2020.08.26

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.6】湯浅冴華「選手として母親として、誇りを持って進むママアスリートの道」

今年1月に本格的に復帰し、ママアスリートとしての道を歩み始めた湯浅冴華[写真]=NO EXCUSE
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 国内の車いすバスケ界では数人しかいない“ママアスリート”の一人、湯浅冴華(ELFIN/NO EXCUSE)。元女子日本代表候補でもある彼女は、今年1月の皇后杯で本格的に現役復帰した。男子Vol.2で登場した湯浅剛(NO EXCUSE)と夫婦で協力し合いながら、長女・かれんちゃん(1歳)の子育てとバスケとの両立に奮闘している。そんな夫婦の姿に、女子Vol.5で登場した萩野真世(SCRATCH/宮城MAX)は「ママアスリートとしての草分け的存在の一人として頑張ってほしい」とエールを送る。周囲からのサポートを受けながらトレーニングに励む湯浅にインタビューした。

憧れだった“車いすバスケ”との運命的な出合い

 幼少時代から体を動かすことが好きだった湯浅は、小学生の時にはバレーボール、中学校、高校ではバスケットボール部に所属。スポーツは生活の一部となっていた。

 運命的な“出合い”が訪れたのは、高校3年の夏。大学の見学会で体育館を訪れた時のことだった。目の前に広がっていたのは、夢にまで見ていた車いすバスケットボールをする選手たちの姿だった。実は、車いすバスケを題材とした漫画『リアル』の大ファンで、「いつか生で見てみたい!」と熱望していたのだ。

「ひと目見て、その迫力とかっこよさに魅かれた」という湯浅。健常者が加入できる車いすバスケのサークルがあることを知ると、「車いすバスケをしたいから」という理由で、その大学を第一志望に切り替えた。晴れて合格し、車いすバスケサークルの一員に。憧れの車いすバスケプレーヤーとなった。

 その後、ヨガのインストラクターのアルバイトに没頭するあまり、練習に行けなくなったためにサークルは2年でやめたが、その後も大会に応援に行くなど、サークル仲間たちとの交流は続いた。湯浅にとって、車いすバスケは常に近くにある存在だった。

 大学卒業後は看護師として大学病院に勤め、多忙な毎日を送っていた。そのため、自分自身がスポーツをするということはほとんどなくなっていったという。「少しは体を動かさないと」と思った湯浅は、2年目の夏、ジョギングを始めた。すると、右足の付け根に痛みを感じた。1カ月後に受診した結果、「変形性股関節症」が進行していることがわかった。

 それまで知らなかった自分の障がいに、ショックだった。だが、それは意外にも大きくはなかったという。

「自由に走れなくなりましたし、ゆくゆくはヨガのインストラクターに戻りたいという思いもあったので、全くショックがなかったといえば嘘になります。ただその時、ふと頭に浮かんだのが車いすバスケでした。『じゃあ私、また車いすバスケやろうかな』と思ったんです」

 車いすバスケというスポーツの楽しさを知っていたことが、湯浅の気持ちを一瞬にして明るい方へと向かわせたのだろう。2012年、湯浅は本格的に車いすバスケ選手として活動をスタートさせた。すると、1年後には日本代表候補合宿に呼ばれるようになり、代表入りを目指してトレーニングに本腰を入れ始めた。

車いすバスケの存在が湯浅のショックを和らげた要因の一つとなった[写真]=NO EXCUSE

さまざまな思いが込められた復帰の理由

 しかし、海外遠征のメンバーに入ることはできてもベンチを温めることが多く、公式戦でのメンバー入りはなかなか果たすことができなかった。悩んだ末に、17年10月に代表候補としての活動を辞退。その年限りで、競技生活を一時休止することにした。

「16年に結婚し、子どもが欲しかったのもありました。でも実際は、逃げちゃったのかなって。『どうしたら代表に選ばれるんだろう』とそればかりを追い続ける日々に疲れてしまって、『もうこのまま引退かなぁ』とも思っていました」

 昨年7月に、かれんちゃんを出産し、湯浅は念願の母親となった。すると子育てに奮闘する中、心にひっかかっていた思いが少しずつ膨らんでいった。

「ずっと子どもを産むことを“逃げ道”にしたのかも、という思いがありました。そういう自分が恥ずかしいというか情けないというか……子どもにとっても違うなと思ったんです。辞める時には、言い訳や逃げ道を作らず、すっきりした最後にしたいなと」

 湯浅は、再びコートに戻る決意をした。

 出産して2カ月後の9月には、所属するクラブチームの練習に復帰。半年後には皇后杯にも出場した。現在は家族はもちろん、チームの仲間にも支えられながら、トレーニングに励んでいる。

「チームのみんなが娘の遊び相手になってくれたり、試合の時にはチームがベビーシッターさんを依頼してくれたり。夫の両親にお願いすることもありますし、預かり先がない時には、娘も体育館で一緒に体を動かして楽しんでいます。本当に周囲の人たちに支えられて、今、私は恵まれた環境でバスケができていることに感謝の気持ちでいっぱいです」

 そして、何よりもうれしいのは、「バスケが好きで楽しい」と心から感じられることだ。

「以前は、代表に入るためにバスケをやっていた感じで、苦しいだけで、楽しむことを忘れてしまっていました。正直、嫌いになりかけていたんです。でも、練習を再開した時に『なんて楽しいんだろう!』って思えて、それがすごくうれしかったんです」

 今、湯浅には今後の目標もある。もう一度、日本代表入りを目指し、世界で戦える選手になることだ。

「やっぱり中途半端で終わりたくないなって思ったんです。だから、もう一度挑戦してみたいと思っています」

 一方で、以前とは違う思いもある。

「最近は、後輩のために何かしたいという気持ちが強くなりました。だから自分が代表になりたいということだけではなく、日本のレベルアップにもつなげられたらなと。それと、ママアスリートとしての道を切り開いていきたいとも思っています」

 そしてもう一つは、かれんちゃんへの思いだ。

「この子を守るのは、母親である自分。その自分が元気に楽しそうにしている姿を見せることも、子育てにおいて大事なんじゃないかなって思うんです」

 ママとしてもアスリートとしても、今、湯浅は充実した日々を送っている。

活動休止が自分を見つめ直す時間となり、バスケの楽しさを思い起こさせてくれた[写真]=JWBF/X-1

(Vol.7では、湯浅選手が注目している選手をご紹介します!)

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