2021.07.19

渡嘉敷来夢が五輪選手にエール…自身の目標は『100パーセントの状態で戻れるように』

日本代表のことや今後のことを語ったENEOSサンフラワーズの渡嘉敷来夢[写真]=ENEOSサンフラワーズ
中学や高校、大学などの学生バスケットをはじめ、トップリーグや日本代表と様々なカテゴリーをカバー。現場の“熱”を伝えるべく活動中。

 昨年12月に右ヒザのじん帯断裂という大ケガを負い、その後、復帰を目指していた渡嘉敷来夢(ENEOSサンフラワーズ)。しかし、回復とまではいかず、東京2020オリンピックの女子日本代表メンバーに入ることはなかった。

 日本のエースとして地元五輪での活躍を期待されていた渡嘉敷に五輪断念に至った経緯や思いを聞いた――。

取材協力=ENEOSサンフラワーズ
インタビュー・文=田島早苗

自らが日本代表からの離脱を決断

――正式に日本代表候補メンバーから渡嘉敷選手が外れることが発表となったのは6月1日の第5次参加メンバーの発表でした。
渡嘉敷 悔しくないといったらウソになりますね。みんなと一緒にコートに立ちたかったですし。でも、今は『(ケガをした)ヒザくん、よく頑張った』という気持ちです。

――スタッフとも話合って決めたということですが、第4次合宿終了時にはチームを離れることは決まっていましたか?
渡嘉敷 はい。ただ、日本代表のみんなにそのことは言えませんでした。やっぱり…悔しかったです。

 でも、同じENEOSの宮崎(早織)、林(咲希)や一緒にリハビリを頑張ってきた本橋(菜子/東京羽田ヴィッキーズ)には自分から伝えました。ただ、他の選手で勘づいていた選手はいたと思いますよ。

――今はどんな心境ですか?
渡嘉敷 日本代表を『頑張って』と応援したい気持ちですね。普段は敵として戦っているので、日本代表のような機会じゃないと一緒にできないし。目標はみんな同じで、その目標に向けてリハビリをしていたけれど、外から見ているだけでなく一緒にプレーしたいなと強く感じていました。

 最後の合宿中(第4次)、もしかしたら厳しいのかなと思ってからは、アドバイスできる選手にはアドバイスを残しました。

――ヒザの具合が間に合わなかったということですか?
渡嘉敷 ヒザが悪化したというよりは、ヒザに痛みが出て、やるべきリハビリができなくて1週間遅れちゃったんですね。その後も1週間休んだからといってすごく良くなったわけでもなく…。それで少しずつ(リハビリに)遅れが出てきて、ただでさえギリギリだと言われていたのに。その辺りが復帰に対して『厳しいかな』と感じたタイミングでした。

 スタッフともいろいろと話をした結果、最後は自分で決めました。無理はしないし、たとえ参加しても国際強化試合でアップもできない状態でベンチに入るのはつらいし。そういう姿を会場に来ていただいた方に見てもらうのはちょっと違うなという思いもあったので。

 正直、どんな状況でも必要だと言われたらどんな状況でも頑張れるのですが、そういう感じではなく、日本代表はそういう場ではないんだということも改めて認識しました。

――スタッフもこれ以上悪化しては渡嘉敷選手のその先を考えて良くないと思ったのかもしれないですね。
渡嘉敷 私の性格も分かっているので、やるとなれば無理するだろうとは思っていたと思います。

――最終的に自分で決めたということですが、その判断はつらかったのでは。
渡嘉敷 めちゃくちゃつらかったですよ。みんなが練習している横でリハビリしていたのですが、リハビリの中でもその時期が一番しんどかったかな。なんか、やる気スイッチが入らなかったというか…。

――日本代表活動への参加前から『無理はしない』ということは常々発していました。
渡嘉敷 オリンピックが近付けば近付くほど、メンバーに残りたい、多少無理してでもやりたいと考えると思うんですよね。東京オリンピックを終えてに引退するならそれでいいと思うのですが、まだまだ先がある選手なので(笑)。

 そもそも、私が代表候補メンバーに入れたのも奇跡に近いというか。チャンスをもらいつつ、参加するにあたっては、自分自身の約束として『無理はしない』と決めていました。ベストは尽くすけれど無理はしないと思っていました。

 合宿中は考える時間が結構あったし、(コートサイドから)みんなを見たり、さっきも言ったようにヒザの調子が良くないときもあったり。だから焦りたくても焦りようがない。それもきつかったですね。ヒザに対しては『ベストを尽くしてくれてありがとう、1カ月ぐらい休もうね』と思いましたが、すぐに動きたくなくなりました(笑)。気持ち的にはもうだいぶ吹っ切れています。

――地元オリンピックだけに思いも強かったですよね。
渡嘉敷 その場にいたかったですよ。でも、試合には出られないけれどオリンピックの試合は見に行きたい。それでみんなが活躍したところ、メダル取るところを見て、「おめでとう。でもリーグでは負けないからね」って。祝うけど、闘争心は燃やすと思います(笑)

 オリンピックは日本戦だけでなく全試合見たいですね。ずっと会場にいて見ていたい(笑)。全試合の解説をしたいぐらいです。

昨シーズン後半はベンチから声援を送り続けた[写真]=伊藤 大允

復帰のシーズンENEOSで2冠を目指す

――さて、6月14日には改めて、今季もENEOSでプレーすると発表しました。
渡嘉敷 それまではオリンピックに集中したいという思いがあり、チームもそんな私の思いを汲んでくれたこともあって、契約の話はしていませんでした。でも、オリンピック出場がなくなり、気持ちをチームに切り替え、ENEOSとの契約に至りました。

――チームは主力の宮澤夕貴、中村優花ら(富士通レッドウェーブ)が移籍。メンバー編成も変わりました。
渡嘉敷 私が3年目のときごそっとお姉さんたちが抜けたんですね。私や岡本(彩也花)はそれを経験しているので、当時と同じ状態かなとも思います。

 もちろん、アース(宮澤)に関しては日本代表でもENEOSでも長く一緒にやっていたので、いなくなって少し残念な気持ちはあります。ただ、チームには、とても有望な若い選手が多いので、これから層を厚くしていけるのではないかなと思っています。

――今季から佐藤清美氏が3シーズン振りにヘッドコーチ復帰となりました。
渡嘉敷 私はまだ清美さんの練習をやってないのですが、前にヘッドコーチだったときに、練習からしっかりと走ること、やるべきことをやっていることが自信につながっていました。試合より練習の方がきつかったので、今季もそういった練習をやっているということが自信につながり、それで余裕が生まれる。若手選手たちもさらに走れるようになると思います。

 個人としてはセンター陣を育成しつつ、自分自身もアウトプットすることで成長できると思っています。アウトサイド陣は清美さんや岡本にしごかれると思いますよ(笑)。

――10月にはWリーグが始まります。復帰となるシーズンですね。
渡嘉敷 開幕戦は少なくとも3分ぐらいは出たいという気持ちはあります。あとはヒザの様子を見ながらですね。ただ、バスケットを始めたときと同じ、もしくはそれ以上に向上心は持っているので、リハビリの期間を終えたときにどんな自分になっているのかは楽しみです。開幕戦は100パーセントではないですが、皇后杯の頃にはバリバリに調子も上がっているのではないかと思っています。

――では、最後にファンに向けてのメッセージをお願いします。
渡嘉敷 どんなときでも応援し、自分のことを考えてメッセージを送ってくれて、それを読むたびに、自分はしっかりとコートに帰ってパフォーマンスをすることが恩返しだと思います。それに復帰することがファンの方が一番待ち望んでいることだとも強く感じます。ただ、中途半端に戻ることはせず、しっかりと万全な状態で戻れるように、日々ベストを尽くしていきたいと思います。

『ご心配なく!』という感じです!

今シーズンで完全復帰を目指す渡嘉敷来夢[写真]=伊藤 大允

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