2026.04.06
沖縄出身、姓は宮城、165センチの小柄なポイントガード(PG)、勝負どころで味方を鼓舞するリーダーシップ…。まるで、バスケットボール漫画の金字塔「SLAM DUNK」の宮城リョータが現実世界へ飛び出したかのようだ。
3月下旬に開催された「インフロニア B.LEAGUE U15 CHAMPIONSHIP 2026」で、MVPとベスト5に輝いたPG宮城昊河(みやぎ・こうが)のことである。エースの自覚を胸に、決勝トーナメントの3試合で平均19.0点を記録。大会2連覇を果たした琉球ゴールデンキングスU15を力強くけん引した。
もっとも、プレースタイルはリョータとは異なる。スピードを武器にしている点は共通するが、宮城はシュートレンジが広く、現代的なスコアリングガードだ。多彩なスキルで相手ディフェンスをかわし、得点を量産する。
世界と勝負できる選手の発掘・育成を目的とした株式会社サン・クロレラのプロジェクト「GLOBALLERS」に参加し、アメリカ遠征も経験。中学に入学した頃はさらに小さい148センチで、フィジカルに大きな課題があったが、年々体の強さを増してたくましく成長した。
“15の春”、宮城は生まれ育った沖縄を離れ、新たな舞台へ歩みを進める。行き先は、小学生の頃から憧れていたという福岡第一高校だ。これまでの軌跡、そして、これから目指す選手像は——。新天地へ飛び立った4月2日、故郷を離れる前に那覇空港でインタビューした。
文=長嶺真輝

琉球U15をけん引した宮城[写真]=B.LEAGUE
「絶対に優勝して、恩返しをします」
U15 CHAMPIONSHIPが開幕する10日ほど前のこと。地元の県立高校と練習試合をした後、宮城ら琉球U15の3年生たちはコーチ陣にそう宣言したという。強い決意はプレーに表れる。ディフェンスでの激しいプレッシャーやルーズボールへの強い執着心、素早いトランジションからのオフェンス。最上級生を先頭に活発に声を掛け合い、高いチーム力で頂点へ駆け上がった。
そのオフェンスの中心にいたのが、宮城だ。立川ダイスU15との準決勝は23得点、ライジングゼファー福岡U15との決勝は17得点。いずれもゲームハイの活躍で、決勝では6アシストも光った。ディナイやスイッチ、ハードショウなどで警戒されても、鋭いクロスオーバーと縦への加速力を生かしたドライブ、プルアップの3ポイントシュートなどでゴールを狙い続けた。
前回大会で優勝した際は、いずれもベスト5に輝いた越圭司と宮里俊佑という二大エースがチームを引っ張った琉球U15。その後を継いだ宮城を支えたのは、最上級生としての矜持だった。
「前の代には頼れる2人のプレーメーカーがいましたが、今のチームは3年生のプレーメーカーが自分だけでした。メインの役割を2年生に任せるわけにはいきません。『絶対に自分が責任を持ってやる』と決めてプレーしたことが結果につながったと思います」

U15チャンピオンシップ優勝決定の瞬間[写真]=B.LEAGUE
今年1月に行われた「京王Jr.ウインターカップ2025-26 2025年度第6回全国U15バスケットボール選手権大会」で、優勝チームの京都精華学園中学校に準々決勝で敗れた悔しい経験も生きた。その時は後半で点差を大きく広げられたが、今回の福岡U15との決勝は後半で逆転し、第4クオーターで一気に突き放した。
「後半が大事になってくるので、この大会では最後まで集中を切らさず、自分で得点を取ったり、チームに声を掛けたりすることを続けたいと思っていました」と宮城。終盤にかけて相手のプレッシャーが増し、徐々に得点は落ち着いていったが、「ここは仲間に託すしかないと思って、ノーマークの選手を見つけてパスを出しました」とアシストで味方を生かし、最後まで存在感の大きさは変わらなかった。
宮城という選手を語るうえで欠かせない存在がいる。琉球のユースチーム出身で、U15、U18でいずれもキャプテンを務めた須藤春輝(現・大阪体育大学)だ。落ち着いたゲームコントロールとリーダーシップを備え、ユース育成特別枠でトップチームにも帯同したプレーヤーである。学年は宮城の5つ上だが、同じ那覇市立松島小学校の出身。宮城が小学校1年生の時、須藤は6年生だった。

宮城が“憧れた”須藤も琉球ユースで活躍した[写真]=B.LEAGUE
当時、同じミニバスケットボールチームでエースを張っていた須藤に対し、宮城は「めっちゃ憧れていました」とまぶしい存在として見つめていた。琉球U15に入ったのも、「春輝先輩が『キングスU15がいいよ』と言ってくれたから」だという。憧れの先輩に追いつき、追い越したい。その気持ちを胸に刻むため、琉球U15では須藤が背負っていた「18番」をつけた。
須藤を知るコーチたちからは「春輝はプレーだけでなく、オンコート、オフコートを問わず周囲に声を掛け、チームを引っ張る選手だった」とよく聞かされた。そのリーダー像は宮城にも色濃く影響し、周囲とのコミュニケーションは極めて多い。
優れたハンドリングスキルも、小学生の頃に土台が築かれた。NBAのカイリー・アービングやステフィン・カリー、当時琉球に所属していた並里成らが好きで、ひたすら技術を磨いた。練習に付き合っていた父・雄希さんは「当時から、やり始めたらとにかく熱中する性格。10本連続でシュートを決めるまで終わらないとか、ノルマを決めた時も達成するまで絶対に諦めませんでした」と懐かしむ。

憧れの18番を背負った中学1年時の宮城[写真]=B.LEAGUE
一方で、宮城は琉球U15に入ってから、「ボールを取られない自信はありましたが、体をぶつけられてファンブルすることが増えました」と、フィジカル面で壁にぶち当たった。それでも、食事量を増やして徐々に当たり負けしない体をつくっていくと、「相手を抜いた後、横並びになった時にコンタクトしてもシュートまで行けるようになりました」と力強さが増した。決して得意ではなかった3ポイントシュートも週末に1日1000本ほど打ち、精度を上げていった。
中学最後に悲願のタイトルを手にし、宮城は次のステージへ向かう。新たに籍を置くのは福岡第一高。進路選択の理由は、同校OBの河村勇輝の存在にある。
「河村選手が高校3年の頃に自分は小学校3、4年生で、当時から動画サイトとかでプレーを繰り返し見ていました。少し見ただけで、いつの試合のどのプレーか分かるくらい見尽くしました。河村選手と同じように、自分もスピードが武器なので、『河村選手のようになりたい』『福岡第一に行きたい』という気持ちは当時から強くありました」

福岡第一3年時にウインターカップを連覇した河村[写真]=須田康暉
河村のほか、崎濱秀斗(琉球ゴールデンキングス)や轟琉維(東海大学)など福岡第一高を巣立ったポイントガードに共通する、ある能力にも惹かれたという。豊富な運動量を生かしたディフェンス力だ。「オフェンスは自分次第である程度は伸ばせますが、ディフェンスはそうはいきません。福岡第一のチーム練習の中で、もっと強化していきたいです」と意気込む。
将来の目標は「河村選手のような、日本を代表する選手になること」。小さな体に、大志を秘める。
ただ、先に目を向け過ぎることはない。ディフェンス力に加え、疲労がたまる時間帯にシュート成功率が落ちることなど、課題も自覚している。「1年生からベンチメンバーに入り、チームの勝利に少しでも貢献できる選手になりたいです」と目の前の目標にまい進する。壁を一つひとつ乗り越えていくことが、自らの成長につながると信じる。
インタビューの最後、生まれ育った沖縄に対する思いも聞いた。
「もしおきなわカップとかで、沖縄でプレーする機会があれば、これまで応援してくれた人たちに成長した姿を見せたいです。高校に行ってからも、『こんなに小さい選手でも戦えるんだ』ということを証明したい。自分のためにも、沖縄のためにも、これからも頑張っていきたいです」
表情には15歳のあどけなさを残しながらも、揺るぎない決意を言葉にし、福岡行きの飛行機へと乗り込んでいった宮城。その背中が、これまで自身が憧れてきた選手たちのように、誰かにとっての指標となる日もそう遠くないかもしれない。

宮城は元チームメートに見送られて福岡へ[写真]=長嶺真輝
2026.04.06
2026.03.30
2026.03.16
2026.03.15
2026.03.13
2026.03.05
2026.04.09
2026.04.06
2026.03.31
2026.03.30
2026.03.29
2026.03.26