2017.09.28

【インタビュー】横浜ビー・コルセアーズ入団の田渡凌、バスケ留学の経験と日本復帰の思いを明かす

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東洋大学京北高校(東京都)のエースとして名を馳せた田渡凌が、アメリカでの武者修行を経て日本に帰ってきた。バスケットボールの本場で経験を積んだ彼が入団先に選んだのは、意外にも昨シーズン、B2リーグ降格の危機にあった横浜ビー・コルセアーズだ。それでも、「自分がチームを引っ張り、順位を上げることに価値がある」と決意は固い。また、同期には日本代表候補メンバーに名を連ねる富樫勇樹千葉ジェッツ)、ベンドラメ礼生サンロッカーズ渋谷)、原修太(千葉)がおり、自身も日の丸、そして2020年東京オリンピックへの思いは強い。そんな“逆輸入”の大物ルーキーにアメリカでの留学経験や今後の意気込みをうかがった。

インタビュー=酒井伸
写真=Bリーグ

――京北高校卒業後に短大(オローニ・カレッジ)へ進学しましたが、アメリカに行きたいという思いはいつ頃から持っていましたか?
田渡 中学校3年生からです。その時に海外の選手たちと対戦する機会があって、「俺、やれるな」と感じ、世界一の国、アメリカに行って挑戦したいと思いました。

――入学のきっかけを教えてください。
田渡 短大の前にアメリカのプレップスクール(大学進学のための準備学校)に進むつもりでしたが、英語力の問題やいろいろなトラブルがあり行けなくなりました。そのため、1年間は浪人生活のような状態で、英語を勉強しながらトレーニングをして、翌年の短大入学に備えていました。

――高校卒業時の英語力はどうでしたか?
田渡 高校2年生の時にアメリカへ行くことを決断し、そこからずっと英語の勉強をしていましたが、現地でコミュニケーションを取れるレベルではありませんでした。5年経った今では、英語をほとんど理解できますし、単位を1個も落とさずに成績も良かったです。

――日本で英語を勉強していた時は何が足りなかったと感じていますか?
田渡 日本人の大半が文法を知っていて、英文を書けると思います。しかし、中学校1年生でも理解できるような簡単な英文でも、会話となると、ネイティブの言葉をわからずに聞き取れない人が多いはずです。自分も日本の授業であまり経験することのなかった聞く力や発音力が不足していました。もちろん、アメリカでは論文などの長文を書かなければいけないので役に立った部分もありますが、英語でのコミュニケーション力がまだまだでした。

――アメリカでプレーするには、日本以上に話すことが求められます。
田渡 自分のポジション(ポイントガード)上、味方に指示を出さなければいけません。最初の頃は、仲間から「何を言っているのかわからない」と言われることもありましたが、そこはしっかりとコミュニケーションを取って、英語を話せるように勉強して解決しました。

――英語力だけでなく、体の変化などはありましたか?(現在は180センチ82キロ)
田渡 アメリカに行くと決まった時から意識的に体作りをしていました。渡米前はパーソナルトレーニングジムの人たちに協力してもらい、アメリカに行ってもできるだけ多く食べ、トレーニングを多くした結果、トータルで約10キロは増えました。

――アメリカで心掛けていたことはありますか?
田渡 たくさん食べるようにしましたし、脂肪が付きやすいものは食べないように意識しました。そういうところから取り組まなければ、世界では戦えないと思っていますので。

――現地での食生活はいかがでしたか?
田渡 短大の2年間は一人暮らしで自炊をして、大学での2年間は寮生活で決まったものを食べていました。寮の食事はピザ、ハンバーガー、ポテトなど、あまり好きではないものが多くて大変でした。しかし、体育館の近くに寮があったため、食を除けばバスケに専念できる環境でした。

――ドミニカン大学カリフォルニア校はどのような学校なのですか?
田渡 小さい私立の大学で、町のどこに行っても「日本から来てバスケをやっているリョウだ」と知ってもらえました。小さなコミュニティーの学校でしたが、だからこそ先生たちとコミュニケーションを取れて、他の生徒とも仲良くできました。現在は俳優の本木雅弘さんの息子、内田雅樂(うた)君が在学しています。

――学校の中で自分の名は知られていたということですね。
田渡 キャプテンを任されて、試合にも出場していたので。アメリカ人ばかりの中で日本人は注目されますし、アジア人がずっと試合に出ていたので目立っていたと思います。学校の中でもよく話しかけられ、応援してもらいました。

――キャプテンに就任したきっかけを教えてください。
田渡 ヘッドコーチに指名されたということもありますが、主にチームメートの投票により決定しました。仲間からも信頼を置かれていたからこそキャプテンになれたと思っています。また、中学、高校でキャプテンをやっていたので苦ではありませんでしたし、自分が誰よりも練習して、バスケに懸けていた自信がありました。バスケになったら、人に厳しいことを言うのは気にしないタイプですし。

――異国の地でプレッシャーはありませんでしたか?
田渡 どの環境においても、周りからの期待に対するプレッシャーは常にあるものですし、その中でどれだけのパフォーマンスを発揮できるかだと思っています。プレッシャーは感じましたが、自分でどうにかしなければいけなかったので、あまり気にならなかったです。

――横浜への入団が決まりましたが、日本でプレーするのを決意したのはいつ頃ですか?
田渡 東京オリンピック開催が正式に決まった2013年9月頃です。それまではアメリカや海外のチームでプレーしたい気持ちがすごく強かったです。

――それまで、海外で具体的にチーム探しなどはしていましたか?
田渡 ないです。とにかく自分がレベルアップすることだけを意識していました。

――横浜から誘いの話がきたのはいつですか?
田渡 6月上旬くらいです。大学を卒業して日本に戻ってきた時にお話をいただきました。

――入団を決めた最大の理由を教えてください。
田渡 横浜は昨シーズン、B1で18チーム中17位でした。その中で今季は自分がガードのポジションでチームを引っ張り、もっともっと順位を上げることができれば、それはすごく価値のあることだと思います。やりがいがあるし、そういうところに自分は楽しみを感じます。強いチームに入って淡々とバスケをやるより、ワクワクするし、もっと成長できると思っています。

――チームをレベルアップさせたい気持ちが強いということですね。
田渡 そこは自分だけの力ではできないので、自分が考えるポイントガードの仕事である“チームメートの力を最大限に活かすこと”が重要だと考えていて、その上でチームを勝たせたいです。

――理想のポイントガード像、目標としている選手を教えてください。
田渡 ジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)選手の、負けん気の強さや思いきりの良さが好きです。自分も気持ちの強さを全面に出すことは得意なので、そういった部分を常に意識しています。

――リーダーシップの観点では、日本人初のNBA選手となった田臥勇太(栃木ブレックス)をどう思いますか?
田渡 田臥選手のリーダーシップはすごいですし、学んでいきたいです。今後、Bリーグの試合でマッチアップすることがあると思うので、すごく楽しみにしています。

――横浜のファン、ブースターにメッセージをお願いします。
田渡 アメリカでの経験や、自分の強みでもあるクリエイトする力を活かし、ワクワクできるようなプレーを見せたいと思います。

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