本代表のアジア選手権と被っていたため出場できず、ウインターカップはその悔しさを晴らそうと思って臨みました。1年生の時はゴール下でパスをもらって、気持ちよくシュートを打つことがほとんどでした。2年生になると自分自身の役割が増えて、期待に応えることができずに悩んだ時期もありました。思ったようなプレーができないまま初戦敗退。すごく悔しかったです。

ーー世代別日本代表に選出されたことでプレッシャーがあったと思います。
三谷 1年生の時は全く気にならなかったのですが、プレーの一つひとつに責任感が伴っていて。僕のことを注目して見てくれる人もいました。期待されているとわかっていた分、それに応えられないのが悔しかったです。2年生の時は結構悩みましたね。

ーー3年次のインターハイはベスト8でした。
三谷 準々決勝の報徳学園高校(兵庫県)戦の前に、3回戦で実践学園高校(東京都)と対戦しました。正直、相手に対してビビっていて。さらに、キャプテンがケガをしてしまい、監督は試合直前に「この試合では使わない」と。不安な気持ちが強かったです。全員がキャプテンの分までいいプレーをして、僕も感化されて気持ちの入ったプレーをでき、勝利できました。報徳はインサイドが強力で、ガードやシューターにもいい選手がそろっていて、的を絞れませんでした。実践学園戦で自信をつけた分、気持ちを込めて臨みましたが、その壁は高くて。悔しかったですけど、それよりもチームの可能性を感じることができた大会で、3年間で一番印象に残っている試合ですね。

ーー手応えを得て迎えたウインターカップでは初戦で敗退してしまいました。
三谷 インターハイでベスト8まで勝ち進んだこともあって、注目を浴びていました。その期待に応えられなかった悔しさがありましたけど、全力で挑んだ結果。もちろん、勝ちたい気持ちでしたが、3年間の思いを出し切ったのかなと。悲しさはあまりなかったですね。

3年次のウインターカップでは初戦で姿を消したが、「3年間の思いを出し切った」 [写真]=兼子愼一郎

■「皆実高校を選択したのは間違いじゃなかった」

ーーどのような高校3年間でしたか?
三谷 ここまでバスケットボールにのめり込むとは思っていませんでした。世代別日本代表に選出されること、全国大会でプレーするのは皆実高校に行かないとできなかった経験だと思います。皆実高校を選択したのは間違いじゃなかったと感じています。

ーー印象に残っている対戦選手はいますか?
三谷 対戦したわけではないですが、世代別日本代表で一緒にプレーした洛南高校(京都府)の星川堅信(早稲田大学)。代表で初めて一緒にプレーした時、本当に何でもできる選手だなと思って、僕が理想としていた選手像に当てはまりました。対戦したい気持ちはありましたが、高校時代はそれが叶いませんでした。彼のことをすごく気になっていたので、試合の映像などもチェックしていましたね。

ーーオールラウンダーになるために一番取り組んでいたことは何ですか? 何でもできる選手になるには、何でもやらないといけないと思いますが。
三谷 何でもやらなければいけないという気持ちがあって、練習や試合からトライしようとしていました。今振り返ると、1年生の時、当時のキャプテンが僕に対してマンツーマンで指導してくれたことが何度もあって。シューティングの動き方、ボールの受け方、スクリーンの掛け方とか、いろいろなことを細かく指導してくれました。その時は「なんでこれをやる必要があるんだろう」と感じるような練習が多くて、少し面倒くささを感じたこともありました。僕が全部のプレーをやろうと思ったきっかけとなる土台は、そのキャプテンから教わったことがほとんどでした。先輩のおかげで考え方が変わったというか、取り組み方も自分で考えるようになってから、いろいろとプレーの幅が広がったと思います。

ーー3年次のウインターカップが終わってから、高校生ながら広島ドラゴンフライズの特別指定選手としてBリーグの舞台も経験しました。
三谷 レベルの高さを感じましたね。プロの舞台を経験でき、限られた時間ながら試合でプレーさせてもらうこともありました。高校では何でもやっていい状況だったので、気負わずにプレーしていました。けど、プロの世界はみんながいろいろなことをできて、その中で正しい選択をしなければいけない。一つひとつの責任の重さが全然違いました。貴重な経験になりましたよ。

ーー一番思い出に残っていることは?
三谷 デビュー戦でシュートを決められたシーンは今でも鮮明に覚えていて。緊張しながらもチームメートが最高のパスを出してくれて、それを決めきることができたうれしさは思い出に残っています。学んだのは常に100パーセントを出すのではなく、いい意味でうまくサボること。攻めるべき時に力を出し切って、攻めない時は休んで冷静に判断する。プロの方はそういった力に長けていました。練習でも感じましたし、ベンチから試合を見ている時もオフボールの動きをよくチェックしていました。

高校3年でBリーグのコートに立った [写真]=B.LEAGUE

ーー同級生の河村勇輝横浜ビー・コルセアーズ)選手も高校時代にBリーグデビューを飾りましたね。
三谷 すごく活躍していたので、僕は彼と比べられがちでした。悔しかったですけど、それ以上にリスペクトの思いが強かったです。河村選手とはミニバス時代から対戦していたので、当時から知っている選手がプロの舞台で活躍しているなんて、尊敬しかなかったです。LINEで「活躍していてすごいね」と連絡すると、「お前にもできるよ」と返してきて。そういったやり取りをよくしていましたね。

ーー今も目覚ましい活躍を見せています。
三谷 もう同級生ではないですね(笑)。どんどんステップアップしていますよね。本人に聞きたいプロの話などが多くあるのになかなか会う機会がなくて。バラエティ番組にも出演していて本当にすごいです(笑)。

ーー広島皆実は女子バスケットボール部も強豪で、サッカー部も全国大会に出場するような高校です。
三谷 広島皆実は男女のバスケットボール部、剣道部、陸上部、男子のサッカー部、女子の柔道部が強化種目になっていて、推薦された人だけが体育科に入ることができるんです。体育科の40人は全国大会に出るような選手ばかりでしたね。レベルの高い話を聞くことができたのは体育科の強みでした。全員がそれを理解して、お互いに刺激し合っていましたね。

ーー学校生活で思い出に残っていることは?
三谷 たくさんありますよ。行事では修学旅行。体育科はスキー研修という名目で、5泊6日で北海道に行くんですよ。高校入学前、藤井先生から皆実高校の説明を受けた時、「体育科にはスキー研修があるから」と聞いたんです。スキー研修に行けるのも体育科に進むことを決めた理由の一つ。お昼休憩はバスケ部全員で集まって、食堂で昼食を食べるんですよ。みんなで笑って話し合った時間も思い出に残っています。

ーー高校卒業後、筑波大学に進学しました。筑波大を選んだ理由は何ですか?
三谷 みんなが日本一という高い目標を持ちながら練習していること。あと僕は高校時代、留学生がいるチームに苦戦してきました。留学生を擁するチームに勝って、日本一になりたい気持ちが強かったので、筑波大学を選びました。

ーーここまでの3年間で成長できた部分は?
三谷 高校時代からトップにいた選手が集まっているので、みんなが点を取って活躍したい。そういった気持ちが僕にもあります。けど、チーム状況や試合の流れを見て、「この選手が当たっているから彼に託そう」とか、いきたい気持ちを抑えて「今は自分ではない」と考えながらプレーしています。それは高校時代との大きな変化ですね。逆に、消極的になってしまう部分も増えているので、うまくバランスを取っていきたいです。

ーー様々なことを経験した三谷選手から中高生へアドバイスをお願いします。
三谷 先輩の言うことはちゃんと聞くこと(笑)。それはもちろんですが、最近の高校生を見ていて、すごくレベルが高いと感じています。やっていると思いますけど、ワークアウトの時に自分の課題と向き合って取り組むこと。練習プラスアルファの時間を見つけて、取り組むことがすごく大事だと思います。僕は先輩に言われたことしかやってこなかったので、自分からプラスアルファのことを習得していく姿勢が大事だと思います。

高校時代にオールラウンダーとしてのプレースタイルを確立 [写真]=兼子愼一郎

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