2018.04.12
日本を代表するポイントガードとしての地位を確立した篠山竜青。所属する川崎ブレイブサンダースのキャプテンにしてムードメーカーは、これまでどんな道を歩んできたのか。両親である篠山秀夫さんと幸子さんの言葉を元に、その半生を振り返る。
インタビュー・文=安田勇斗
写真=山口剛生
父親の篠山秀夫さんは学生時代、陸上に打ちこみ、高校時代には最も得意としていた走り高跳びで東京都2位に輝いた。また、5種競技では東京都6位の実績を残し、オリンピックの強化合宿にも参加したことがあるそうだ。一方、母親の幸子さんはバスケットボール経験者で、高校時代には岩手県大会で母校を準優勝に導いた。ミニバスのコーチをしていた幸子さんの影響もあり、8歳上の兄、鉄兵さんと5歳上の姉、さおりさんもバスケットを始め、ともに全国大会に出場。その遺伝子を受け継ぐアスリート一家の末っ子、竜青は篠山家の「集大成」と両親は口をそろえる。
横浜市内にあるマンションの一室。リビングルームの書棚には、竜青が取りあげられた雑誌がズラリと並ぶ。掲載ページにはすべて付箋が貼ってある。その周りには竜青のプレー写真、家族の思い出の写真などが飾られている。「コーヒーでも飲みながらやりましょうよ」。お湯を沸かしている間の雑談から緊張が解けると、幸子さんはせきを切ったように話し始めた。
「ちっちゃい時は、ホントにみんなからかわいがられて」。幸子さんは、とにかくよくしゃべる。ハイテンポで身振り手振りを交えつつ、抑揚のある声で聞き手の笑いを誘う。横に座る秀夫さんはそれを温かく見守る。「2歳まではすごく人見知りで、近所の方に声を掛けられると、その場で固まってたんですよ」(幸子さん)
ムードメーカーでサービス精神旺盛な篠山竜青が「人見知り」とは何とも意外だが、3歳になるとガラッと変わった。幸子さんは言う。「年の離れた兄がいるでしょ。その兄がこの辺のガキ大将みたいな感じで、『あのお兄ちゃんの弟だぞ』という雰囲気を出して、公園でも肩で風を切って歩くようになって」。この頃から「目立ちたがり屋」に目覚めたそうだ。小中学校の運動会では、小1から中3まで徒競走のゴールテープを切る時のポーズを変えていたという。「両手を広げたり、投げキッスをしたり、ホントに目立ちたがり屋で」。秀夫さんによると、「中学生の時は、前日からポーズを必死に考えていたみたいで。『明日はどうやってゴールしようかな』って。運動会での一番の楽しみであり、悩みだったそうですよ」と目尻を下げる。
兄姉にならって自然とバスケットを始め、小3で本格的にミニバスに通うようになる。以降、バスケットを辞めたいと意思表示をしたことはなく、熱心に続けていたという。幸子さんは“指導者”として、秀夫さんは送り迎えの“運転手”として息子を支えた。「今日は行きたくないとか、具合が悪いからってズル休みすることはありましたけど、バスケットが好きだったみたいで辞めたいと言ったことはなかったですね」(幸子さん)
小学3年にして6年生の試合でも出場機会をもらい、みるみるバスケットにのめりこんだ。「鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり、サッカーしたり、いつも外遊びはしてましたけど、ハマっていたものはなかったですね。テレビゲームなんかはホント下手でね」。過去に思いをめぐらす幸子さんはにこやかな表情で続ける。「私が休みの時は、2人でバスケットをしたんですよ。友達が遊ぼうって来ても、竜青は『嫌だ』って言ってね。ママを独占したかったみたいで、すごくかわいかったんですよ」
秀夫さんは小学校時代のエピソードとして、5年生の時に出場した、全国の強豪チームが集まる対抗戦の話を披露してくれた。「その大会は大阪のチームと広島のチームが優勝候補だったんですよ。でも竜青のチームがその2つを破って優勝しました」。幸子さんが話を引き継ぐ。「その翌年は、橋本竜馬(現シーホース三河)君や二ノ宮康平(現琉球ゴールデンキングス)君なんかも出ていて、その大会でも竜青が活躍して、関係者の方もすごく評価してくださったみたいで。その時からですね、バスケットに専念させるため、竜青を神奈川から出して他県でプレーさせたいと思ったのは」。それから一拍置いて「親のひいき目かもしれないけど」と笑みを見せた。
横浜市立旭中学校時代、両親の頭の中に鮮明に残っているのは、中3に上がる前の新人戦だという。テレビ神奈川で決勝戦が放送され、竜青擁する旭中は、1つ下の代に満原優樹(現サンロッカーズ渋谷)が所属する東海大学付属相模中等部に51-47で勝利を収め戴冠を果たした。秀夫さんが記憶をたどる。「その試合で竜青はチームの半分ぐらいの点数を入れたんですよ。4ファウルになって、足もつって、体は限界だったと思うんですけど。でもその試合に勝って、ジュニアオールスター(都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会)のメンバーにも選ばれました」
進路を考え始めたのは中3の夏頃。関東大会を終えてから、県外に行き先を求めた。「全中(全国中学校バスケットボール大会)なんかを見てて、竜青も全国で戦えるチームでやらせたいなと。全国ベスト8、ベスト4を狙えるチームにと思っていました」(幸子さん)。もっともこの時期には、強豪校の推薦枠はおおむね埋まっていた。
家族内では「さあ、どうしましょう」となったそうだが、あるつてから、竜青のプレー映像が北陸高校の関係者の目に留まり、向こうから声が掛かった。久井茂稔監督自らが自宅が会いに来てくれた。座っている食卓を指差して「同じテーブルだよ」と秀夫さんが言うと、「あの時は和菓子を出したか」(幸子さん)、「いや餅だっただろう」、「どっちでもいいわ」と夫婦漫才さらがら当時を振り返る。「他の強豪校にも行くチャンスはあったんですよ。でも、『来たかったらどうぞ』という感じで。やっぱり竜青のことが心配だから、『来てほしい』と言ってくれるところにお願いしたくて」(幸子さん)。そんな矢先に北陸高校からお呼びが掛かり、竜青は「俺行くよ」と即決した。
高校に上がる前、北陸高校バスケ部の活動のため、秀夫さんが現地まで付き添った。「緊張してたのか、珍しくボーっとしてて。新幹線の切符を落としたんですよ。これから親元を離れると思うと、正直心配なところもありましたね」。入学の際は、幸子さんが送り届けた。「2人で行って、(竜青を)寮に入れて、その晩は1人でホテルでわんわん泣いた。もうね、天井を見上げてね、ベッドで大の字になってね、わんわん泣いた」。以来、竜青は実家で生活していない。「帰ってきても、2泊ぐらいだもんね」と寂しそうに言う。
福井県の北陸高校は五十嵐圭(現新潟アルビレックスBB)や石崎巧(現琉球ゴールデンキングス)、西村文男(現千葉ジェッツ)らを輩出。竜青の同期には多嶋朝飛(現レバンガ北海道)がいた。多嶋家と篠山家は今も家族ぐるみの付き合いだという。余談だが、幸子さんからこんな提案があった。「『多嶋朝飛物語』やってよ。朝飛は苦労もしたし、面白い話もたくさんありますよ」
両親は、竜青の試合に足しげく通った。「顔を見たいし、見せたいし、とにかく行きましたよ。同学年のお母さんはみんな、試合に出る出ない関係なく行ってましたね」(幸子さん)。ただ会話する機会はあまりなく、お互い照れもあってか電話もメールもほとんどしなかった。「朝飛はちゃんとお母さんと連絡を取ってたみたいですけど」とうらやましそうに言い、「朝飛は本当にいい子。竜青がいなくてもうちに泊まりに来るぐらい仲がいいんですよ」
3年次のウインターカップでは準優勝に輝き、竜青自身は大会ベスト5に選出された。この時すでに大学は決まっていた。2年生の時、竜青から志望大学について話があった。「すごく自由だし、バイトもできるから、この大学に行きたい」。息子の安易な選択に幸子さんは戸惑ったが、それからその志望校を含むたくさんの大学の試合映像を撮って竜青に送った。時間が経って、息子から返事があった。「別に行きたい大学はない」。幸子さんの狙いどおりだった。「しめしめと思いましたよ」
それから、竜青は久井監督やチームメートなどと話し、「日大(日本大学)に行きたい」と表明した。両親は「そう、わかった」と返答した。日大入学後も寮生活だったため、高校時代と変わらず、実家に帰ってきても長くいることはなかった。「帰る時は友達を連れてきて、“飲めや歌えや”ですよ。お父さんが料理を振る舞って、20歳を超えてからはみんなで楽しく飲んで」。料理が得意という秀夫さんに、竜青の好きなメニューを聞いた。「評判がいいのはペンネアラビアータ、ポテトサラダ、それから煮魚。あと竜青はカレーライスが大好きですね」
大学時代、竜青はユニバーシアード日本代表に選出されるなど大学屈指のポイントガードとしての地位を固め、日大の一員としても一つ上の栗原貴宏(現川崎ブレイブサンダース)、上江田勇樹(現富山グラウジーズ)らとともにインカレ(全日本大学バスケットボール選手権大会)制覇を成し遂げた。そして2011年、東芝ブレイブサンダース(現川崎ブレイブサンダース)の一員となる。
当時は実業団チームであり、竜青は社員選手として加入。「いつからか、バスケットでご飯を食べられるようになってほしいって思ってたんですよ。もうそれしかつぶしがきかないから」と、幸子さんは冗談めかして言う。「その時、東芝はすごく人気があったみたいなんですよ。大学3年の時、竜青から『東芝から話が来てる』って聞いた時はうれしかったですけど、でもそれより教職取らないのって」。竜青はバスケット1本で行くことを決め、教職は取らなかった。秀夫さんは息子の選択を尊重する。「放任ではないですけど、自分の道は自分で探せばいいかなと。まあ大学の単位だけは心配でしたけど」と口元を緩ませた。実際、卒論などは大苦戦を強いられたそうだ。
東芝でポジションをつかんだ竜青はNBLで2度のリーグ優勝を経験、2014-2015シーズンからはキャプテンを務めている。一昨年からBリーグが開幕してプロ選手となり、昨年からは日本代表にも定着。現在FIBAバスケットボールワールドカップ2019のアジア地区1次予選を戦っている。息子の活躍を、幸子さんは何よりも喜んでいる。「誇らしいですよ。ディフェンスをがんばること、ルーズボールを取りに行くこと、一生懸命声を出すことは、我が家の鉄則なんです。お兄ちゃん、お姉ちゃんを見て、その姿から学んで中学でも高校でもいい先生に出会ってがんばっていました。ブレずに自分のバスケットを続けて、日本代表にも呼ばれるようになって、ファン投票でオールスターにも出場して。もう大丈夫なんだなって。私が見張っていなくても、もう大丈夫なんですよね」。幸子さんはしみじみと、それでも明るい表情で続ける。「私の手を離れたんですよね。私が応援しなくても、ファンの皆さんがこれだけ応援してくださいますから。もう皆さんに、竜青をお任せしている気持ちです」
秀夫さんは、竜青が好きな言葉であり、この連載のタイトルでもある「おかげ様です」が、篠山家の家訓とも言えるフレーズだと教えてくれた。「私は子どもたちに『感謝の気持ちを忘れないように』と言ってきました。その後、竜青は久井先生から『おかげ様です』という言葉の大切さを学び、その精神で大きく成長できたと思います」。秀夫さん自身も、この言葉を大事にする。「今は皆さんに感謝している毎日です。いつも子どもたちから刺激をもらい、毎日が楽しみですし、本当にありがたいですね」
「自分たちの手を離れた」と言っても、そこはやはり親だ。幸子さんに不安の種がないわけではない。「ケガだけはしないでほしいですね。何歳までできるかわからないですけど、30代後半でがんばっている選手もたくさんいますから、あと10年? いや、もっと続けてほしいですね」。父親が同調する。「ニック・ファジーカス(川崎ブレイブサンダース)選手が40歳までやりたいと言っているそうなんですよ。あと川崎には辻(直人)君もいるでしょ。竜青はまだまだがんばろうという彼らにボールを出す役目を担うわけだし、もっともっと続けてほしいですよ」。両親ともに、竜青のさらなる活躍、まだまだ続くであろう競技生活に思いを馳せる。
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