2021.07.30

地元・長岡出身の田中空、主将として優勝に導けず涙「ここで日本一になりたかった…」

帝京長岡のキャプテンとしてコート内外でチームを引っ張った田中空[写真]=伊藤 大允
フリーライター

 新潟県代表の帝京長岡高校と愛知県代表の中部大学第一高校。ともに初の日本一をかけて戦った「令和3年度全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)」決勝戦は、37−54で中部大第一が勝利した。

 試合終了のブザーが鳴ると、帝京長岡の田中空(3年)は、今にもあふれ出しそうなものをグッと堪え、最後までキャプテンらしく振る舞った。

 田中は肩を落とす仲間のユニフォームを引っ張りながら試合後の整列を促し、誰よりも深く一礼をした。コート上で歓喜と落胆が交錯する中、すぐさまチームの主将として、中部大第一の常田健コーチ、そして審判の方々へ挨拶に行った。

「負けてしまいましたけど、まずは相手がいて、審判もいなければ試合は成り立たないですし、こうして大会を開いてくれた方々に対しても最後は礼儀としてしっかり挨拶しました」

 ここまで涙はない。でも、そこから自軍のベンチへ戻る前に、こらえていたものが一気にあふれ出した。

 先ほどまで潔い姿勢を見せていた背番号4だが、センターサークル付近で立ち止まり、両手を膝に当てたまましばらく動けない。それに気づいた仲間に支えられ、ようやく歩き出した。

 田中は決勝戦で勝てなかった悔しさと、チームを日本一に導けなかった責任を感じていたという。

「『地元開催』という言葉はやっぱり自分たちにとって大きくて、この長岡市で帝京長岡が優勝することができれば地元のみんなも盛り上がると思っていました。日本一を取れなかったことがすごく悔かったですし、自分がチームのキャプテンとして優勝に導けなかったこともすごく申し訳なくて……」

 表彰式が始まる直前までベンチでうなだれていた田中は、表彰式後の取材中も涙が引かなかった。時間が経つにつれて徐々に涙が収まっていくと、ゆっくり自分自身のことを話してくれた。

「僕は生まれも長岡なんです。中学は新潟(葛塚中学校)だったんですけど、柴田(勲)先生に声をかけてもらい帝京長岡で3年間頑張ろうという気持ちになりました」と田中。帝京長岡は2013年の夏に初めて県予選で1位になっており、当時のチームには8つ上の兄も在籍していたという。

「今回は僕自身としても『地元の中の地元』でした。ここで初めてチームと兄が県1位になったので、自分はここで日本一になりたかったです」と、今大会で抱いていた個人の想いを明かす。

「地元開催という貴重な大会で優勝できなかったのは心残りもありますし、忘れることはできない」と言うように、この経験が癒えない傷として残り続けるのか、それとも、いつしかかけがえのない思い出に変わるのかは本人でも分からない。だが、田中は変わらないものがあると断言し、生まれ育った地でのインターハイを後にした。

「これからも、僕たちの目指す場所が日本一なのは変わらないです」

地元開催のインターハイで準優勝という成績を収めた帝京長岡[写真]=伊藤 大允

写真=伊藤 大允
取材・文=小沼克年

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