2023.08.30
8月25日に開幕を控えるFIBAワールドカップ2023。開催国の1つとして大会に臨む男子日本代表は、来たる決戦の日に向けてすでに候補選手たちを集め強化合宿を実施している。
選手たちはこの大舞台に向けて、どのような思いを胸にトレーニングに励んでいるのか。幼少期の思い出から今大会にかける思いまで、一人ひとり話を聞いていく連載。その1人目として、新天地で激動のシーズンを過ごしたテーブス海に話を聞いた。
インタビュー・文=峯嵜俊太郎
――幼少期からバスケットが身近にあったテーブス選手にとって、“ワールドカップ”という舞台に対してはどのような印象がありましたか?
テーブス 幼いころはサッカーのプロを目指していたので、ワールドカップというと“FIFAワールドカップ”の印象が強かったです。4年に1回、家族みんなでテレビを熱心に見ていました。リオネル・メッシが18歳の時に出た2006年のドイツワールドカップは特に印象に残っています。
――競技は違いますが、同じワールドカップという舞台に近づいています。
テーブス バスケットを始めてから目標としてきた舞台でもありますし、そのためにずっと努力し続けてきたので、本当に楽しみです。
――サッカーからバスケットに転向したのはいつでしょうか?
テーブス 中学2年生です。小学生の時は国際学校に通っていて、シーズンスポーツという形でサッカー、バスケット、野球をやっていたのですけど、だんだんバスケットが楽しくなってきて。1年間のうちに3~4カ月しかできなかったので、ずっとバスケットに専念できるように公立中学校に転校してバスケットボール部に入部する決断をしました。
――そんななか、中学3年生の頃にU15日本代表に選出されます。西田優大選手や津屋一球選手、杉本天昇選手といった現在Bリーグで活躍する選手も多く選ばれていました。
テーブス 個人的には年代別の代表に選出されるのは初めての経験でした。当時のチームメートとA代表の合宿にも一緒に参加できているというのは、本当に素晴らしいことかなと思います。
――同世代のトップ選手と一緒にプレーするのも初めてだったと思いますが、当時の思い出は?
テーブス 中学の時からみんなめちゃくちゃうまかったです。自分はジュニアオールスターで兵庫県代表のキャプテンをやらせていただいて、ある程度の自信を持ちながら合宿に行ったんですけど、周りのレベルもすごい高くて。このなかからA代表まで誰が生き残れるか、というのを僕だけじゃなくみんな意識したと思います。
――当時のメンバーで特に印象に残っている選手はいますか?
テーブス やっぱり津屋ですね。彼は当時のU15メンバーのなかで、唯一上の世代であるU16日本代表に選ばれていて。体がもうできあがっていて身体能力も高かったですし、シュート力もあって一人だけちょっとレベルが違うなという印象でした。
――その後はU18代表を経て、2018年にはトップの日本代表候補としてウィリアムジョーンズカップに出場します。年齢制限のない日本代表に選ばれた時の心境はいかがでしたか?
テーブス もちろんうれしかったですけど、当時は大人の選手たちとのレベルの差を感じましたね。あとは新しい目標として、いわゆるB代表ではなくA代表に入るという目標ができた大会でした。
――どんなところにレベルの差を感じたのでしょうか?
テーブス バスケットボールIQの差を感じました。当時僕はもうアメリカに留学していて、まあまあの成績を残していると思っていたんですけど、自分はまだまだだなと改めて実感しました。
――東京オリンピックでの日本代表の試合はご覧になっていましたか?
テーブス 試合を見るときにはもう全力で応援していました。ただ、やっぱり世界とのレベルの差というのも見ていて感じました。そのなかで一番大きいと感じたのはポイントガードのサイズ差で、当時はなかなかフロントコートにボールを運べず、日本がやりたいバスケットを展開できていなかった。もし自分がこうしたすごくレベルの高い国際試合に出るのであれば、まずそのボール運びの仕事を果たすのと、フロントコートではどんどんアタックしてオープンシュートをクリエイトする、というイメージで見ていましたね。
――東京オリンピックから約1年後、テーブス選手はワールドカップ予選とアジアカップのメンバーに選ばれました。ついに日本代表公式戦のメンバーに選ばれたわけですが、当時の心境は?
テーブス うれしかったですし、すごいチャンスだなと思っていました。ただ、一度選ばれたからといっていつでも外される可能性があるので、安心することはなくすぐに次の試合のことを考えていました。
――背番号は45番を選びました。
テーブス 本当は7番がほしかったんですけど空いてなくて。ちょうどそのころ、Netflixで『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』を見ていて、ジョーダンが引退から復帰した時の背番号45がパッと浮かんで、それで選びました(笑)。
――デビュー戦が7月1日から7月21日にかけて、アジアカップも含めて7試合に出場。自身のプレーに手応えはありましたか?
テーブス 所々自分の持ち味は出せて、トムさんのやりたいバスケットを遂行できたなというときもあったんですけど、どちらかというと苦しい思いの方が多かったです。初めてのスタイルでプレータイムが限られているなか、なかなか自分の思う通りにプレーできなかったというのが一番印象に残っています。
――迷いを抱えながらのプレーだったのでしょうか?
テーブス そうですね。特に3番手のポイントガードとして出るとき、Bリーグではどちらかというとゲームを落ち着かせてコントロールするのが仕事だと思うんですけど、トムさんはちょっと独特で。1番手、2番手、3番手とみんなが自分の持ち味を出して積極的にアタックすることで、40分間常にアタックできる選手がいる状態にするというのがトムさんの考え方。逆に言えば、それを理解してからは全く迷いなく攻められるようになって、どんどん自分のシュートを探してプレーできるようになりました。
――日本代表での濃密な期間を過ごす前と後で、テーブス選手のなかで変化はありましたか?
テーブス 分かりやすい部分で言うと、自分で得点を取るというマインドの部分を身につけられたことです。それを滋賀に戻ったあともBリーグの試合でどんどん出せるようになりました。以前はアシストで周りをつないでいくのが持ち味で、今でもそれは変わらないんですけど、それをより生かすために自分で得点を取れるということを証明しないといけない。そういう意味では日本代表に入って、自分のプレーは間違いなく変わりました。
――日本代表で求められたプレーと、新天地である滋賀レイクスで求められた役割が似ていたことはテーブス選手にとってとてもプラスに働いたんですね。
テーブス それは間違いないですね。リーグ戦では、最終的に悔しい結果になってしまったんですけど、個人的にはすごく成長できたシーズンでしたし、難しい経験も糧にして成長していけたらと思います。
――タイミング的にもテーブス選手のキャリアにおいて滋賀との出会いは素晴らしいものになったと。
テーブス はい、間違いないです。僕を迎え入れてくれた滋賀に、本当に感謝しています。
――ワールドカップの組み合わせもすでに決まっており、日本はドイツやフィンランド、オーストラリアと同組です。
テーブス 本当に厳しい戦いが続くとは思いますが、自分たちは間違いなくチームとしてどんどんステップアップしてきています。強いチームと対戦するんですけど、間違いなく勝てると思います。
――ワールドカップ、パリオリンピックという大舞台で控えるなか、これからのバスケット人生のビジョンはありますか?
テーブス もしこの年齢でワールドカップを経験できるのであれば、もう人生で二度とないかもしれない経験なので、それを次につなげられたらなと思います。またワールドカップ、また五輪という感じで出場して、自分のキャリアが終わったころには、そのステージが当たり前というようになれたらなと思います。
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