2023.08.24

【W杯プレーバック】アクシデントにも見舞われた日本代表…“世界との距離”を知らされた2019年大会

W杯2019年大会は32カ国中31位に終わった男子日本代表[写真]=Getty Images
スポーツライター

■ 高まる期待とは裏腹に

 FIBAワールドカップがまもなく開幕するが、「世界との距離感」を体感するという点で前回の2019年大会は日本代表チームにとって試金石と呼べるものとなった。

 自国開催だった2006年大会(当時の名称は世界選手権)を除いて、21年ぶりに自力での大会出場を決めた日本。Bリーグの設立によるプレーレベルの向上や、渡邊雄太が日本人史上2人目のNBA選手となり、八村塁が同年のドラフトで日本人初の1巡目指名(ワシントン・ウィザーズ)を受けるといったこともあって、多大な期待を背に開催地の中国へ乗り込んだ。

 しかし、待ち受けていたのは残酷なまでの現実だった。

 上海での1次ラウンド初戦。ヨーロッパの強敵、トルコと対戦した日本は、試合開始からわずか3分ほどでターンオーバーを3度してしまい、相手のエース、ジェディ・オスマン(現サンアントニオ・スパーズ)に速攻からのダンクを決められるなど、ペースを握られたまま67-86で敗れた。

 2戦目のチェコ共和国戦は、八村の活躍を中心にトルコ戦よりも落ち着いた戦いぶりで中盤まではついていけたものの、最後は76-89と引き離され連敗。

 2次ラウンド進出の目がなくなった日本は、このラウンド最終戦でアメリカと対峙する。相手の身体能力と体の圧に押されるなか、馬場雄大が18得点するなど孤軍奮闘するも、ダブルスコア以上の差をつけられる45-98で敗戦。屈辱的な黒星を喫した。

■ アクシデントにも見舞われ屈辱的な連敗

1次ラウンド・アメリカ戦で篠山は左足を骨折[写真]=Getty Images


 1次ラウンドで3連敗を喫した日本は、順位決定ラウンド(17-32位)のために中国南部の都市・東莞へ移る。ところが、そこに八村の姿はなかった。1次ラウンドで膝に違和感を覚え、まさかの戦線離脱。さらにキャプテンを務めていた篠山竜青も左足を骨折していたことが判明し、残りの試合は欠場を余儀なくされた。

 迎えた同ラウンドの初戦。手負いの日本は、大会前の強化試合で勝利しているニュージーランドを相手に、81-111と30点差の大敗を喫してしまう。試合後、共同キャプテンの渡邊は「本当に最悪な試合。一人としてちゃんと準備ができていなかったし、自分も役割をまっとうできていませんでした。最後は遊ばれていたし、日本代表として恥だと思います」と話し、怒りに近い感情をあらわにした。

 最後のモンテネグロとの対戦も日本は序盤から劣勢で、積極的にリングへアタックした渡邊が34得点と爆発するも、奮闘むなしく65-80で敗戦。日本はチーム全体で3ポイントシュートを1本も決められず、18本ものターンオーバーを献上するなど、最後は力なく敗れた。

 大会前の強化試合では強豪のアルゼンチンを相手に善戦し、実力あるドイツに勝利したこともあって期待は大いに膨らんでいたが、終わってみれば屈辱的な5連敗。5度目のワールドカップ(世界選手権)出場にして、初めて1勝も挙げられずに大会を去ることになった。

■「世界との距離感」をどう捉えるか

馬場や渡邊が奮闘するも白星は遠く[写真]=Getty Images


 大会全体では、スペインが2006年以来、通算2度目の優勝を果たし、NBA選手ゼロで大会に臨んだアルゼンチンが準優勝。5度の優勝経験を誇るアメリカは準々決勝で敗れ、史上最低の7位に終わった。また、日本を含めたアジアの5カ国はいずれも1次ラウンド敗退と、厳しい現実をつきつけられた。

 戦前、日本代表を率いたフリオ・ラマスヘッドコーチは「世界を相手に1つ勝つことが目標」とした。同指揮官は母国・アルゼンチン代表を率いて2012年ロンドンオリンピックで4位の結果を得るなどの実績を残している。アジアの国が大きな国際舞台で白星を挙げることがいかに容易ではないか、わかっていたのだ。

 日本は先述のアルゼンチン、ドイツ戦を含めた5試合の強化試合で平均88.2得点を記録したが、本大会では同66.8得点と、出場32チーム中30位に低迷。世界のトップレベルでしのぎを削っている強豪国にとって、強化試合はあくまで“調整の場”であることを突きつけられるような結果でもあった。

 その他、3ポイントシュートの試投数が平均18.8本(同30位)に留まり、リバウンドも同32.4本(同29位)を記録するなど、この舞台で伍して戦う力が整っていないことが、数字を見ても示された。

 大会を通じて、心身ともにえぐられるような傷を負った日本だったが、これでおぼろげだった「世界との距離感」はより明確なものとなった。そしてこの経験が、代表メンバーや国内の選手たちにも影響を与えていった。

 その意味では、このワールドカップから日本は始まったと言っても過言ではない、そんな大会となった。

文=永塚和志

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