2025.09.07

リディームチームが振り返る北京五輪の舞台裏…コーチK、キッド、レブロンらが当時を語る

当時を振り返る2008年北京五輪男子アメリカ代表の主要メンバー [写真]=Getty Images
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 9月7日(現地時間9月6日)、米マサチューセッツ州スプリングフィールドにあるバスケットボール殿堂で、2008年北京五輪で金メダルを獲得したアメリカ代表「リディーム・チーム」が正式に殿堂入りセレモニーに登場した。レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)、ドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)、クリス・ポール(ロサンゼルス・クリッパーズ)、ジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)ら主要メンバーが当時の舞台裏を語った。

 式典の進行を務めたアーマッド・ラシャード氏は、まず同代表に欠かせない存在であった故コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)を紹介。会場は「Kobe!」のコールに包まれ、偉大なスターを偲んだ。その後、アシスタントコーチのジム・ボーハイム、マイク・ダントーニ、そして指揮官のマイク・シャシェフスキー(コーチK)が壇上に立ち、USAバスケットボール男子代表ディレクターを務めたジェリー・コランジェロ氏も加わった。

 コランジェロ氏は、先日88歳で逝去したジョージ・ラヴリング氏を追悼。「彼は指導者であると同時に人生のメンターでもあった。キング牧師の歴史的演説の原稿を託された人物であり、その誠実さは生涯を通じて変わらなかった」と語った。また、2005年に代表改革を託された当時を振り返り「全権を条件に就任した。コーチと選手の選定を自ら行い、スポンサーを募って強化に取り組んだ。国を代表できたことはキャリアの中で最も誇らしい時間だった」と明かした。

 代表を率いたコーチKは「才能ある個人を集めるのではなく、人格と結束を兼ね備えたチームをつくることが狙いだった。世界から尊敬を取り戻すことを目標に掲げ、選手たちは国とNBAを最高の形で表現してくれた」と語った。

 このチームが「リディームチーム」と呼ばれる背景には、2002年世界選手権、2004年アテネ五輪、2006年世界選手権で続いた敗戦がある。失墜した威信を取り戻す使命を担い、「雪辱」「名誉回復」を意味する“Redeem”を冠した呼称が2007年頃から現地メディアで広まり、北京五輪での金メダル獲得によって完全に定着した。当時の報道や公式ドキュメンタリーでは「Road to Redemption」と題してチームの再建が描かれ、さらに近年は配信作品として『The Redeem Team』も公開されるなど、その歴史的意義が改めて広く共有されている。

 当時23歳だったレブロンは、ブライアントの加入について「チームに必要だった最後のピースだった。彼が加わったことで全員が一層集中し、半端な取り組みは許されなくなった。金メダルを獲得した瞬間、彼に誇りを示せたと確信した」と強調した。ウェイドも「紅白戦は毎日が真剣勝負だった。ベンチメンバーもレベルを落とさないため全力を尽くし、激しい競争がチームを成長させた」と明かした。

 ポールはスペインとの決勝を回想し「世界中が注目する試合だった。全員が役割を受け入れたことが特別な強さにつながった。2006年の世界選手権で敗れた悔しさが常にあり、練習から競い合う姿勢が本番に生きた」と振り返った。さらに「若いリッキー・ルビオ(元クリーブランド・キャバリアーズほか)が挑発してきたのも忘れられない」と笑顔を見せた。

 キャプテンを務めたキッドは、当時を「自分はキャプテンというよりタオルボーイのような役割だった」と謙遜して振り返った。するとレブロンがすかさず「彼は国際試合で一度も負けたことがない唯一の存在だ」と称賛し、仲間たちも同意して会場は笑いと拍手に包まれた。キッドは改めて「自分の役割は経験を若手に伝えることだった。レブロンやコービーの練習での姿勢がチーム全体を引き上げた。日々の競争があったからこそ団結できた」と語り、世代をつなぐ立場であったことを強調した。

 最後にコーチKは「国歌が流れ、国旗が掲げられる中で選手たちが誇らしげに立つ姿は、私のキャリアで最高の瞬間だった。選手たちがその機会を与えてくれたことに感謝している」と締めくくり、会場は大きな拍手に包まれた。

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