2022.11.26

【トッププレーヤーの高校時代】齋藤拓実(前編)「父と兄の影響でバスケを始めた」

名古屋Dの齋藤拓実に学生時代の話を聞いた[写真]=B.LEAGUE
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 BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画「トッププレーヤーの高校時代」。今回は神奈川県・桐光学園高校出身の齋藤拓実だ。

 幼少期にバスケットボールを始めた齋藤は、小・中学校でどのようなことを感じ、どのような成長曲線を描いたのか。今回は前編をお届けする。

インタビュー・文=岡本亮
写真=B.LEAGUE

「NBAをよく見て真似をしていた」

――まずはバスケットを始めたきっかけを聞かせてください。
齋藤 父がミニバスのコーチをしていたのと、4つ上の兄がやっていた影響です。始めた時期は覚えていませんが、保育園のころからやっていたと思います。本来は小学1年生からじゃないと参加できないのですが、父がコーチということもあり少し早めから始めました。

――他のスポーツはやっていましたか?
齋藤 水泳をやっていた時期がありましたが、バスケが忙しくなったので小学校高学年のタイミングで辞めました。

――コーチがお父さんという部分でのやりにくさはありませんでしたか?
齋藤 嫌でしたね(笑)。試合が終わった後、家に帰って反省会をしていたのですが、しんどかったです。周りからは「いいな」と言われることもありましたけど、僕としては嫌でした。

――その反省会ではどのようなことを言われていたのですか?
齋藤 結構細かいことまで言われていたと思いますが、嫌なことは記憶から消しているので…。ほめてもらう時しかちゃんと聞いていませんでしたね(笑)。

――チーム内での役割は?
齋藤 ポジションはガードでしたか、ほぼエースみたいな感じだったので、全部やっていました。

――ミニバスの指導方針は?
齋藤 週に5回練習があったのですが、平日は父がなかなか来られないのでアシスタントコーチの方に指導してもらっていました。とにかく基礎練習をやっていた記憶がありますね。

――小学校時代に意識して練習していたことは?
齋藤 正直に言うとあまり覚えていませんが、その頃からNBAをよく見ていたので好きな選手のプレーを真似たりとか、想像力を豊かにすることだったりとかをしていました。

――よく真似していた選手は?
齋藤 トニー・パーカー(元サンアントニオ・スパーズほか)やクリス・ポール(フェニックス・サンズ)、ラジョン・ロンドはすごく記憶に残っていますね。あと、ドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)も結構好きでした。

――小学校での最高成績は?
齋藤 小6の時に川崎市で優勝しましたが、神奈川県大会では勝てませんでした。

――神奈川県のミニバスはレベルが高いのですか?
齋藤 そうですね。僕のチームはずっと川崎市ですら優勝できなかったのですが、僕の代で初めて優勝して。でも、神奈川の壁というか、県大会の壁はとても厚いように感じました。

――小学校卒業後、川崎市立白鳥中学校へ進学します。
齋藤 実家は東京都なのですが、ミニバスのメンバーと一緒にやりたかったので越境して入りました。

――その中学校へはミニバスのメンバーがそろって進学していたのですか?
齋藤 全員ではありませんが、一番集まっていました。実は兄が川崎市のミニバスから白鳥中というルートを通っていて、その流れで僕も同じルートになりました。

――では、中学でもチーム内での役割は大きく変わらなかったのですね。
齋藤 僕の代の選手全員が進んだわけではなく少し減ってしまったので、小学校時代と比べてよりエースみたいな感じになりましたね。

――中学時代はどのような指導方針だったのですか?
齋藤 顧問の方は素人だったので…。指導者がすごくて集まったわけではなく、学区内で白鳥中が近かったから行っただけで。試合中は戦術的な指示をしてくれましたが、その試合に僕の父が見に来た時はハーフタイムにみんなで父に話を聞いていたりしました。

――中学時代の最高成績は?
齋藤 中3の時に川崎市で準優勝して県大会へ進みましたが、1回勝てたくらいです。

――チームとしては全国大会へ進めませんでしたが、齋藤選手はジュニアオールスターに選出されました。
齋藤 ジュニアオールスターはレベルがめちゃめちゃ高かったですね。その時優勝した福岡県とも対戦したし、のちに大学やプロで戦う選手と対戦できたのは大きな経験でした。そういう選手は当時からスーパースターで、全国の壁は高かったですね。

――現在Bリーグに所属していた選手と対戦したのですね。
齋藤 石川県代表の森井(健太/横浜ビー・コルセアーズ)は当時身長が高くて視野が広かったですし、福岡県のエースだった柿内輝心(元熊本ヴォルターズ)は得点能力がとにかく高かったので、その2人はすごく記憶に残っています。

――そんなすごい選手と対戦したことで、モチベーションにつながる部分はありましたか?
齋藤 川崎市という狭い地域ではワンマンチームで点を取れましたが、全国レベルになるとやっぱり自分はまだまだなんだ、というのはすごく実感しました。

――中学校卒業後、桐光学園高校へ進学しましたが、その経緯は?
齋藤 4つ上の兄が桐光学園に進んでいて、兄が高1で僕が小6の時に高校でミニバスの大会が開かれたんです。その時に先輩方や監督に「将来桐光に来いよ」と言われていましたし、ジュニアオールスターでチームメートだった選手が桐光に行くということだったので、進学を決めました。

 僕が入学するまでジュニアオールスターに出場した選手が桐光に進む例はあまりなかったのですが、僕の代は3人も集まって。それをきっかけに、ジュニアオールスターに選ばれた子が桐光を選ぶようになりました。

――齋藤選手がパイオニアになったのですね。
齋藤 もちろん過去にもあったとは思いますが、1学年に1人だけとか。僕の代がウインターカップで結果を残したことで、下の世代が続いてくれるようになりました。

齋藤はジュニアオールスターでレベルの高さを実感したと話す[写真]=B.LEAGUE

PROFILE
齋藤拓実(さいとう・たくみ)名古屋ダイヤモンドドルフィンズ
神奈川県の桐光学園高校出身。高校2年次にインターハイとウインターカップへ出場し、ウインターカップではベスト8進出へ大きく貢献した。最終学年ではインターハイへ出場するも、ウインターカップでは神奈川県大会決勝で敗れ全国出場を逃した。高校卒業後は明治大学へ進み、2017年にアルバルク東京へ入団。滋賀レイクスターズ(現滋賀レイクス)でのプレーを経て、2020年に名古屋ダイヤモンドドルフィンズへ加入し、今シーズンからキャプテンを務める。

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