2023.12.21

「ウインターカップの申し子」田臥勇太が達成した高校9冠と冬の3連覇

高校時代の田臥[写真]=Getty Images
スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者に。国内だけでなく、取材フィールドは海外もカバー。日本代表・Bリーグ・Wリーグ・大学生・高校生・中学生などジャンルを問わずバスケットボールの現場を駆け回る。

12月23日開幕の「ウインターカップ2023」にあわせて、過去にウインターカップで輝いたスター選手をピックアップ。今回は圧倒的な強さで高校バスケ界を席巻した能代工業高校、その中心にいた田臥勇太の活躍を振り返る。

■ウインターカップの伝説を作った男

 田臥勇太は、能代工業高校(現・能代科学技術高校)に高校3大大会であるインターハイ、国体、ウインターカップを3年間制し、9冠を達成した男だ。

 田臥が在籍していた1996~1998年の能代工業といえば、圧巻のトランジションバスケを展開してファンを虜にし、バスケットボールに詳しくない人たちも興味を持つほどの社会現象となったチーム。その話題の主役だったのが、イマジネーション豊かなプレーで観客を魅了した田臥勇太である。

 田臥と能代工業が作った伝説は数知れず。能代工業の試合は常に多くの観客が詰めかけていたが、とくに、ウインターカップでの熱狂は凄まじかった。東京体育館は常に満員札止めで、立ち見客がフロアにも溢れかえっていた。フロア席が指定席になっている今ではありえない光景が東京体育館に広がっていたのだ。そうした現象は「田臥フィーバー」「能代工フィーバー」と呼ばれ、テレビや雑誌をはじめ多くの媒体で特集されたほどだ。

 高校バスケの集大成といえるウインターカップで3年連続優勝し、3年連続ベスト5を受賞した田臥は、「ウインターカップの申し子」といえる存在だろう。

■一番強かったのは2年生のとき

 3年間のウインターカップのなかで、一番苦戦したのは1年次の準決勝、東北のライバルである仙台高校との戦いだ。

 田臥が在籍した時代、能代工業は全国大会では無敗だったが、公式戦で唯一敗れたのが、1年次の6月に開催された東北大会準決勝の仙台戦だった。その試合でスーパールーキーとしてスタメンに抜擢された田臥は、残り5分を残してファウルアウトしており「司令塔は大切な時間にコートにいなくてはならない」という教訓を加藤三彦コーチに叩き込まれるのである。

 因縁の対決ともいえるウインターカップ準決勝の仙台戦は、どちらも息つく間もないほどのトランジションゲームと3ポイントの応酬で残り3分に仙台が逆転。だがその直後、仙台のポイントガードがファウルアウトしたのを機に、オールコートのゾーンプレスで一気に畳みかけた能代工業が逆転し、95-87で激闘を制している。

「間違いなく一番強くて負ける気がしなかった」と田臥が語るのが2年次だ。シューターの菊地勇樹とリバウンダーの若月徹ら同級生トリオのほか、田臥とガードコンビを組んだ畑山陽一、インサイドで体を張っていた小嶋信哉ら1学年上の先輩とともに結成した不動のスタメンはあまりにも強力で、他を寄せ付けなかった。

 3年生になってからも、田臥、菊地、若月のトリオが健在だったことから、能代工は常に注目の的だった。「メンバーが変わったなかでチーム作りの難しさを感じた」と当時の田臥は発言していたこともあったが、こうも言っていた。「日本一になる自信はありました」――。

 そうした自信の源にあったのは、チームを司る田臥自身の成長にある。3年生になってキャプテンになった田臥は、歴代の能代工業が背負ってきた「必勝不敗」の使命を責任感に変え、精神的にも、プレーの面でも、一回り大きく成長していた。もともと、パスの名手で司令塔としても絶妙なゲームコントロールを見せていたが、得点に関しても、抜群のスピードとボディバランスを駆使して、エースとして飛躍したのだ。

 田臥が記録した高校3年間のウインターカップの総得点は401得点。1年次は155得点(平均31得点)、2年次は116得点(平均23.2得点)、3年次は130得点(平均26.0得点)。3年次の決勝、市立船橋戦では37得点を叩き出しており、誰にも止められない選手になっていた。

■9冠達成のプレッシャーはいかに

[写真]=B.LEAGUE


 世間から注目されるほどのフィーバーを巻き起こしたなかで「勝ち続けることは相当のプレッシャーだったのでは?」と、プロ選手になってから質問をしたことがある。そのとき、田臥はこう答えている。

「能代工業というチームは僕が入学する前から強くて伝統があるチームでしたし、能代の街をあげて応援してくれたので、絶対に負けられない責任感は年々強くなっていきました」

「ただ、それがプレッシャーになることはあまりなかったです。能代って本当に田舎で、ひたすら練習に打ち込める環境なんです。僕が高校生の頃って、今のようなSNSがない時代だったので、田舎で生活をしていると、そこまで人気があるとは感じなかったですし、他のチームの情報も今のように入ってきませんでしたから。試合会場で満員のお客さんを見て『すごいな、注目されているな』とは思いましたが、それがプレッシャーになったことはありません。応援してもらうことが本当にありがたかったです」

 田臥勇太と能代工業が獲得した「9冠」の記録は、時代が流れた今もなお色褪せることのない偉業として、高校バスケ史に燦然と輝いている。

文=小永吉陽子

BASKETBALLKING VIDEO