2024.06.13

名将“ルディT”がオーリーの殿堂入りをプッシュ「彼ならふさわしいと信じている」

オーリー(左)とトムジャノビッチ(右)[写真]=Getty Images
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■ロケッツ時代の2連覇を含む計7度の優勝を飾ったフォワード

 6月10日(現地時間9日)。NBAチームで約13シーズン指揮を執ってきたルディ・トムジャノビッチが、「NBAファイナル2024」第2戦が行われたTDガーデンでチャック・デイリー生涯功労賞の受賞セレモニーに出席した。

 2020年(新型コロナウイルスのパンデミックのため式典は2021年に開催)にコーチとしてバスケットボール殿堂入りを飾ったトムジャノビッチは“ルディT”の愛称で親しまれた名将。レギュラーシーズン通算943試合で527勝416敗(勝率55.9パーセント)を残し、ヒューストン・ロケッツ、ロサンゼルス・レイカーズで指揮を執ってきた。

 特にロケッツではアキーム・オラジュワン(元ロケッツほか)を中心とした布陣で1994、1995年に2連覇を達成。現在ボストン・セルティックスには当時の主要選手サム・カセール(元ロケッツほか)がアシスタントコーチとして在籍しており、コート内外で笑顔を見せ合い、談笑していた。

 ロケッツで2連覇を経験した選手で殿堂入りを果たしたのはオラジュワン(2008年)しかおらず、ほかでは1994-95シーズン途中にトレードで加入して1995年の優勝を後押ししたクライド・ドレクスラー(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか/2004年)のみとなっている。

 そこでトムジャノビッチは当時の主力で“ストレッチ4”のパイオニアの1人として活躍したロバート・オーリー(元レイカーズほか)の殿堂入りをプッシュしていた。

「私は(彼が)ネイスミス殿堂入りにふさわしいと強く信じている。彼は何度もそれを証明してきたんだ。彼は役割を果たして、多くのチームでチャンピオンになった。そこが重要なんだ。スタッツだけじゃない。結果を出すことなんだ。いつの日か、彼がそこに立ってその栄誉を受けることができるよう、私は祈っている」

 NBAで16シーズンをプレーしてきたオーリーは、両フォワードをこなす208センチ108キロの選手として活躍。レギュラーシーズン通算1107試合で平均24.5分7.0得点4.8リバウンド2.1アシスト1.0スティール0.9ブロックに3ポイントシュート成功率34.1パーセント(平均0.7本成功)と、スタッツ面で特筆すべき点はあまりなく、1992-93シーズンにオールルーキーセカンドチーム入りこそしたものの、スタッツリーダーやアウォードの受賞歴は皆無。

2005年のファイナルでオーリーが沈めた決勝弾[写真]=Getty Images

 それでも、トムジャノビッチが話したとおり、2連覇したロケッツで先発を務めたほか、2000年から2002年にかけて3連覇を達成したレイカーズでも先発またはローテーション、2005年と2007年に優勝したサンアントニオ・スパーズでもローテーションの一角となってリーグ制覇に大きく貢献してきたことは見逃せない。

 1995年のファイナル第3戦で決勝弾となる3ポイント、2001年のファイナル第3戦でも試合終盤に貴重なコーナースリーを放り込み、2002年のカンファレンス・ファイナル第4戦では2勝2敗に持ち込むブザービーターの3ポイントをヒット。

 2005年のファイナル第5戦でも延長終盤に長距離砲を決め切るなど、“ビッグショット・ロブ”の異名が示すように、プレーオフの勝負所で勝利を呼び込む重要なショットを決めてきた。

 1950年代から1960年代にかけて8連覇を達成したセルティックスでプレーしてきた選手たちを除くと、オーリーはNBA歴代最多の優勝回数(7回)を誇る。

 レギュラーシーズンのキャリア平均得点でオーリーの7.0を下回る選手が殿堂入りしたケースは2度。平均5.7得点のベン・ウォーレス(元デトロイト・ピストンズほか/2021年)と、同6.7得点のチャック・クーパー(元セルティックスほか/2019年)がそれぞれ殿堂入りしている。

 キャリア終盤には“優勝請負人”と評され、スマートなプレーヤーとして長いキャリアを築いてきたオーリー。7回の優勝経験は、殿堂入りに十分値する見事な実績と言っていいのではないだろうか。

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