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琉球・安永淳一GMが語る「天皇杯と沖縄」…B1優勝とは異なる意義と「連覇」を口にしたくない理由

琉球ゴールデンキングスの安永淳一ゼネラルマネージャー[写真]=長嶺真輝
スポーツライター

 大正、昭和、平成、令和。四つの時代をまたぎ、1921年の第1回大会から100回もの歴史を積み重ねてきた天皇杯全日本バスケットボール選手権。新章の幕開けとも言える第101回大会のファイナルラウンドは、2026年1月6〜12日に国立代々木競技場の第一体育館と第二体育館で集中開催される。

 今大会で連覇の権利を持つ唯一のチームは、前回大会の決勝でアルバルク東京を60-49で破り、初優勝を飾った琉球ゴールデンキングスである。

 第98回、第99回はいずれも準優勝だったため、大きな節目の大会で、なおかつ三度目の正直で成し遂げた快挙の喜びは格別だったに違いない。琉球にとっては、bjリーグ時代には出場権すらなかった。それを考えれば、タイトルの重みはいっそう際立つ。

 海を越え、沖縄に初めて天皇杯の賜杯が渡った意義、そして第101回大会にどのような決意で挑むのか。琉球の安永淳一GMに話を聞いた。

インタビュー=長嶺真輝

■「甲子園で優勝したような…」トラウマと失速を乗り越え戴冠

2025年に天皇杯初優勝を果たした琉球[写真]=古川剛伊

 インタビューの冒頭、初優勝時の受け止めを尋ねると、安永GMの口から真っ先に出てきたのは、第99回大会の決勝で味わった屈辱的な敗戦だった。前年の決勝でも顔を合わせた千葉ジェッツへのリベンジが懸かっていたが、69-117でまさかの大敗。「すべてが噛み合わず、トラウマになりそうなぐらいショックでした」と苦い記憶を語る。

 それから2カ月半後、琉球はBリーグ2023-24シーズンで初優勝を果たすが、天皇杯の借りは天皇杯でしか返せない。Bリーグの発展で全体のレベルが急激に向上する中、3年連続の天皇杯決勝進出自体が特筆すべき記録ではあるが、第100回の頂上決戦に向けて「偉そうなことを思う気持ちには全くなれず、『ちゃんとやったら勝てる』なんていう甘い気持ちもありませんでした」と振り返る。

 決勝の1週間前にマカオで行われた東アジアスーパーリーグ(EASL)ファイナル4の準決勝と3位決定戦で、痛恨の2連敗を喫していたことも、危機感を高める要因となった。しかし、チームは苦境の中で桶谷大ヘッドコーチが掲げるアンダードッグの精神に立ち返り、最大の武器であるリバウンドと激しいディフェンスを徹底。A東京をわずか49得点に抑え、トラウマと失速を乗り越えてついに戴冠した。

クラブ創設時から琉球に携わる安永氏[写真]=長嶺真輝

「絶対に、沖縄に天皇賜杯を持って帰るという強い気持ちで挑みました。失うものは何もなかった。謙虚に、ハングリーに、全力で立ち向かわないといけないというマインドセットになったからこそ、優勝できました」

 アマチュアを含め、全都道府県の予選会から真の日本一を決める天皇杯。「キングスが沖縄県を代表して、47都道府県の中のトップに立ったという気持ちが強かったです。高校野球の甲子園で優勝するのと同じような気持ちを味わえました」と特別な感慨が去来したという。

■「50代以上の世代」に強く響いた天皇杯タイトル

 沖縄へ凱旋後も、天皇杯ならではの反応が待っていた。

「沖縄に天皇杯が来るなんて、夢にも思わなかった」

「想像もしたことのないようなことを叶えてくれてありがとう」

2025年3月、優勝報告でホームタウンの沖縄市を訪れる安永GMや選手ら[写真]=長嶺真輝

 これらは、賜杯を手に地元のスポンサー企業を回った際、バスケットボール経験のある50代以上のシニア世代から掛けられた言葉だ。「(天皇賜杯を)恐れ多くて触ることができない」と話す経営者もいた。bjリーグやBリーグで初優勝した時とは、心に強く響く年齢層が違ったのだ。安永GMが噛み締めるように言う。

「bjリーグやBリーグの優勝は華々しくて、ド派手で、スポーツエンターテインメントを楽しんでくれている人たち、主に若い世代に喜んでいただきました。それに対して、天皇杯は昔からバスケットボールに親しんできた50〜100歳までの先輩たちを中心に、大きな喜びとして受け止めていただきました。価値を比較することはできませんが、タイトルが持つ意義はまったく違うものでした」

 歴史深い天皇杯において、沖縄のチームが初めてファイナルラウンドの舞台に立ったのは、1993年の第68回大会に出場した白石クラブだ。県予選、九州ブロックの難関を突破し、新たな歴史を切り拓いた。ただ、その後も高いハードルは立ちはだかり続け、最終トーナメントまで駒を進めたチームは少ない。

第100回の節目に沖縄へと渡った天皇杯[写真]=長嶺真輝

 2006年に琉球が沖縄初のプロ球団として立ち上がったが、二つのリーグが併存する中で、bjリーグに出場枠が与えられたケースはごくわずかだった。Bリーグが開幕するまで出場経験がなかった琉球にとっては「出たくても出られなかった」(安永GM)のだ。沖縄全体としても、2000年代以降は縁遠い大会になっていった。

 だからこそ、安永GMは「届かないと思っていたものをキングスが手に入れることができ、年配の方々にも『沖縄の誇りだ』と言っていただきました。キングスはこれまで30〜40代のファンが中心でしたが、上の世代にも認めていただくきっかけになったと思います」と、ファン層の広がりに手応えをにじませる。

「沖縄をもっと元気に!」という理念の下、運営会社の沖縄バスケットボール株式会社が創立20周年の節目を迎えている。沖縄バスケの系譜を背負って成し遂げた快挙は、地域の誇りとして深く刻まれた。

■オンザコートワンに変更、キーマンは「佐土原遼

前回大会の決勝はアメリカ国籍のローとクーリーが約30分出場した[写真]=古川剛伊

 第101回大会のファイナルラウンドは、久しぶりに1月の集中開催に戻る。琉球ファンは当然、2連覇を期待するだろう。だが、安永GMは「連覇という言葉を使うのは抵抗があります」と言う。理由はこうだ。

「連覇をしようとすると去年のイメージが残り、『それを今年もやればいい』という油断につながってしまいます。Bリーグチームのレベルが上がる中、同じことをやっていては絶対に頂点まで届きません。『連覇できました』はいいけど、『連覇を目指す』は違う。危機感を感じながら戦うことが必要です」

 王者でありながら、チャレンジャーとして臨む。その姿勢こそが、優勝に不可欠な要素だと信じている。

 キーマンに挙げるのは、今シーズン補強した佐土原遼だ。今回、外国籍選手の登録可能人数は従来と同じ2人までだが、同時にコートに立てる人数は2人から1人に減る。この「オンザコートワン」の導入により、佐土原のようにインサイドでも存在感を発揮できる日本人選手の存在価値はいっそう高まると見通す。

今季から琉球に加入した佐土原と帰化選手のカーク[写真]=B.LEAGUE

 トーナメント表をB1チームに絞って見ると、シェーファーアヴィ幸樹が所属するシーホース三河が最も近くに位置し、準決勝で当たる同じサイドの別の山には、渡邊雄太を擁する千葉ジェッツ竹内公輔がいる宇都宮ブレックスが入った。だからこそ、安永GMは「天皇杯は佐土原選手が輝かないといけない舞台だと思っています。最近は彼がいることで勝利につながった試合が増えてきたので、とても期待しています」と語る。

 Bリーグでは、怪我人の続出やケヴェ・アルマの退団などで、序盤戦こそ苦しんだが、チームの持ち味であるリバウンドとディフェンスを武器に徐々に持ち直し、西地区上位につけている。それでも「まだポテンシャルの60パーセントくらい。もう少しチームとして同じ経験を積む必要があります」と伸びしろを見詰める。天皇杯を前にした年始の戦いで、どこまで完成度を高められるかは鍵になるだろう。

 天皇杯は、東京での1週間にわたる集中開催。沖縄から駆け付けるには時間も費用もかかり、地元ファンにとってハードルは高い。それを念頭に、ファイナルまで勝ち進んだ場合は、沖縄サントリーアリーナでライブ観戦できるビューイングイベントを開く予定だ。安永GMは「普段のアウェー戦もそうですが、会場に加えて、画面の向こう側でも多くの人たちが応援してくれていることは選手全員が分かっています。どんな状況でも、最後まで戦い抜きます」と力を込める。

 沖縄を背負い、新たな歴史を刻むことができるか。琉球の戦いぶりは、第101回目天皇杯全日本選手権の行方を占う重要な見どころの一つとなるはずだ。

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