
2025.04.23
2024−25シーズンからWKBL(韓国女子バスケットボールリーグ)にて導入されたアジアクォーター制度(アジア枠)。全6チームがそれぞれ日本国籍の選手を2名まで保有できるという制度だが、初年度の今シーズンは日本国内でのトライアウトとドラフトを経て9名の元WリーガーがWKBLのチームに入団した。
注目のシーズンは2024年10月27日に開幕を迎えると、序盤から日本の選手たちはそれぞれのチームで活躍。レギュラーシーズン上位4チームによるプレーオフ(セミファイナル)でも存在感を発揮し、BNKサムとウリ銀行ウリWONとのチャンピオン決定戦(ファイナル)にはBNKから飯島早紀、ウリ銀行からは宮坂桃菜と砂川夏輝の3選手が頂上決戦の場に立った。
結果的にはBNKが3連勝でチャンピオン決定戦を制したが、敗れたウリ銀行も大いに健闘したシーズンだったといえる。ここではウリ銀行の一員として走り切った宮坂と砂川の1シーズンに迫る。
文・取材=田島早苗
「優勝したいと考えていましたが、(当初)監督やコーチからは厳しいチーム事情だと言われていました。その分、練習もハードではありましたが、いざシーズンに入ると『戦えなくないな』と感じて。技術で劣るところがあっても、私たちはたくさん走ってきたので体力では負けない。(厳しい練習を)やってきた意味はあったんだと感じました。その中でレギュラーシーズン優勝はすごくうれしかったですし、私自身、日本も含めてトップリーグの優勝は初めて。その後のプレーオフ、チャンピオン決定戦もいい経験で、韓国に来た意味やウリ銀行でプレーした意味があったのだと思っています」(宮坂)
「数字で見ると9カ月程ですが、本当に濃過ぎて。Wリーグでは秋田(プレステージ・インターナショナル アランマーレ)で1年、アイシンウィングス2年でしたが、それと同じぐらい濃かったですね。みんなと一緒にいる時間が長かったからこそ、言葉がちゃんと話せなくても試合などを重ねながら意思疎通ができるようになりました。シーズンが終わったときの気持ちがこれまでとは違い、気持ちの整理もまだできていません。だからうまく言葉にできないのですが、ドラフトなどここまでの過程のすべてが初めてで、チャンピオンシップなどいろいろなことがあり過ぎなくらい、感慨深いシーズンでした」(砂川)
3月20日、BNKの優勝で幕を閉じたWKBLの2024-25シーズン。それから数日後、待ち合わせの場所に現れた2人は戦いを終え、どこか柔らかい表情で激動のシーズンを振り返った。
ここで少しウリ銀行について触れよう。先の宮坂の言葉にもあったように、今シーズンのウリ銀行はこれまでとは事情が少し異なっていた。
レギュラーシーズン優勝14回、チャンピオン決定戦での優勝は12回と優勝回数が他より頭一つ抜けて多いウリ銀行は、昨シーズンもチャンピオ決定戦で優勝。一昨シーズンはレギュラーシーズンとチャンピオン決定戦のどちらも制し総合優勝を果たすなどここ十数年は常に好成績を残してきた。しかし、昨シーズン終了後、FAなどによりパク・ヘジン(BNK)、チェ・イセム(新韓銀行Sバード)、ナ・ユンジョン(KBスターズ)と、功労者たちが移籍。次世代の韓国を担うパク・ジヒョンも海外挑戦でチームを去り、主力で残ったのはキム・ダンビのみとなったのだ。
そうしたチーム状況の中で宮坂と砂川はアジア枠にて加入。試合ではともに司令塔としてボール運びやゲームコントロールだけでなく、砂川は持ち味のスピードに乗ったドライブから果敢にリングに向かい、宮坂も武器である3ポイントシュートで積極的に得点にからんだ。今シーズンはアジア枠の選手が同時に出場することはできなかったため2人は交代での出場だったが、「WKBLは一人の選手が長く出る傾向があるので、(選手が変わるたびに)守り方も変えないといけないから相手は嫌だったと思います」(砂川)と、タイプの違うガードが状況に合わせて出場し、しっかりと役割を果たしたことは、相手にとってはとても厄介だったといえる。
宮坂、砂川も大きく貢献したレギュラーシーズンの優勝。チームで見るとその大きな要因として挙げられるのが『練習』だ。指揮を執るウィ・ソンウ監督は、監督(WKBLではWリーグでいうヘッドコーチを監督と呼ぶ)となってからの13年間をウリ銀行に属し、シーズンとチャンピオン決定戦との優勝は合わせて18回を成し遂げてきた名将。韓国国内では厳しい練習でも知られている。その指揮官がレギュラーシーズン優勝後、記者たちに「信じることは練習しかなかった。選手たちが我慢して乗り越えてくれたことが優勝につながった」とコメントしているが、その言葉通り、「想像していた以上」の練習が2人を待ち受けていたという。ただ、ハードな練習が続いたときも、宮坂と砂川は励まし合いながら真摯に取り組んだ。加えて「自分一人だったら自分の中の価値観(だけでの判断)しかないけれど、いろいろと話ができる存在がいたことは大きかったです」(砂川)と、コート内外でたくさん話をし、支え合った。
一方で、厳しい一面があるウィ監督も、「私たちにはすごく気をつかってくれていた」と2人は口をそろえる。バスケットにおいても「私はガードをずっとやってきたけれど、あそこまで細かい指導に出会ったことがなくて。勝つチームはここまで指導するんだなと思いました」と、宮坂。砂川も「私にとっても新しい学びでした。(専任での)1番ポジションは高校生以来。点を取るという自分のらしさを失いたくはないというのもありましたが、(1番として)監督がゲーム運び、終わり方、この時間帯はこうすればいいと細かく言ってくれたので、“細かく考える”時間が増えました」と、名将から得たものは多かったようだ。
さらに宮坂に関してはプレー面でも変化も大きく、「社会人になって今が一番走れているし体ができている」と言い、笑顔でこう続けた。「それまでもディフェンスが好きだったのですが、(膝の)前十字靭帯を切るなど(2017年)、大きなケガをした後から自分の動きがあまりできていませんでした。日本では(ケガ以降)そこまで追い込むような練習をしてこなかったこともあって、今まで得意だったディフェンスが自分の中ではネックになっていた。でも韓国に来て、またディフェンスが自分の強みになったし、ディフェンスが楽しいという感覚が戻りました」
ウリ銀行には韓国女子バスケット界の『顔』ともいえるキム・ダンビがいる。韓国代表として長らく世界で戦い、日本でも仲の良い選手が多いことから代表引退となった昨年のアジア競技大会では日本代表から花束が贈られたことでも、その存在や名前を知っている人も多いだろう。そんな彼女の今シーズンの活躍には目を見張るものがあった。最終的にはレギュラーシーズンMVPをはじめ、ベスト5、得点、リバウンド、ブロックショット、スティールなど個人賞を8つ獲得。試合では幾度となくクラッチシュートを沈めて勝利を引き寄せた。
そのオンニ(韓国語で“お姉さん”という意味で、女性が年上の女性に対して使う言葉でもある)に対し、「今年は特にダンビオン二が主体。一人軸にやってきた中で監督が求めることもすごく多くて。だからオンニが(監督から)厳しく言われちゃうこともあったので、そこをも何かできたらと思いながらやっていました。個人的にはもう少しオンニの力になりたかったです」と、宮坂は言う。また、砂川は「エースでありキャプテン。(チーム事情などから)ウリ銀行は大変だと周りから言われていたけれど、ダンビオンニが本当に明るい人で。シーズン前の練習試合で内容が悪いと暗くなるけれど、オンニが明るいからみんなが気持ちの切り替えができる。だから次、頑張ろうという気持ちになったし、それが今年のウリ銀行のチームカラーだったのかなと思います」と語り、キム・ダンビと同じチームで戦ったことはウィ監督同様、2人にとってもかけがえのない経験となった。
初年度となったアジアクォーター制度では、各チームが日本人選手の受け入れの一つとして日韓の専任通訳をチームに在籍させた。その中でウリ銀行だけは専任ではなく、その役をチョン・ジュウォンコーチが兼任。そのため他チームとは少し異なる環境となった。
しかし、最初は不安もあったという2人だが、「監督と長い期間一緒にやっているコーチなので監督がどういう意図で言ったのか、何を求めているのかをチョンコーチが汲み取って伝えてくれたことがすごく大きかったです」と、宮坂。コーチ業もあるため、チョンコーチが不在のときには選手同士で考えを伝える場面も多かったが、「韓国の選手たちも通訳を介さずにコミュニケーションを取ろうとしてくれて、それは良かったと思っています。それにウリ銀行のバスケットを理解しているので、バスケットをする上ではチョンコーチが通訳で良かったとも思っています」と、砂川も言う。
もちろん、ウィ監督の右腕ともいえるチョンコーチは本業も忙しい。試合中のタイムアウトではコーチとして他選手への指示などもあるため、どうしても日本人選手への通訳が遅れてしまうこともあった。でも、そんなときには2人で「今はこれをやるということだよね」と確認し合ったという。それこそ、どちらかベンチから試合を見ていた方が、試合に出ている側に状況を伝えるなどをして助け合っていたようだ。
名プレーヤーで東京オリンピックでは韓国代表のヘッドコーチを務めたレジェンドともいえるチョンコーチの通訳は韓国でも話題になったが、試合後のMVPインタビューや記者会見などでは日本人選手と談笑する和やかな姿が幾度となく見られた。
「本当にチョンコーチには感謝していますし、チームメートもずっと私たちに声かけてくれました。ガードの私たちに対しての細かい注文があまりできなかったり、こちらからの指示も何なんだろう?と思ったりしたこともあったと思うのですが、それでもずっと一緒にいてくれました」と砂川は、宮坂の思いも含めてチョンコーチとチームメートへの感謝を言葉にしていた。
宮坂が東京医療保健大学、砂川が早稲田大学の出身で宮坂が1学年上。そのため、大学時代には対戦もあり、互いの存在は知っていた。ただ、話をしたことはなかったため、2人はドラフトの日に初めて会話をしたという。どちらも海外でのプレーに興味があったことからWKBLの挑戦を決めたという共通点もある。大学は関東の強豪校、そしてWリーグと同じ経験をしていることも大きいだろう。
取材中、試合を経るごとに増えていったテーピングの量の話が及ぶと、「キル(砂川)のは、やばい」と言う宮坂に対し、砂川も「モモさんだって(今まで)やったことがないところに巻いてたでしょ」と返して笑い合う。こんなやり取りからも、初めての海外挑戦に対し、つらいことも笑いに変えながら前向きに取り組んだことが感じられた。
楽しく会話する姿はまるで年子の姉妹のよう。一人では越えられなかった9カ月。宮坂と砂川はともに手を携えながら、レギュラーシーズン優勝、そして達成感を土産に笑顔で日本へと帰国した。
二人で支えながら日本人として初タイトルを獲得 [写真]=WKBL
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