2019.03.06

「ラリー・バードがコーチになるなんて考えたこともなかった」とマブスの指揮官が言及

セルティックス時代のバード(左)とカーライル(中央)[写真]=Getty Images
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歴代有数のレジェンドとして知られるバード、80年代中盤に3年連続でMVP獲得

 ボストン・セルティックスのレジェンドとして知られるラリー・バードは、キャリア13シーズンで3度の優勝をはじめ、シーズンMVPには3年連続で輝いたほか、2度のファイナルMVP、12度のオールスター選出に10度のオールNBAチーム入りと、NBAで残してきた功績には枚挙にいとまがないスーパースター。

 206センチ99キロのバードはフォワードとしてサイズには恵まれていたものの、身体能力については決して高い選手ではなかった。しかし、類まれなバスケットボールセンスとIQを誇り、正確無比なシュート力と強じんなメンタリティーを武器に歴代有数のレジェンドとして名を残した。

 通算897試合(うち先発は870試合)に出場したバードは、キャリア平均38.4分24.3得点10.0リバウンド6.3アシスト1.7スティールをマーク。5シーズン連続で平均20得点10リバウンド5アシスト以上を残すなど、オールラウンダーとしての評価も高かった。

 1980年代のセルティックスは、バードとケビン・マクヘイル(元セルティックス)、ロバート・パリッシュ(元セルティックスほか)による“ビッグ3”を軸に3度の優勝を勝ち取ったのだが、3度目の優勝を飾った85-86シーズンは特に強烈なインパクトを残している。

 このシーズン、セルティックスは77年のファイナルMVPを獲得し、78年にはシーズンMVPにも輝いたビッグマン、ビル・ウォルトン(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか)をシックスマンに据え、バックコートにはデニス・ジョンソンとダニー・エインジ(共に元セルティックスほか)を擁してリーグトップの67勝15敗をマーク。NBAファイナルではヒューストン・ロケッツを4勝2敗で下してチャンピオンとなった。

86年のファイナルで、バードは平均24.0得点9.7リバウンド9.5アシストをマークしてファイナルMVPに輝いた[写真]=Getty Images

バードの下でACとして働き、自身の評価を高めたカーライル

 現在ダラス・マーベリックスの指揮官を務めるリック・カーライルHCは、現役時代の5シーズンのうち、3シーズンをセルティックスでプレー。キャリア2年目の86年には優勝を経験し、バードとも3シーズンを共にプレーしてきた。

 そのカーライルHCは、3月6日(現地時間5日)に『Mavs.com』のドウェイン・プライス記者から、今季終了後の去就が注目されているダーク・ノビツキーが引退後、いつかコーチになるかどうか聞かれて「分からない」と発言したのだが、元チームメートのバードがコーチになったことには驚かされたという。

「ラリーとは3年間、一緒にプレーしてきた。そこで私たちは仲の良い友人になったんだ。でもね、彼がコーチングに興味を持っていたなんて、まったく考えたことがなかった。どこからともなくコーチへとなっていったんだ」。

 92年夏。バードはスペインで行われたバルセロナオリンピックでアメリカ代表として出場し、金メダルを獲得。その後現役を終えると、97年5月に、故郷インディアナに本拠地を置くペイサーズのヘッドコーチに就任。

 するとカーライルは、アシスタントコーチ(AC)としてバードと共にペイサーズで再びタッグを組むこととなった。カーライルはそれまで、ニュージャージー・ネッツとブレイザーズでACとしてキャリアを積んでいたのだが、バードの下で脚光を浴びることとなる。

ミラー(中段左)とスミッツ(中段右)と共に98年のオールスターでイーストの指揮を執ったバード(下段)とカーライル(上段中央)[写真]=Getty Images

 レジー・ミラーとリック・スミッツ(共に元ペイサーズ)を中心に、層の厚いロースターを形成していたペイサーズは、バード就任後初の97-98シーズンにイースタン・カンファレンス2位に相当する58勝24敗。ロックアウトのため50試合の短縮となった翌98-99シーズンにはイースト2位の33勝17敗、そして99-2000シーズンはイーストトップの56勝26敗を残してフランチャイズ史上初のNBAファイナル進出を果たす。

 バードは98年に最優秀ヘッドコーチ賞に輝き、同年のプレーオフではイースト決勝でシカゴ・ブルズと第7戦まで戦った。00年のファイナルではロサンゼルス・レイカーズ相手に2勝4敗で敗れたものの、3シーズンで147勝67敗(勝率68.7パーセント)、プレーオフでも32勝20敗(勝率61.5パーセント)というすばらしい実績を残している。

 “名選手、名コーチならず”という言葉があるように、現役時代にスター選手として活躍した選手が引退後にコーチになっても好成績を残すことは珍しい。その点、バードは選手とコーチの両面で申し分ないキャリアを送ったと言っていいだろう。

バード(左)はHC退任後、03年からペイサーズのフロント職に就き、カーライル(右)をHCとして呼び戻した[写真]=Getty Images

 ちなみに、99-00シーズンをもってバードはコーチから退き、翌00-01シーズンはカーライルがヘッドコーチに昇格するかと思われたが、当時ペイサーズのトップを務めたドニー・ウォルシュはアイザイア・トーマス(元デトロイト・ピストンズ)を任命。カーライルはペイサーズを退団している。

 その後、カーライルはヘッドコーチとしてピストンズに加入。その後ペイサーズでも指揮を執り、08-09シーズンからマブスの指揮官として活躍。11年にはノビツキーらを率いてフランチャイズ史上初優勝へと導いた。

 予期せぬことが起こるNBA。いずれノビツキーも、バードのようにコーチを務める日が訪れるのかもしれない。

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