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富樫と原が見た背中「継承しなきゃいけない」“常勝軍団”千葉ジェッツに西村文男が遺したもの

仲間からデニムジャケットを送られ笑顔の西村[写真]=兼子愼一郎
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 Bリーグは7月1日から新年度を迎える。2026-27シーズンはカテゴリーが刷新される節目のシーズンとなり、各クラブが新体制の編成を進めている。

 Bプレミアに参戦する千葉ジェッツもまた、チームづくりを進める一方で、大きな節目を迎えている。クラブの歴史を築いてきた西村文男が2025-26シーズン限りで現役を引退。6月3日に船橋アリーナで開催された引退試合『LAST RUNWAY #11 ~FINAL FLIGHT~ supported by スワローロジスティクス』では、千葉Jで12シーズンにわたって背負った背番号11の永久欠番が発表され、2026-27シーズンからアドバイザリーコーチとしてクラブに残ることも明かされた。

[写真]=兼子愼一郎


 では、西村は千葉Jに何を遺したのか。富樫勇樹原修太は、ともに2015年から千葉Jでプレーし、西村とともにクラブが“常勝軍団”へと成長していく過程を歩んできた存在だ。引退試合後、2人にその問いを投げかけた。

■ともに作り上げてきた“常勝軍団”

 富樫が真っ先に挙げたのは「ウィニングメンタリティ」だった。

 西村は2014年に日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)から千葉Jへ移籍。その翌年、秋田ノーザンハピネッツ、NBA下部Dリーグ(現Gリーグ)のテキサス・レジェンズを経た富樫が加わった。当時の千葉Jは主要タイトルでの優勝経験なし。2017年に天皇杯を制し、悲願の初タイトルを手にした。

[写真]=兼子愼一郎


「やっぱり“ウィニングメンタリティ”というのを千葉に植え付けてくれたのかなと思います。正直僕が入った時の千葉ジェッツ、たぶん彼自身も加入当初はそうではなかったと感じているんですけど、一緒に天皇杯を勝ったり、連覇して、徐々に(メンタリティが備わっていったと思う)。昔で言うと“打倒トヨタ”から入っていたところを、Bリーグが始まってすぐに同じレベルに立ってプレーできるようになったと思うので」

 2016年のBリーグ開幕後は、B1チャンピオンシップ全9大会に出場を果たしており、文字通り日本屈指の強豪クラブに。富樫は「もう“勝って当たり前”じゃないですけど、勝ちを求められているチームで、これだけCSに出続けているのもそうですし、そのメンタリティをこの千葉ジェッツに残してくれたことが一番だと思うので。それをしっかりこれからも引き継いでやっていきたいなと思います」と、西村の意志をつなぐ責任感も口にした。

■“草の根活動”を見ていた原

 一方、地元の千葉県船橋市出身で2015年からジェッツ一筋でプレーする原は、「今の千葉ジェッツというのは文男が残したもの」と、富樫同様にその存在感の大きさを口にしつつ、コート上の勝利だけではなく、クラブの土台を築いてきた西村の姿に目を向けた。

「僕が入った頃は練習場が船橋アリーナで固定だったんですけど、文男が入った頃は中学校の体育館を転々としたり、1日中イベントに出ていたりとか、練習前にそういうコート外の活動があった。プレーだけじゃなくて、地道に地域の人と密接な関係をつくっていったということを僕は見ていました」

[写真]=兼子愼一郎


 千葉Jは2024年にホームアリーナを船橋アリーナからLaLa arena TOKYO-BAY(ららアリーナ東京ベイ)に移転。2025-26シーズンはクラブ史上最多となる1試合平均1万93人(合計30万2789人)が来場するなど、日本屈指の人気クラブだ。ただ、大観衆のサポートを受けてタイトル争いを繰り広げる景色の裏には、地道にクラブの名前を広げる努力をしてきた先人がいる。だからこそ原は、西村が積み重ねてきたものを、これからの世代に伝えていく必要があると語る。

「新しく入ってくる選手だったり、新しく来た社員だったり、新しく来たファンは、そういった姿を実際に見ていないかもしれないけど、それはしょうがないので。ずっと文男を追いかけてきた人たちは、それをちゃんと言葉で継承しなきゃいけないんじゃないかなと思います」

 背番号11は永久欠番となり、西村は新たな立場から千葉Jに関わっていくことになった。選手としての“ラストラン”を終えた背中が遺したものは、勝つための基準、クラブを支援する人々とともに歩む姿勢。富樫と原の言葉には、西村が築いてきたものへの敬意と、次の世代へつないでいく責任感がにじんでいた。

[写真]=兼子愼一郎

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