2025.10.30
今シーズンからNBAの試合を放送している『NBC Sports/Peacock』は、今年5月にマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)がスペシャル・コントリビューターとして加わることを発表。2002年以来初のNBA放送を復活させるうえで、強烈なインパクトを与えていた。
そのジョーダンが、現地時間10月28日夜の放送の合間に『NBC』の番組“MJ: Insights to Excellence”へ出演。その中で、ジョーダンは長丁場のシーズンを戦っていく過程で選手たちのケガや疲労を回避するために出場時間や出場試合数を制限して管理していく“ロードマネジメント”について語っていた。
「第一に、そんなことは必要ないはずだ。自分を証明する機会だったから、私は試合を欠場したくなかった。私のプレーを見てくれるファンがいることを実感できた。チケットを手に入れるため、あるいはチケット代を稼ぐために、おそらく必死に努力したであろう、上の立場にいる人たちへ、良い印象を与えたい」
ブルズとワシントン・ウィザーズで計15シーズンをプレーしたジョーダンは、キャリア2年目の1985-86シーズンこそ18試合のみの出場に終わるも、ブルズでフルシーズンをプレーした12シーズンのうち8シーズンで82試合へフル出場し、歴代最多10度の得点王に立ってきた。

ブルズ時代のジョーダン[写真]=Getty Images
ジョーダンはホームだけでなく、アウェーでも出場することが当然とばかりにこう口にしていた。
「(敵地では)相手チームのファンがあらゆる言葉で私のことを罵倒している。だから絶対に黙らせたいんだ。みんなが私を見たいと思っているなら、エンターテイナーとして、私にはそうしなければならない義務がある」
キャリア初期には足首捻挫を抱えながらプレーしてきたことも明かしたジョーダン。1997年のNBAファイナル第5戦では体調不良の中でブルズを引っ張り、38得点をマークして勝利へ導いた。
ケガや体調不良になってもコートへ立つことを選択し続けたジョーダンはこう話す。
「囮になってでもいいから、私は何とか出場する方法を見つけようとしていた。そこで出てみたら、どうやって自分を奮い立たせるかなんて分からないものなんだ。何が起こるかなんてわからないだろ?…次に何が起こるかなんて、感情や状況、チームのニーズで変わってくる。そうしたことが、私を『絶対にやり遂げてみせる』と思わせてくれたんだ」
ジョーダンは1990年代にブルズを2度の3連覇へ導き、史上最多となる6度のファイナルMVPに輝いた。闘争心の塊で大の負けず嫌いとしても知られ、自身へのネガティブな噂や報道、あるいは相手チームの選手やヘッドコーチの発言さえもモチベーションに変えてコート上で結果を残してきた。
最後にジョーダンがNBAの公式戦へ出場したのは2003年4月のこと。あれから20年以上が経過し、リーグではいくつかルールも変わったため、単純比較はできないものの、ジョーダンにとって“ロードマネジメント”は納得できることではないようだ。
2025.10.30
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