2022.03.04

彗星のごとく現れた高1の冬からプロ入り決断に至るまで…河村勇輝の足跡を振り返る

プロ入りを決断した河村勇輝。その足跡を振り返る [写真]=金田慎平,須田康暉,B.LEAGUE,fiba.com,小沼克年
フリーライター

3月3日、横浜ビー・コルセアーズ河村勇輝の特別指定選手としての活動期間をシーズン終了まで延長するとともに、同選手とプロ選手として2022-23シーズンの選手契約を結んだことを発表。ここでは、今後の日本バスケ界を引っ張っていくであろう若き逸材が歩んできたキャリアを簡単に振り返る。

文=小沼克年

■彗星のごとく現れた高1の冬

高校1年次から福岡第一の先発PGを任された河村[写真]=加藤夏子


 山口県柳井市出身。2人の姉がいる末っ子長男として育った河村の自宅の庭には、幼い頃からリングがあった。本格的にバスケットにのめり込んだのは小学校2年生からであり、それ以前には野球や柔道にも関心を持っていた少年だった。野球にいたっては「クラブに入ろうと思って見学まで行った」という。

 河村は小・中学時代から全国の舞台を経験している。しかし、その知名度が全国区になったのは福岡第一高校に進学してからだ。高校1年の冬、ウインターカップで先発ポイントガードに抜擢されると、卓越したスピードとパスセンスでコートを駆け回り、1年生らしからぬ堂々としたプレーで見る者の視線を釘付けにした。

 翌年からはU16、U18の日本代表としてアジア選手権大会にも出場し、河村は名実ともに高校バスケ界をリードする存在に。高校2年次のウインターカップでは福岡第一に2年ぶりの優勝をもたらす立役者となり、自身も2年生で唯一大会ベスト5に選出された。

年代別の日本代表として国際舞台を経験[写真]=fiba.com


 この大会、福岡第一は全ての試合で20点差以上をつける無類の強さを誇ったが、チーム、そして河村にとっても「去年の悔しさ」を晴らすため必死になって取り組んだ努力が結実した優勝だったと言える。河村が初めて挑んだ冬の全国大会では、福岡大学附属大濠高校に3点差で敗れ準決勝で涙をのんだ。ウインターカップ優勝後、当時2年生の河村はこんな言葉を残している。

「去年の大濠さんとの準決勝の試合で、自分が1年生ガードとして出させてもらったにも関わらず3ポイントが10分の0でした。このスタッツ的にも自分がチームを負けさせてしまったと思いましたし、そこからずっと悔いが残っていたので、この1年間ずっと3ポイントの練習をしてきました」

 河村を福岡第一に誘い入れ、高校3年間で彼の才能を開花させた井手口孝コーチに言わせれば、「河村は練習が好き」。「お正月も帰省せずに練習します」。そんな河村の言葉を記者を通じて知った井手口コーチが「付き合うしかないでしょ(苦笑)」と、やや表情を引きつらせていたこともあった。

 このどこまでもストイックな姿勢こそが河村勇輝を語るうえで欠かせない要素であり、高校3年次にはインターハイ優勝とウインターカップ連覇を達成。この頃には得点力にも磨きをかけた超高校級ガードは、天皇杯で千葉ジェッツと対戦した際にも21得点10アシスト6スティールをたたきだし、憧れの1人でもある富樫勇樹からは「高卒でプロになってほしい」という言葉を受けた。

福岡第一高では4度の全国制覇を成し遂げ、3年最後のウインターカップでは2連覇を達成した[写真]=須田康暉

■20歳の決断、すべては日本代表の司令塔になるために

“高校生Bリーガー”として、B1に旋風を巻き起こした[写真]=B.LEAGUE


 高校バスケを引退したあとも河村の成長スピードにブレーキがかかることはなかった。

 2020年1月に三遠ネオフェニックスの特別指定選手としてBリーグの舞台に立つと、デビュー戦で当時のB1史上最年少出場と最年少得点記録(18歳8カ月23日)を更新。計11試合で平均12.6得点3.1アシストを記録しBリーグの新人賞ベスト5にも選ばれた。

 進学先の東海大学でもすぐさまプレータイムを勝ち取り、1年目からインカレ優勝に貢献。河村の体つきは徐々に厚みが増していき、フィジカルでも周りと引けを取らないようになった。オフシーズンには横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手として加入したが、自身2度目のプロの舞台では対戦相手からも対策され、「自分自身とても悔しい思いをした」という。

全国の有力選手が集まる東海大学のなかでも存在感を発し続けた[写真]=小沼克年


 それでも、再び横浜の特別指定選手として戻ってきた2021-22シーズンは主力級の活躍でチームをけん引する。1月にはキャリアハイの26得点をマークするなど、平均14.4得点8.4アシストで1月度のBリーグ月間MVPを受賞。

 そして2022年3月3日、河村勇輝はプロ選手として歩んでいくことを発表した。それに伴い、東海大は3月31日をもって中退する。大学2年目はリーグ優勝を果たしたものの、結果的に最後の大会となった2度目のインカレでは準優勝で終えた。

「今年の4年生は本当に特別で、また新しい東海大学の伝統を作り上げたというか、しっかりと東海大学の基盤をステップアップさせてくれた存在でした。その伝統をちゃんと引き継ぎながら、またチャンピオンになりたいと思います」

 敗戦後はそう口にしていた。けれど、「心残りはありません」と今の河村は言う。その想いは今回の決断を尊重してくれたチームメートに託し、自分はもっともっと前へと進む意志を固めた。

日本を代表するポイントガードになり、2年後のパリオリンピックに出場することが僕の目標です」

 これからも瞬く間に上書きされていくであろう河村勇輝のバスケット人生を、いちファンとしても楽しみにしている。

2年後のパリ五輪に向けて、その歩みをさらに加速させようとしている [写真]=金田慎平

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