
2025.04.29
ニューヨーク・ニックスで2度の優勝を経験したディック・バーネットが死去した。享年88歳だった。
ニックスは、バスケットボール殿堂入りしている球団レジェンドとの別れにともない、次の声明を発表している。
「ディック・バーネットは、その輝かしいキャリアを通じて、コート内外でニューヨーク・ニックスの一員であることのすべてを体現しました。彼は出会ったすべての人にポジティブな影響を与え、この組織が彼を歴史の重要な一部として迎えることができたことを、心から誇りに思っています。彼のジャージはマディソン・スクエア・ガーデンの天井に永遠に掲げられ、彼のプレーは永遠にニックスファンの記憶に残り続けるでしょう」
1936年にインディアナ州ゲーリーで生まれたバーネットは、輝かしいキャリアを築き、その伝説は大学時代から始まる。
バーネットは、大学バスケットボール初期にテネシー大学A&I校(後のテネシー州立大学/通称タイガース)で王朝を築いた。同校を率いる監督は、バスケットボールの考案者として名高いジェームズ・ネイスミスから直接指導を受けたジョン・マクレンドン。全員が黒人選手で構成されたタイガースはバスケットボールの未来とされ、1957年のNAIA全米選手権で優勝。歴史的黒人大学(HBCU)として初めて、バスケットボールの全国タイトルを獲得した。
2024年にバスケットボール殿堂入りを果たしたディック・バーネット[写真]=Getty Images
バーネットは、1959年のNBAドラフトでシラキュース・ナショナルズ(現フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)から全体5位指名を受けて、プロデビューを果たす。1962年にはロサンゼルス・レイカーズへと移籍し、NBAのロゴのモデルとなったジェリー・ウェストとも共闘。そして、1965年にニックスへ移籍を果たすと、所属初年度にはエースを任され、オールスターにも選出。その後、ウォルト・フレイジャーを迎えたニックスは球団の黄金期を迎え、バーネットは1970年と1972年の2度、ニックスにタイトルをもたらしている。
193センチのシューティングガードはこうした実績を讃えられ、現役時代に身につけた背番号12はニックスの永久欠番としてホームスタジアムに掲げられているが、彼はプレーでもバスケットボールの発展に貢献している。
バーネットは、ジャンプショットの際に体を後方に傾け、左足を蹴り上げる独特のフォームが代名詞。このショットは、彼の発言や実況で多用されたことから「Fall Back Baby」と名付けられ、ディフェンダーとの距離を確保し、ブロックを回避するという共通点から、現代におけるフェイダウェイの原型になったとされている。
マイケル・ジョーダンやダーク・ノビツキーらも“フェイダウェイ”の名手だった[写真]=Getty Images
文=Meiji
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